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普通のおっさんの非日常体験

【普通のおっさんの非日常体験 番外編】疲労回復

作者: れいも

 鈴駆 華(すずかけ はな)は、疲れていた。


 普段の業務をこなすのは問題ない。適度に休憩もとれている。それなのに疲れているのは、たった今、クレーム対応をしたからだ。


 事の発端は、依頼に対応して請求書を送り、振り込む場面になって第三者が出てきたことだった。

 これは決して、珍しい事ではない。

 だからこそ不備のない、表沙汰にされても問題がない、完璧な契約書を作っている。そして依頼料の支払いについても、本人のみならず直接関わってきそうな人間にも説明し、同意を得ている。

 それなのに、こちらが把握していない依頼人回りから、クレームが来ることがある。それも、大体が支払いの場面になってだ。

 一番多いのが「高すぎる」であり、次に出てくるのが「意味が分からない」だ。

 困っていたのは、クレームを言ってきた者ではない。傍から見れば「意味が分からない」し「高すぎる」だろう。そこは一応、納得はできる。

 しかし、それらはすべて依頼者とその周りの者が納得した上で行っている請求だ。無関係ともいえる人間の出る幕ではない。

 それなのに、クレームを出してくる。多いのが親戚、別れた配偶者、疎遠になっていたはずの子どもや親だ。


 今回は、疎遠になっていた子どもだった。

 遠方に住んでいるという理由から、実家に帰るのは年に一度あるかないかの状況で、親がどれだけ相談しても「気のせいだって」と取り合わなかったという。

 請求書を送った段階でようやく関わるのも、おかしな話だ。

 それでも、クレームを出す方はそれが正しい事だと思っている。こちらが胡散臭い商売をしており、その胡散臭い商売に両親は騙され、自分が代わって正しているのだと。


「もっと早くかかわってくれていたら、違ったのでしょうけれど」


 華は呟き、大きなため息をついた。

 書類の不備はなく、向こうが言っていた「出るところに出る」としたとしても、全く問題はない。出すだけ時間と金の無駄にしかならない。

 そう言った説明を何度しても、納得しない。


「いっそ、そちらに転換させましょうか、と言ってやればよかったかしらね」


 ふふ、と華は苦笑する。

 華がいる応接室は、浄華ビルの上階の方にある一般向けのものだ。普段いる場所とは勝手が違い、落ち着かない。

 かといって、一般人を中枢には案内できない。表向きのオフィスを使わなければどうしようもないため、こうして落ち着かない応接室に座っている。

 テーブルの上には、コーヒーカップが四つ。依頼者夫婦と、クレームを出した子のものだ。


 一つ一つ丁寧に、一体何が起こっていたか、それに対してどう処理したか、これから同じことが起こらないためにどうしたか、など細やかに説明した。依頼者である夫婦は納得し、体感したものだから素直にうなずく。

