1.「わたしと結婚してください」(1)
この世には、人の悪意を利用する『鬼』がいる。鬼に魅入られた者は、悪意の塊を増長させ、人を騙し人から奪う。奪われるものは大事な人であったり、その命であったり、人以外のものであったりと、さまざまなもの。
鬼からこの国を守るため、各家の術師が手を組んだ。術師とは霊力を備え、鬼のような人ならざるものと対抗できる力を持つ者。この霊力を備えた術師の血筋は、術師華族と呼ばれ術師特有の爵位を持つ。
四大術師公爵のうちの一つ、卯月家。均衡のとれた四大公爵であったが、ここ数年、他の三家よりも頭一つ抜きんでている。
当主の卯月琳には四人の子がいた。長女の乃彩は解呪と癒しの能力に長けており、卯月家が発展したのも彼女のおかげともささやかれている。
「さすが、私たちの自慢の娘ね」
辛うじて十代で乃彩を産んだ母親の彩音は、まだ二十代前半にしか見えない美貌の持ち主である。艶やかな黒髪は真っすぐに腰まで伸びており、まさしく美魔女という言葉が似合う。そんな彼女の手の中にあるのは、札束だ。
両親のこの姿を目にするたびに、乃彩の心はギシギシと軋む音を立てた。
ふっくらとした頬の丸顔の乃彩は、実年齢よりも幼く見えるものの、母親と同じような長い黒髪が彼女の妖艶さを際立たせ、父親と同じ切れ長の目が冷たい印象を与える。
家族団らんの時間。吹き抜けのリビングは解放感にあふれており、ガラス張りの向こう側には夜景が見える。明かりをともす建物によって、夜だというのに空はほんのりと明るい。乃彩はその空をぼんやりと見つめていた。
「だけど、不便よね? 家族にしか使えない能力だなんて」
それは彩音の本心ではない。むしろ、そういった制約があることで能力に価値が高まっているのを喜んでいるのだ。
「ですが、十七歳にして離婚歴が四つもつきました。この先、乃彩がまともな結婚をできるかどうか……それが心配なところですね」
それだって琳の思惑通りであるのに、乃彩を心配する素振りだけ見せる。
「へぇ、お姉ちゃん。また離婚したんだ。それ、慰謝料?」
一つ年下の妹の莉乃は、棒付きアイスを食べながらけらけらと笑う。くせ毛の彼女は、髪を伸ばすとわかめのようになるため、いつもショートヘアにしている。莉乃の髪は琳に似た。
「慰謝料ですか。それを忘れていましたね。まあ、今回は依頼料だけでこれだけふんだくれたのだから、大目にみましょう」
琳の言葉に、莉乃はニヤリと笑う。
乃彩と莉乃。年子の姉妹。術師華族の血筋のみが通うのを許されている、星暦学園の高等部に通っていた。この学園は幼稚舎から大学までの一貫教育を掲げており、普通に勉強をしながらも術師としての霊力を高めるのが目的でもある。
高等部三年の乃彩は、来年は大学への進学を控えている。
だが女性術師は、高等部を卒業したら同じ術師の誰かと結婚するのが一般的で、幼い頃から婚約者が決まっている者も多い。それは、女性術師は術師を育てるのが役目であるからだ。社会的性差をなくそうと叫ばれている昨今、術師界隈の考えはまだまだ古い。
それでも乃彩のように解呪や癒しなど、何かの術に特化している術師は例外でもある。大学へ進学し、さらなる霊力を高め、他の術師の補佐に入ることも許されるのだ。そして両親は乃彩にそれを望んでいた。
むしろ、結婚なんてしなくてもいいと言うかのように――
「で? お姉ちゃん、今回で何回目の離婚だっけ? 四回目? てことはバツが四つついた? その年で?」
ソファの背もたれに限界まで寄り掛かり、足まであげて大げさに笑う莉乃を「行儀が悪い」と咎める者はいない。
「こら、莉乃。誰のおかげでこのような生活ができていると思っているの? 乃彩のおかげでしょう? これからも乃彩には頑張ってもらわなければならないのに、そのような言い方をして」
彩音の口調は、まるで幼子を「めっ」と叱るかのよう。実際に、十歳になった双子の弟を叱るときは、そんな口調である。そして双子たちは、とっくに寝ている。
乃彩は、両親と妹の言葉を右から左へと聞き流した。
彼らにとって、乃彩は金儲けの道具。術師としての解呪と癒しの力を金儲けに使っている。それは、乃彩の力が『家族』にしか使えないからだ。乃彩が解呪し、癒せるのは『家族』のみ。厳密には、二親等以内。祖父母と兄弟、孫まで。乃彩にはまだ子も孫もいないから、実際の範囲は祖父母と両親、そして弟妹のみとなる。
だが霊力の強い乃彩は、他の術師では太刀打ちできない呪いでさえも解呪できるし、瀕死の術師を癒せる。実際に、琳は何度も乃彩に助けられた。
そしてその能力を、他の術師にも使ってほしいという要請がくる。そうなると『家族』という制限が枷になった。
乃彩が十六歳になった頃、突然、琳が乃彩に結婚するようにと言い出した。この国では術師華族のみ、十六歳になれば結婚が認められているからだ。これも古い考えを引きずっているようなもの。
しかし、成人は十八歳であるし、術師華族以外の者は十八歳にならないと結婚ができない。その間の術師華族の結婚は、親の同意が必要となる。
はじめての乃彩の結婚相手は卯月の分家である桜内侯爵家の当主であった。
年は三十歳を過ぎていて、むしろ父親に近い年齢である。彼は術師として屍鬼討伐に参戦し、瀕死の重傷を負った。呪術医の手にも負えず、何もしなければ一日以内に亡くなってしまうような、治療を施しても数日以内に亡くなるような、そんな状態だった。
その彼を助けるために、今すぐ結婚するようにと琳が言った。結婚すれば、桜内侯爵は乃彩の『家族』になる。
しかし桜内侯爵はすでに結婚をしており、幼い子もいた。それなのに彼を助けるため、彼の妻は一度離婚をし、乃彩と桜内侯爵の結婚を認めると言うのだ。それで彼の命が助かるならば、と。
そこまで決意した桜内侯爵夫人を、乃彩は見捨てることができなかった。