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第六話 清須の会合


 信雄との会見を終えた家康は、帰路についた。そして影武者として行動していた正信や家臣団との日程を合わせて陣触れを行う。間に合わないと知りつつ、信長の仇討ちの為の兵を挙げるためだ。何も知らず虎口を脱し、織田家の方面軍と同じく知らせを受けて行動したように見せる。どれだけ急ごうとも、徳川軍や、北方の柴田軍などが駆けつける頃には、羽柴軍によって明智勢は倒されて駆逐されているだろう。


 それでも帰蝶との約束通りに家康健在の姿を見せる事、大義を持って動く姿を見せつける事を重視した。戦わずとも徳川家康という男の、義理堅さや信義は織田家中のみならず地方の実力者に伝わる。軍備を整え先発隊を動かしたあたりで、家康のもとに明智敗退の報が届いた。


「利三殿が逝ったか。失うには惜しい男だが、帰蝶様の為に尽くす事は本望だったろうな」


「はい。策のためとは言えど、利三殿は明智様の片腕。手痛い思いだったでしょう」


 家康は三方ヶ原で散った配下達の顔を思い出し、帰蝶や光秀の心の内を思いやる。籠城戦を避ける為に、武田軍は徳川方の補給線を潰しにかかっていた。今川の領地を吸収した武田軍は制海権を構築し始めていて、城に籠もっていれば浜松城は孤立して日干しされていたに違いない。


 三方ヶ原の戦いは、家康の若気の至りと揶揄される事もあった。しかしそれは戦の強さ弱さで見ただけで、大局が見えていないものの意見に過ぎない。織田の援軍も死を賭しての攻撃を繰り出したのは、武田が徳川領まで手にすると不味いからだ。徳川が屈すれば、織田家は陸と海双方を囲まれ万事窮する事になった。家康は改めて身代わりになった織田、徳川の将兵達と、利三の冥福を祈る。賭けに乗った以上、また同じ思いをする事になるだろう。その時は出来うる限り、熱き魂の者共を守ってやってほしいと、先に召された英士達に願うのだった。


「殿⋯⋯物思いに耽るのは早うございますぞ。織田家中で争う間に、北条と結び、勢力を広げませぬと」


「わかっておる。滝川殿には悪いが囮に⋯⋯我らの大望の糧にさせてもらうとしよう」


 ◇


 各地の織田軍にも、明智軍の敗北の報が広がる。伊賀まで進軍していた織田信雄は、蒲生と協力して織田家の生き残った人々の保護に回り帰途へついた。上杉と和睦し戦いを収めて帰京を急いでいた柴田勝家など、各地の戦闘を任されていた織田家の重鎮達が続々と織田領に帰還してくる。


 明智軍は都周辺から一掃され、都の警備は羽柴軍が代わりに務めていた。明智の残党狩りと称して羽柴軍直属の、厳しい顔の兵士達が巡回している。彼らは明智光秀が生きている事は知らない。ただ明智に縁あるものを連れ出せと命じられているだけだった。


 織田家当主の信長が亡くなった以上、次の当主を決める必要が生じた。織田家は比較的実力主義で成り立っている。信長が名目上とはいえ息子の信忠に家督を譲り、世襲を行う形を取った事で、織田家血筋による世襲をしていくと、内外にはっきり示すようになった。信長の生前に、そうして家中の統率と均衡を保って来た事もあり、柴田を始め実力のある重臣達皆が、信長亡き後の後継者を立てる事に賛同した。


 彼らの内心には謀反人、明智光秀を討ち取った秀吉や信孝への牽制の意味もある。とくに遠い戦場からいち早く駆けつけ、明智討伐を成し得た秀吉が調子に乗るのを抑えたい思いが皆の中にあった。


「熊さんとお猿の化かし合いね。信雄、三法師さまは保護したのね」


「あぁ……抜かりはないよ、母上。今頃は蒲生殿のもとに、行方を訊ねる使者が慌てて来ているはずだよ」


「随分な手落ちね。根切りから救った蒲生家に、いずれ感謝することになるわね」


 信長の跡継ぎとして、信忠が選ばれてから随分と時が経つ。実権を信長が握っていようと、信忠の為の地盤作りに時間をかけたように見えなくはない。織田家の諸将にも周知された結果、秀吉も信孝も功績があろうと我を通せる状態ではなくなっていた。


