第18話 心を満たすもの
送り込まれるのは、姫ではなく“刺客”。
指摘されればなるほどと思わないでもないけど、いくら何でも突飛に過ぎる。
それこそ、ネイローザくらいの腕利きでなくてはならないだろう。
(まあ、指摘されなければ、それと気付かなかったわけだし、隙を晒す事もあっただろう。でも、今は違う。また君が教えてくれたね)
先程のネイローザの一撃がまさにそれだ。
女児でも扱えそうな小振りな剣ではあるが、その気があれば間違いなく僕の命を絶ち切れたであろう一撃。
まだ首筋にはひんやりとした金属の感触が残っているし、それ以上に心胆寒からしむ黒薔薇からの忠告だ。
僕の心にまた一つ、君からの教えが刻まれたと言ってもいい。
それこそ、不意さえ突けば、大きな力なんていらない。一突きで絶命させることができる。
だから気を付けろ、そういうわけだ。
君は少しばかり俯き、申し訳なさそうにしているが、珠玉に勝る教訓を示してくれたのだ。
何も気に病む事はない。
「だがな、息子よ、“標的”を“刺客”が刺す方法なんぞ、それだけではないのだぞ」
ネイローザへの感謝と若干の安堵でニヤつく僕に、父がまた窘めてきた。
本当に忙しない。気の落ち付く暇もありゃしない。
「そもそも、ネイローザが特殊な事案過ぎるのだ。こんな腕の良い剣士、いると思うか? それも女で、だ」
「寡聞にして聞き及びませんね」
まあ、そりゃそうだ。
そもそもこの国でさえ、ネイローザに勝る剣士はいない。
彼女自身、“百年の研鑽の先にある”とまで自評している。
その言に嘘も誇張もない。毎日僕がボコボコにされるのが、その証拠だ。
二回りは余裕で大きい僕との体格差すら、彼女は問題にもしていない。
こんな剣士がゴロゴロしていたら、それこそ世界が変わってしまう。
「まあ、これから嫁いでくるであろう姫君が、そんな凄腕だとは思いませんし、不意さえ突かれなければ問題ないのでは?」
「いいや。むしろ、そちらの方が厄介。何も“武器”が剣だけとは限らん。心を斬る事こそ、最強の極意なのだぞ」
「心を斬る、ですか?」
「単純な話だ。そうさな……、もしお前がどうしてもとネイローザに、何か頼み事をされたとしよう。それを無碍に断る事はできるか?」
突如として投げかけられた意外な質問に、僕は心の中で「無理!」と答えた。
彼女は僕に要求や頼み事をするような性格ではない。
もちろん、指南役としてああしろこうしろと言う場面はある。
それはあくまで教師と教え子としての関係であって、人と人、あるいは男と女の関係ではない。
立場と言うものもあるし、“騎士”である彼女が“王子”である僕に、要求や依頼などと言うのは有り得ない。
有り得ないからこそ、もしそれが起こった時の重みが違うのだ。
あとは、惚れた弱みと言うのもある。
父の鋭い指摘は、まさに“それ”を窘めているかのようだ。
見透かされたようで、はっきり言って気分が悪い。
「そういうことだぞ、息子よ。お前が嫁いでくる姫に惚れ込み、骨抜きにされるという手もあるのだ。女にうつつを抜かし、篭絡された男の末路はどうなるのか、歴史がそれを教えているではないか」
「……僕もそうなると?」
「だから、そうならないように気を付けろ、ということだ。ククク……、案外、あちらはそれを見越して、“閨での秘技”を教え込んでいるのかもしれんな~」
「今は九歳の女児ですが?」
「年齢なんぞ関係ない。先程も言ったが、あちらは追い詰められている。ならば、どんな手段に訴えて来てもおかしくはない」
「はっきり言って悍ましいですね。父上は実に想像力豊かだ」
確かに、僕にはなかった視点であり、思考だ。
それに対して注意を促す父もまた、十分に変人の類なのは言うまでもない。
しかし、新しい視点を授けたという点では無視できない。
(そうだよな~。古来から、秘密が漏れ出る理由の二大巨頭は“金”と“女”だって、相場が決まっている。金を積まれて、機密を売り飛ばす。女にうつつを抜かして、隙を晒す。歴史を紐解けば、そうした事案はゴロゴロしているもんだ)
歴史を教訓として、バカバカしい隙を作るなよと諭しているのだろう。
相変わらず、僕をイライラさせるが、父の言葉はいつも正論だ。
姿形が女の子であろうとも気を付けろ。“刺客”にも、“娼婦”にもなり得るのだから、と来た。
(だが、それこそ杞憂と言うものだ。だからこそ、僕はイラついている。だって、そうじゃないか。 僕がネイローザ以外の女性に惚れるとでも思っているのか? バカバカしいにも程がある!)
目の前にいる『黒薔薇の剣姫』以上の女性なんているわけないのに。
たとえ、嫁いでくる姫君とやらが、どれほど見目麗しく、“床上手”であろうとも、僕の心はすでに満たされている。
ネイローザ、君によって、だ。
隙を作るな、という父の言い分も理解できる。
だからこそ、僕には隙が生まれない。
もうネイローザへの惚れ気で埋め尽くされているのだから、他の女性の色香なんぞ、鼻で笑って流せるというものだ。
実際、先程のダンスの練習相手の美しい女官にすら、心も体も一切合財ピクリとも反応しなかった。
見目麗しいと感じはするが、それ以上にすぐ近くにネイローザが僕を見つめていたのだ。
どんな色香もたちどころに無力化する、黒い薔薇の棘が僕を刺す。
痛くはあるが、正気に戻る。戻してくれる。
ただ、ネイローザとの過ごす時間を潰されたという、苛立ちだけが募る結果に終わったのだ。
(父上、言葉には出しませんが、断言できます。僕の心の中には、ネイローザ以外の女性はいない。あなたの心配や予想は杞憂だ、とね!)
そうだ、絶世の美女が嫁いで来ようと、僕の心が揺れる事はない。
僕にとっての一番は、ネイローザなのだから!
美しいとか、気が利くとか、そういう話はとっくの昔に通り過ぎている。
僕にとって、ネイローザが一番だからこそ、何よりも求めているんだ!
~ 第19話に続く ~