 だが、子の方は納得しない。見ていないし、体感していないから、納得できないと言い張る。

 最終的には、依頼者夫婦の方がキレた。いい加減にしろ、お前は部外者だ、と言い放った。応接室で繰り広げられる親子喧嘩は、傍で見ていて面白いものでもない。

 依頼者夫婦は丁寧に謝罪し、ひきずるようにして子を連れて帰られた。依頼料も、この場で払っていただいた。子はぎゃあぎゃあ文句を言っていたが。


 華は息を大きく吸い込み、気合を入れて立ち上がる。この応接室にとどまっているから、余計に疲れていくのかもしれない。

 応接室から出、表向きの浄華秘書に片付けをお願いし、何かあれば連絡をと告げてビルを後にする。


「どうしようかしらね」


 ううん、と伸びをして時計を見る。ちょうど昼に近い。いっそ昼ご飯でも食べに行けば、気分転換になりそうだ。


「あれ、鈴駆さんじゃないですか」

「あら……こんなところでお会いするなんて」


 華はそう言って微笑む。社員でもある桂木 圭(かつらぎ けい)が連れてきた男だ。

 厄付という厄介な性質を抱えているのに、どこか飄々として、それを思わせない、不思議な空気がある。


「営業ついでに、お昼でも食べようかと思いまして」

「奇遇ですね。私も、お昼を食べようかと」


 華が答えると、彼はじっと華を見つめる。


「もしかして、お疲れですか?」

「え」

「いや、気のせいならいいんです。なんとなく、そうかなって思っただけなので」


 華は「そんなこと」と言いかけ、観念したようにうなずいた。


「ちょっとだけ、疲れる案件がありまして」

「それはいけませんね。仕事からくる疲れは、思った以上にしんどいものですから」


 こくこくと頷きながら、彼は言う。営業という職業柄、同じとまではいかないが、クレーム処理を行っているのだろうことは想像できる。


「それなら、がっつり牛丼を食べに行きませんか? 私はこういう時、牛丼をがーっ! とかき込みながら食べるんです。卵乗せちゃったりして。一気にお腹がいっぱいになると、妙にすっきりするんです」


 にこっと笑いながら言う彼に、華は面食らう。


——もしかして、自分を、牛丼屋に誘っている……?


 華は今まで、そんな人間に出会ったことはない。いやなことがあったと伝えれば、決まって連れていかれるのは高級な食事処やバーだ。高くておいしいものを食べれば、気持ちも晴れると。

 だが、それで気が晴れたことはない。ゆっくりと高いものを食べても、おいしいと思う前に嫌なことを思い出してしまうからだ。

 しかし、どうだろう。目の前の男は、牛丼をかき込めと言っている。食事処やバーでもなく、チェーンの牛丼屋を勧めてきている。


「ぎゅ、牛丼っ……!」


 こらえきれず、華は笑う。

 男は笑う華をぽかんと見つめたのち、はっと気づく。

 疲れている女性に、しかも綺麗で肩書も持っている人に、勧めるべきものが牛丼ではないという事を。


「すすす、すいません! つい、その、自分の感覚で言ってしまって」

「いえいえ、なんだか、すっごく楽しくなっちゃって。行きましょう、牛丼。なんだか、食べたくなってきちゃいました」


 華が言うと、彼は「すいません」と言いながらも嬉しそうに笑った。気持ちが届いて嬉しい、と言っているようだ。


(朗らかな気持ちだわ)


 華は思う。一緒にいて、気持ちが落ち着いているのを感じる。気を張り詰める必要がないと、思わせる。

 だからこそ、桂木は彼を連れてきたのかもしれない。


「ちなみになんですけれど、牛丼をお断りしたら、他にどこを案内してくれましたか?」

「あ、ええと、そうですね。定食屋……いや違う、ラーメン、も違う。あ、ええと、どうしよう……あ、パスタ! パスタのお店がありますよ!」


 悩んだかと思えば、ぱあっと明るく言う男に、華はもう一度声を出して笑った。心から「いい事を思い出した!」と言わんばかりに笑顔になるものだから。


「あの、その、なんか間違えちゃいました?」

「すいません、笑ったりなんてして。桂木が、あなたと一緒にいる気持ちが分かりまして」

「そうなんですか?」

「はい。うまく説明はできないんですけれど、今、妙に納得してしまって。それがなんだか、おかしくて」

「ええと、褒めてます、よね?」

「もちろんです」


 それはよかった、と男は胸をなでおろした。華は「こほん」と咳ばらいをし、彼に向かって微笑んだ。


「よろしければ、牛丼の後にコーヒーでも飲みに行きませんか?」

「いいですね。ただ、私はあまりこの辺りの店を知らないので、コーヒーを飲む店はお任せしても良いですか?」


 うまい言い回しをする男に、華は「お任せください」と答えた。

 しかし、まずは牛丼だ。

 彼の言うように、卵を乗せて、ガーッとかきこんでやろうと、心に決めた。

 その後、ゆっくり落ち着く喫茶店に連れていこう。そうすればきっと、先程まで抱えていた疲労は、なくなっているような気がする。


「あの牛丼屋の漬物、私、好きなんですよ」


 目的の牛丼屋について、にこにこと話す男を見て、華はほっと息を吐きだした。

 ため息ではなく、安息を。


<疲労は少し軽くなり・了>

「白色の鎧」後くらいの、華とおっさんの話です。

牛丼はトッピングつけると、妙に豪華になった気がします。

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