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第七話 秀吉の天下と蝶の影


 清須の会合の後────織田家中は穏便に跡目相続を執り行い、所領の分配を認めあった。功績の大きい羽柴秀吉が、居城のある長浜の地を柴田勝家に譲る場面では騒動が起きかけた。しかし丹羽長秀や池田恒興のとりなしで、秀吉は渋々譲り渡しに同意した。勝家としては天下の地より外されてしまえば、秀吉の好き勝手にされてしまう。強引だがやむを得ないやり口に同情などなく、都では秀吉が怒り恨んでいると噂が流れる。勝家はこのまま領国へ引き上げるのを躊躇った。だが狡猾な秀吉は自分の切り札でもある秀勝を勝家へ人質に出し、他意のない姿勢を示した。


「勝家には肝を冷やしながら、さっさと所領へ帰って欲しいのよ」


「なんともややこしい心情ですね」


 信雄のもとで帰蝶は呑気にお茶を啜りながら、清須会合の様子を耳にしていた。猿と熊の馬鹿仕合など興味がないようだ。帰蝶が生存を表明し、信長の正妻として公の場に挑めば、秀吉も勝家も声を荒げる事など出来ない。秀吉など己の企み全てが露見していたと腹を切る事になるだろう。それをしないのは、諸外国に対する秀吉の力量を評価した上での判断だが、いらぬ混乱を招いている事に信雄は少々不満だった。


 間諜が得た情報を紐解き、帰蝶は秀吉の動きを見てきたかのように告げる。勝家にさっさと帰ってもらいたいのは秀吉の方なのだ。ただ苦労して得た領地を取られ、黙って帰したのでは舐められる。敵意はないとかつての秀吉のようにへりくだってみせつつ、不気味さを醸し出して嫌がらせをする。


 案の定、勝家は迷った。帰蝶の目線は別として、勝家とてそれほど猪でも馬鹿でもない。秀吉への疑いや、実力はそれなりに高く買っているのだ。勝家は信孝を立てて秀吉の抑えとなってもらうしか手がなかった。信雄は織田家中の眼中になく、帰蝶が退屈して欠伸するのも無理はなかった。


 光秀はすでに出発し、長宗我部のもとへ向かっていた。信雄は一人で母親の相手をする事になり嘆く。


「ぼやぼやしてないで、信孝の動きに合わせなさいね。夫の葬儀であれは爆発するわ」


 秀吉の挑発に耐えるように、勝家とて信孝に言い残していた。しかし目の上の瘤のような勝家が北へ帰れば、秀吉も当の信孝も黙っていない。秀吉よりも、聞き分けのない信孝に、きっと勝家は頭を悩ませていたことだろう。会合のために帰国を急いだものの、滝川一益や森長可の敗戦、撤退による影響で、上杉勢の反撃が再開されていた。都で秀吉が好き勝手に動こうとも、勝家はすぐに動かせる兵がいなかった。


「秀吉の‥‥というよりも義昭様を毛利へ残し和睦のお膳立てに使い、背後の憂いを一つ潰した、半兵衛の功績ですか」


「そうね。打てる布石は打っておく‥‥半兵衛らしいわ」


 半兵衛がどういう事態を想定していたのかまでは謎だったが、不仲の元将軍と秀吉が手を結べたのは、亡き軍師の力が働いていたようだ。勝家からも幕府再興の力になると、使いを出していたようだ。しかし義昭は織田家中の政争の道具にされるのは御免だと、突っぱねたらしい。信長や光秀のような、本気で安寧を求める気概などないのがわかったのだろう。


 秀吉の背後の憂いは長宗我部だけ。それは光秀が出向いて調整に向かっていた。勝家と秀吉の争いにちょっかいをかける機会の時期を変えるためだ。利三の事も伝えるつもりだ。


「私は信孝と一益を相手にせねばなりません。母上はいかがされますか」


「私は三条西家に戻るわ。ねねや藤孝と話をしておく必要もあるもの。利三の娘を預けたままだからね」


 秀吉と勝家の争いなど、帰蝶は興味がないように見えた。信雄は気まぐれな母のやりたいように任せて、自身は軍の編成を急ぐ。急速に高まる羽柴と柴田の関係の悪化。信雄と信孝の不和。発端は信孝かもしれないが、織田家中の誰も本気で止めようとするものはなかった。