「あわよくば、ねね殿や織田の血族を根絶やしにしたかったのだな。苛烈な策は官兵衛か。本当の事を知ればあやつめ、後悔するぞ」


 禍根を断つ。天下獲りの上で、主筋の血族など目の上の瘤のようなものだ。理屈としては正しくとも、強引に押し進めては反感を買う。半兵衛の策をもとに時間をかけて計画を練り、天下獲りへの足掛かりを掴んだようで、実際何一つ得ていない事に、羽柴陣営も気がついたようだ。


 信長を排除してしまえば協力者達も、それぞれの思惑に従って自由に動き出す。帰蝶や光秀が危惧した乱世に逆戻りの未来が現実になろうとしていた。

 

 戦いのどさくさに紛れて安土の本丸、天守閣が焼失した。神になろうとした信長の痕跡を嫌った秀吉自身に天皇家や、宣教師達が結託して行ったと言われている。幸い安土は留守を預かっていた蒲生家が、信忠の遺児、三法師を守りながら退去した後だった。織田家によりようやく戻った天下静謐を、護られていた側が自ら破壊し戦禍の狼煙を揚げたようなものだ。明智の残党や信雄へ責任転嫁されたが、彼らには安土の一部だけ焼失させる理由もなく、そんな情勢ではなかった。



 織田家の今後の方針を決める軍議を持つ事になった中、安土城がそのような状態では集まるのは難しいとなった。そして重臣達の会合場所は都でも岐阜でもなく、清須で行われることになった。岐阜は明智の故郷が近く、危険と理由がつけられたためだった。


「明智の故郷などと苦しい言い訳に、皆が首を傾げていたようですぞ」


「私じゃないわ。久太郎が勝家達に説明するのが面倒になっただけよ。一益達に与えられた、武田の旧領が切り取り放題だもの。余波がどこまで来るのか分からないわよ? それに信雄の進言通り、都で無防備に網にかかりに行くよりマシね」


 帰蝶のもとには、北条家と滝川一益の決裂と会戦の報告が届いていた。


「家康殿と結び、戦端を開かせておいて、良く言いますね」


「力を残したまま戻って来ると信雄が困るじゃない」


 元々は信雄の家老としてつけられた滝川一益は伊勢に領地を持っている。武田滅亡時の功績を認められて武田の旧領を与えられたのだ。東部攻略を任され、柴田勝家に次ぐ重臣といえた。信長の訃報は寝耳に水の事態だったことだろう。北条と結び、柴田勝家らと連動して上杉を叩く予定が一転した。


「秀吉嫌いの一益ならば、味方になったのではありませんか?」


「勝家に勝たれると、後々面倒なのよ」 


「信孝ですね。もう少し賢い男だと思うておりましたが」


「あの子は信忠が生きて後を継いでも乱を起こしていたわ。賢しいけれども、身を滅ぼす典型ね。信雄くらいのうつけが丁度いいのよ」


「母上。それでは褒められた気がしませんよ」


「あら、うつけは私の褒め言葉よ。可愛い息子殿」


 真っ赤になって照れているその信雄の下にも、使者が来ていた。織田の跡目を決める会合に顔を出すように伝え、使者は帰った。


 清須にさせたのは羽柴勢に見つからずに船が使える理由が大きい。現在、保護した織田家の一族は日野にいると見せかけている。織田方の将に保護された者を、秀吉側は寄越せと言い出せない。明智の残党が逃れてくる事のない地でもあり、保護して来た者に対して、安全面の不安を並び立てるのなら、蒲生の治める土地の外を蟻一匹通さぬ布陣でもせよ、そう告げたからだ。


 戦も辞さない覚悟を見せられ、羽柴側は引くしかなかった。いまの羽柴軍と蒲生軍との戦いとなれば、いかに蒲生賢秀、賦秀親子が優れた武将であっても勝つのは難しい。


 しかし、羽柴軍には蒲生を攻める大義名分がない。積極的に織田家の者を救い保護していた事は既に織田家中にも広まっている。光秀の叛意の理由がいまだ不明のまま織田の遺族を守る蒲生を討てば、秀吉こそ主家の簒奪を計った逆賊なるだろう。


