1.「わたしと結婚してください」(2)
両親と侯爵夫人にうながされ、乃彩はすぐに桜内侯爵と婚姻の手続きをとった。彼の呪いが解け、怪我が治癒したら離婚することを前提に。
つまり、結婚の約束を婚約というならば、離婚の約束をした離婚約と呼ばれるものである。
高校生でもある乃彩は、学校の帰りに桜内侯爵家の屋敷へと寄る。そこで侯爵に解呪と治癒を施し、それが終わると自宅に戻る。結婚したといっても、本当に書類だけの家族。書類上は卯月乃彩から桜内乃彩に変わったが、学校では卯月のままで通していた。これは、学校側も特例で認めた。むしろ、四大公爵家の卯月家に逆らってはならないと、そんな通達が出ていたのかもしれない。
それでも乃彩が結婚している事実は、あっという間に学校中に広がる。
そして結婚して二か月後――
乃彩は桜内侯爵と離婚した。乃彩の懸命な治癒行為によって、起き上がって動き回れるまで回復したためである。
乃彩と離婚した桜内侯爵は、元サヤに戻るだけ。それも書類上だけの話で、あの屋敷内では書類上は赤の他人の男女が暮らしていたのだ。
桜内侯爵も侯爵夫人も、乃彩に感謝した。感謝してもしきれないというような、それだけ熱い言葉をかけてもらった。
しかしその数日後、琳が桜内侯爵家に莫大な報酬を請求していた事実を知る。
それからしばらくして、琳は乃彩に、若梅男爵と結婚するようにと命じてきた。若梅男爵は幸いにも独身であった。乃彩の能力を欲していたのは、若梅男爵の妹である。産後の肥立ちが悪いところに、霊力が不安定となり、生死の境目をさ迷っていた。
他の術師が治癒に挑むものの、なぜか彼女との霊力の相性が悪かった。そこで呼ばれたのが乃彩なのだ。若梅男爵と結婚することで、その妹も『家族』になる。産まれたばかりの彼女の赤ん坊を母なき子にしないためにも、乃彩は治療を施した。
そして一か月後、乃彩は離婚した。若梅男爵のほうは、本人も独身であったことから、この婚姻関係を続けたかったようだが、それを断固として断ったのは琳と彩音だ。
乃彩が結婚してしまうと、乃彩の力を自由に利用できないから。
若梅男爵はかなり渋ったようだが、当初との契約違反をするのであれば多額の違約金を請求すると琳がつきつけたことで、彼も離婚届に判を押した。あの違約金を支払う財力など、若梅男爵にないのを知っていて、琳は提示したのだ。
三回目の結婚は、乃彩が十七歳になってから、高等部二年のときである。やはり、解呪のために結婚をして、それが終わると離婚した。
だから、今回は四回目だった。
同じクラスの春日部茉依は、高等部卒業後は、婚約者の日夏徹と結婚する予定であった。他にもそう言った同級生は何人かいたし、それが珍しいことでもなんでもない。むしろ女性術師は二十歳までに結婚しないと、いき遅れとか影でこそこそと言われ始める。
その茉依が乃彩に泣きついてきたのは、今から三か月ほど前。
今年で二十四歳になった徹は、街中を荒らす屍鬼の討伐隊の招集を受け、それに参戦した。屍鬼とは死者にとりつく鬼のこと。屍鬼は死体にとりつき、死体を己の身体として、人間を狩る。
その日は満月で、屍鬼を一か所の廃工場にまで追い込んだまではよかった。その廃工場に結界を張って、外部へ影響を出さぬようにしながら屍鬼を倒す。
しかしその屍鬼の力が思っていたよりも強く、徹は大怪我を負った。他にもちらほらと怪我人は出たようだが、その中でも徹だけが重傷であった。
茉依は卯月家の噂を耳にしたのだろう。徹を助けてほしいと、乃彩に泣きついてきた。乃彩にはそれを決める権限がない。だから、父親に相談してほしいとだけ告げる。
その結果、乃彩が四度目の結婚をすることになったのだから、琳と茉依の間で契約が成立したにちがいない。そのときに、報酬について話が出たはずなのだが。
しかしあのときの二人の驚きようを思い出すと、この金額を支払う必要はないと思っていたのかもしれない。琳も言ったように、今回の報酬は彼には珍しく値引きされている。
たいてい、婚姻関係が一か月につき一千万円を要求する。徹との場合はそれが二か月だったから、単純に見積もっても二千万円。それが半額なのは、どういった琳の意図があるのか。
それだけ法外な金額をふっかけるのは、乃彩に離婚歴がつくからだ、と琳は口にしている。本来であれば、乃彩の力に頼らないのが一番よい。乃彩の力は卯月家のためにあると、彼はよく言っていた。
実際、十六歳になるまでは乃彩は琳と彩音のみにその力を使っていた。双子の弟たちが術師として仕事をこなすようになれば、きっと彼らにも使うときがくると、そう思っていた力である。『家族』を守るためにある力。
それをこのような方法で、他の者に使う日が来るとは思ってもいなかった。
茉依は怒っているだろうか――
この札束も、二人の結婚式のために用意されていたものだろう。親や親戚に泣きついたようだと、そんな話も聞こえてきた。
卯月家の癒しの力を私的に使おうとしたから仕方ないと言う者もいれば、彼らに同情的な声も聞こえてくる。
挙句、卯月公爵は金にがめついだの、娘を金のために利用しているだの。それは、真実だから仕方ないのだが、口にすれば何をされるかわからないので黙っておく。
教室に入ると、いつもと違った視線が向けられた。人の顔を見ては、他の人とこそこそと何かを話す同級生たち。
この状況はよくない兆候である。
過去にも何度か経験をしたことがあった。そのときはまだ祖父母も健在であったし、卯月公爵家の権力をかざせば加害者の親が動いて事なきを得た。
しかし今は違う。祖父母は亡くなり、今の卯月公爵家は金の猛者に成り代わっている。
――ビッチ。
そんな声が聞こえてきた。それがよくない言葉であり、乃彩を誹謗しているのはわかる。
――いったい、何人旦那がいるんだよ。