 帰蝶は三条西家に向かうついでに、ねねに会いに行った。戦端が開かれるとなれば、勝家から使者が来るはずだからだ。柴田陣営には前田利家がいる。利家の妻まつは、ねねと仲が良い。ねねを通して、帰蝶はまつを味方に引き入れた。信雄は気づいていたようだが、あえて余計な口出しはしなかった。


 ◇


 秀吉は信長の葬儀を急ぎ、大体的に行った。勝家や信孝は招待すらされていない。秀吉側の目的は明白だ。雪で勝家が身動きの取れない間に、信孝を怒らせ叩くためだ。織田家中の将が動かないのは、信孝という人物の忍耐を試し見極めている面もある。雪解けの季節まで、秀吉のやりたい放題の無礼に乗らずに辛抱出来るのならば、織田の諸将は信孝について、秀吉を糾弾しただろう。


 しかし信孝は挑発に乗ってしまった。最大の支援者になり得る柴田勢が動けない時期に、戦いの口実を与えてしまったのだ。柴田側に出来たのは、時間稼ぎと友軍を増やすことくらいで、結果は見えていた。帰蝶が光秀に頼んで長宗我部家に向かわせたのも、柴田の話に乗って動いた所で間に合わないからだった。それよりも、次の大戦に備えて準備するよう求めた。


 どれだけ秀吉が備えていようと、戦の機微というものまで操るのは難しいものだ。大将の不在を突かれて戦線を保てるほど、秀吉の軍は強くない。軍の性質の問題だった。


 織田家の跡目を巡るお家騒動は、羽柴軍の勝利で終わった。頼みの柴田がようやく動き出したものの、勝家の慎重過ぎる性分を利用された。勝機を逃した柴田軍に勝ち目はなく、羽柴軍により壊滅させられた。


 信長亡き後の織田家の家督を巡る内紛に決着がついた。この一連の戦いで、織田家の旧臣の殆どが秀吉を主君と認め配下となった。


 様子を伺っていた周辺の敵対国や中立勢力も、秀吉の傘下に加わる事を表明する。臣従とまではいかないが、敵対行動を控えるようになる。徳川、毛利、上杉、大友など、かつて敵対していたり、同盟関係にあった有力な領主からも、戦勝を祝う使者が各地から送られて来た。


 秀吉に協力した丹羽長秀は柴田の旧領越前を、池田恒興は信孝のいた美濃に収まるなど、厚遇を受けたのは言うまでもない。ただ秀吉には思惑があった。天下の中心から小うるさい織田家の古参の旧臣を追い出したかったのと、石山本願寺跡を改修し、新たに大阪城を築くためだ。


 織田家にかわり羽柴秀吉による政権の確立で、天下は秀吉により治まる……そうみられている。武田は滅び、毛利や上杉は恭順を示した。しかし秀吉はふたつの懸念を抱いていた。明智光秀の首級がいまだ不明なこと、そして織田家の盟友であった徳川家康の存在だ。


 本能寺で爆死した信長は、葬儀という形で死を確定させた。信長の殺害は練りに練った策戦でもあり、首は上がらずとも抜かりはなかった。だが、光秀はどうか。処刑も行い、明智討伐は世に知らしめた。


 だがあれは仮のものだ。偽装でしかない。討てる時にさっさと始末し、謀反人の討伐時に代役を立て殺す方が確実────そう官兵衛などは訴えていたものだ。


 しかしそれは秀吉が許さなかった。秀吉に残る小さな誇り。そんな私情を挟んだ事により、光秀の首級を獲り損ねた。あの男が生きていたのなら、己を破滅させた秀吉を怨み、天下簒奪の真相を暴くために動くだろうか。秀吉は追従の世辞を吐く者達の、歯の浮くようなおべっかを聞き流しながら、思念に耽る。信長の意志を継ぎ、大阪城まで建てたいま、大勢は決したはずなのだ。消せぬ不安は、どこから生じるものなのか。それはやはり清須の会合だろう。


 秀吉は御殿内の居室へ戻ると、蜂須賀正勝と弟の秀長を呼び人払いをする。大っぴらに出来ない相談事をする時は、この二人が呼ばれる事が多かった。


「────秀長よ、どう思う」


 秀吉が聞きたいのは、三法師の件だと秀長も察していた。引き渡しをあれほど拒んだ蒲生が後ろ盾になる事を条件に、羽柴や柴田の両陣営に脅しをかける事も出来たはずだ。織田家の今後を決める大事な会合に、三法師を送り届けるというのは殊勝な心掛けだと褒めたい。