 蒲生側の頑なさは、そうした事実を計算していた。実際保護すべき対象がいようといまいと、自分達の実力を侮られぬよう、引き渡しは断っていたに違いない。


「信雄殿との約定は守った。後は空駕を堀殿へ向けるだけだな」


 信雄が手配し、蒲生家から、久太郎こと堀秀政へ預ける事になっていたのだ。賢秀と賦秀は、あとは清須会合の成り行きに任せて好きにして構わないと言われていた。


 蒲生家は秀吉の天下獲りが果たされるまで、羽柴家に味方して動き信頼を勝ち得る事になる。その要因の一つがこの清須会合前までのやり取りと、秀吉に有利な存在を送り届けた功績の大きさによると言われる。しかし明智方の城や後に信雄側の拠点を率先して叩きに向かったのには、彼らなりの算段が働いたのは間違いない。


 信長が褒め称えたという蒲生賦秀の才能。それは最終的な勝者の歴史に名を刻まれ頼られていたことで明らかになるだろう。その才覚は、信雄を通して帰蝶の影を感じ取っていたのかしれない。


 ◇


 清須に集まった織田家中の重臣、実力者達は、始めは亡き信長を懐かしみ、競争相手である者同士とはいえ、協調し合あおう空気すら流れていた。しかし次第に長引く会合にうんざりしだしていた。明智討伐を成し遂げた羽柴秀吉が大きな顔をするかと思われた。だがそれ以上に功を過大に主張する織田信孝に対して、長幼の序を説き跡目を継ぐ意思を表明したのが織田信雄だった。


 亡き信長の意向を継ぐというのであれば、信忠に次ぐのは信雄になる。いっそ秀吉や丹羽長秀と共に謀反を鎮めたのが信雄なら話は早かった。うつけと呼ばれた信雄ならば、操りやすい。才能は信孝が上でも、父──信長程の器がないのは重臣達の目にも明らかだった。大身の領主となった彼らに野心はある。だが織田家を盛り立てることで、このみ自領の安泰をはかり、天下静謐を目指す事は悪くないと思っていた。信孝の中途半端な賢しさが、逆に政権を握り安定を:求めたい者達にも鬱陶しく映るのだった。


 柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興、織田信雄、織田信孝、それに進行を務める堀秀政だ。滝川一益は出遅れたのと、北条氏との戦いにより敗戦し、苦労して得た旧武田領を失ったため除外された。前田利家や佐々成政などもいない。


 主君信長の奇行を嫌い、過去に信行を持ち上げ反旗を翻した事のある柴田勝家。佐久間や林といった織田家古参の重臣が改易された中で、この猛将が最前線の総大将を務めているのは、慎重さゆえだ。


 長引く会合も、結論が出始めていた。謀反を起こした明智軍と共に戦った信孝を秀吉は正統性を理由に拒否し、池田と共に信雄を推したのだ。秀吉を警戒する柴田と丹羽は信孝を推す。結論を出そうとすると、秀吉がそうして意見を変えるために長引いたわけだが、池田恒興が羽柴秀吉に追従する理由が謎だった。休息時に長秀は恒興に考えを聞いた。


「このままでは拉致があかぬ。秀吉にそこまで付き合う義理などあるまい」


 長年共に苦労して来た恒興への不満を少し述べ、長秀は暗に自分達の側につくように告げて、決着を求めた。


「まあ、待て。不確かだが、秀政から結論を急ぐなと頼まれたのだ。秀吉の事は別として、あの兄弟は仲が良くない。どちらを立てても選ばれぬ方が不満から騒ぎを起こすと思わないか?」


 恒興からそう問われると、長秀も黙る。信雄が何を考えているのかはわからないが、信孝は明らかに劣等意識から、上に立ちたい剥き出しの野心を感じた。それでも選ばざるを得ない。