 しかし野心を持っていたのなら、ただ送り届けて終わりにするはずがなかった。堀秀政も三法師を預かった後に、会合への参加を望むのか尋ねていたそうだ。主君信長に愛された蒲生賦秀が高潔な武将だとしても、果たす役割の大きさをわかっての引き渡し拒否だったように見える。


「信雄殿が関わっていたのではないでしょうか」


 秀吉から求められているであろう、率直な意見を秀長は述べた。


「それはないだろうよ。三法師様を前面に出せば、信雄様の跡継ぎの目は消える。信雄様と賦秀は義兄弟なんだろう?」


 秀吉があまりに深刻そうな表情をするため、正勝があえて昔の粗野な口調で話す。正勝の言うように賦秀の妻は信長の娘だ。信雄とは義理の兄弟になる。


「いや、流石秀長よ。信雄のやつめ、三法師君の事を知っておったのじゃ。それで時間稼ぎをしおったのか」

 

「ですが、兄上。正勝の言うように、三法師様の存在を知らしめては、信雄様の血筋の優位は失われますぞ」


 織田の次男坊はうつけである、それが織田家中の共通認識だった。気まぐれで、我が儘で、信長も手を焼いていた。奥方さまのとりなしがなければ、勘当された数や期間は倍以上になっていただろう。


「於濃様か‥‥? いや、ありえんか」


 秀吉の脳裏にフッと浮かんだ美しい女性。信長の妻、帰蝶の姿だ。しかしすぐに否定し打ち消した。清須に戻り敵対し滅ぼした勝家らと、懐かしい思い出話に耽ったせいだと思ったのだ。当時は帰蝶も軍議に顔を出し、具申していた。帰蝶の実家である美濃の斎藤家を滅ぼしてからは、彼女の存在意義が失われ表に出る機会は減っていた。信長が愛した吉乃の子は帰蝶を慕うが、信孝など妾の子らとは仲がよくないと言われていたものだ。


 秀吉の妻のねねや利家の妻まつなどは、あまり女同士の話をしない。じっくり話合う暇もなかったのだが、半兵衛を失い天下人に手をかけた今、それが失敗だと気づいた。


「帰蝶様の行方は知れぬのか」


「あぁ。()()()()()で信長様と一緒に亡くなったのではないかと言われてる」


「私が調べた限りでは、帰蝶様も本能寺の茶会へお出ましになられたと聞きます」


 本能寺の戦いから抜け出したものは何名かいる。帰蝶の姿は確認されていない。あの戦いでは信長お気に入りの側仕えである森可成の子息たちは、身を挺して信長を守った。秀吉のもとにも、彼らが爆発前に討ち死にしていたと報告がある。同様に信長や招かれた客の世話をしていた女中が数名保護されたが、信長の正室帰蝶の姿はなかった。男では唯一弥助だけが逃れていたが、細川藤孝に、身柄を任せた。手出しさせないために、壊れずに済んだ茶器や宝物を弥助ごとくれてやった。


「なにか気になる事がおありなのですか、兄上?」


「杞憂で済めば良いのだが、光秀の首の行方と関係しているように思えてならぬ」


「確かに、あの戦は上手く行き過ぎたわりに、明智(あちら)の手勢の損失は微々たるものだったな」


 確証はない。なにより天下獲りは順調で、帰蝶や光秀らが顔を出そうと、盤面をひっくり返しても勝ち目はない。残るは秀吉の暗殺くらいだが、帰蝶も光秀も乱破を使って事を成す人物でもなかった。


「秀長、正勝。これから信雄討伐へ移るのだ。一応身辺の警戒は怠るでないぞ」


 三法師の養育の名目で信雄は勝手に安土に赴き、辺り一帯を我が物顔で治めようとしていた。織田信包や蒲生賦秀らから苦情も出ていた。秀吉からみて、何を考えているのか、本当にわからない人物だった。御しやすいと思って味方につけたが、すでに天下は秀吉の手に移っている。適当に理由をつけて口実とし、さっさと滅ぼすに限る、そう秀吉は考え行動に移すのだった。



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