「あの兄弟が柴田と羽柴を巻き込み争うのは目に見えている。だが双方が納得する正統性があれば、争いは抑えられるやもしれん」


「それは噂通り、信忠様のお子が無事だったということか?」


「あぁ。蒲生殿がお守りし、秀政へと預けたそうだ。秀吉も三法師様が跡目になる分には会合の決定に従うと言っておった」


「つまり儂がそちらにつけば解決するわけか。そなたの事……それで終わりではあるまい、秀吉」


 長秀は目の前で話す恒興ではなく、隣室に控えているであろう男に声をかけた。好きか嫌いかは別として、この会合にいる者は皆、織田家の家臣として長い付き合いだ。角が立たぬように、長秀との話の場を恒興に頼むのは秀吉なりの配慮でもあった。


 明智討伐を共に行った長秀は、警戒しつつも秀吉の功績を認めている。功には報いるべきだろうが、明智の討伐は見方を変えるとただのお家騒動である。信忠の遺児三法師を立てるにしても、与える領地などなかった。


「人が悪いですな、長秀殿。少々の芝居は黙認するという事でよろしいか」


「もともと会合の話は儂が持ちかけた事。そなたが家中をまとめるために協力するというのならば、この際、不穏の種を撒くのに否とは申さぬ」


「恒興殿、これで三名いや三法師様御本人を入れて四名だ」


 秀吉はニヤリと恒興と長秀に笑いかけた。秀吉自身は誰が織田の跡目を継ごうが問題なかった。それこそ養子として迎えている秀勝でも良かった。会合が長引いた要因はむしろ秀吉が自分の子であり信長の遺児であり、功績のある秀勝を推さなかったせいだ。


 会合に参加した一同が、肩透かしを食ったのは言うまでもない。織田家中の今後を決める重要な役割を果たすはずの長秀も、秀吉に思惑を外され警戒した。少なくとも秀吉自身の野心はともかく、主家を直接害する真似は避けた。これは信長の苦労を知るからであろう。


 だが、その後の話は別だ。会合の取り決めで、明智の旧領を得た秀吉は、譲歩し譲る事になった居城、長浜を取り返したいはずだからだ。共に仇討ち合戦を戦った信孝に挑発的なのも、不穏な動きを煽って戦の口実にするためだろう。


 長秀の黙認は、今後起こるであろう織田家の頭領を巡る争いで、秀吉側につくと明言したようなものだ。恒興も気持ちは同じだ。信長の乳兄弟であるのに秀吉につく理由は、上杉攻略に失敗し与えられた武田旧領から逃れて来た、婿の森長可の復権のためだろう。


「秀吉めの姿が見えぬが」


 会合が再開された。会議の場に秀吉の姿がないことを勝家と信孝が不審に思い、長秀に問う。


「織田の正統なる主君を、お迎えに行ったようだ」


「何?」


 長秀の言葉をなぞるように三法師を抱きかかえた秀吉がやって来て、かつて信長が座っていた上座へと立つ。不敬‥‥そう言いかけて勝家は、三法師の登場の意味を理解した。勝家の腸は煮えくり返っていたであろう。信孝は露骨に舌打ちをした。信雄だけは、芝居がかった秀吉の立ち振舞を見て、無関心に欠伸をしていた。


 散々揉めた清須の会合は、三法師の登場で、簡単に幕引きとなった。


「予定通り、私が三法師の養育権を得て、信孝にいったん預けました。あと、ここは私の城。あまり堂々と寛がないでもらいたいものです」


 松ケ島城に戻ると、優雅に茶を楽しむ帰蝶と光秀の姿があった。


「いいじゃない、私はともかく光秀はこれから忙しくなるのだから」


「姫。それは信雄も同じだ」


 二人から恨めしそうに見つめられても、帰蝶の顔は涼やかだ。


「秀吉の様子は?」


「私に何か言いかけましたが、あちらも探られるのが嫌そうでしたね」


 秀吉に都合良く事が運び続ける事に、策の成功を単純に喜べなくなったようだ。羽柴側の家臣団の意見通りに、強行策に出るべきだったのではないか、疑心暗鬼になっていた。


「信孝と勝家が争う間に、こちらも動くわよ」


 ため息をつき、頭を抱える光秀と信雄の背中をポンッと叩きながら、帰蝶は唯一人にこやかに呟いた。

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