4.「彼女は俺の妻だ」(3)
満面の笑みでそう言われてしまえば、遼真も脱力してしまう。この緊迫した空気の中、彼女の周囲だけはおっとりと時間が流れている。
「婿殿。乃彩が無事であるなら、力を貸しなさい」
「お父様?」
彼女は、その場に琳がいるのを、信じられないといった表情で見つめる。
琳の前には、軽く見積もって十体ほどの屍鬼が群がっている。
「遼真様の呪いは、屍鬼を寄せ付けます。ですから、むしろ、あちらの方をお願いします。屍鬼はわたしたちにお任せくださいませ」
乃彩の視線の先には、階段を駆け下りて逃げようとする人間がいる。
屍鬼も気になるところだが、ここは乃彩を信じるしかない。
逃げようとする二人の人間のうち、足の遅い女を狙う。射程圏内に入ったところで霊力を足元めがけて放つ。
「あっ」
足がもつれて転んだ女に、男も駆け寄ってきた。そこを霊力で捕縛する。
「君たちが、乃彩をさらった犯人か?」
身動きできず、尻餅をついている男女は星暦学園の制服姿である。
「どこの家の者だ?」
まずは男の制服の胸ポケットをあさり、生徒手帳を奪う。
「まさか、睦月の分家とはな」
あきれて物が言えない。
「遼真様」
けろりとした彼女の声で、遼真は振り返る。
「その二人を捕まえてくださったのですね」
「……乃彩」
「どうしてこのようなことを? 茉依……」
やはり乃彩の知り合いだった。制服を見たときからそうだろうとは思っていたのだ。
「どうして? どうしてって、わからないの? あんたのせいで、私たちは……」
「わたしのせい? 何が?」
「あんたが私たちからお金をむしりとったんでしょ!」
「そ、それは……」
乃彩が明らかに動揺している。
「言いがかりはやめてもらいましょうか? 春日部のお嬢さん」
あれだけの屍鬼を倒しておきながら、何事もなかったかのようにしている琳の霊力は計り知れない。いや、乃彩もだ。
「この、金の猛者。何が卯月公爵だ。金、金、金。そんなに金がほしいのか!」
女の甲高い声が、廃工場に響く。
「ええ。お金はないよりもあったほうがいいでしょう? それに、金で解決できるのであればそれに越したことはありません。睦月公爵もそうお思いでは?」
そう言って、琳に金を突きつけたのは遼真である。
「そうですね。金で物事が解決できるのであれば、安いものだ。世の中には、金で解決できない根深い問題だってあるわけですからね」
それが二家の両親の死の真相。金を積んで真相がわかるのであれば、いくらだって積んでやる。
「春日部のお嬢さんは、勘違いされているようですが。私は身分不相応な金を回収しているだけですよ。ですから、友達のよしみでまけてあげたのですが」
どういうこと? と首を傾げているのは乃彩である。
「あなたたちのことは、術師協会に報告し、そちらで裁いていただきます。ところで春日部のお嬢さん、誰から屍鬼の力を借りたのですか?」
琳の問いに茉依は顔を背けて答えようとはしなかった。
しばらくして、術師協会から派遣された術師捜査官がやってきた。彼らは、術師が犯した犯罪や事件を捜査する、術師のための警察官のような存在である。裁くのは協会の幹部を含む上層部。
捜査官に連行される二人の姿を見送った乃彩は、琳と向き合った。
「わざわざお父様のお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」
その会話はどこか事務的にも感じる。二人の間に高い壁が存在しているようにも見えた。
「私だってあなたの父親ですからね。娘を案ずることだってあるのですよ」
お互いに素直ではない父娘である。だが、遼真だって人のことは言えない。
「では婿殿。あとは頼みます」
乃彩は黙って琳の背中を見つめていた。
「帰るか?」
「そうですね」
遼真が差し出した手を、乃彩はそっと握り返した。
啓介を呼び、車で屋敷へと戻る最中、乃彩がことのいきさつを話し始めた。
莉乃と待ち合わせしていた場所へやってきたのが、クラスメートの茉依と祐二の二人だった。前々からこの二人に嫌がらせのようなものをされていたが、乃彩自信もそうされる心当たりはあったため、誰かに相談するとか、そういったことをしていなかった。
しかし、今日は二人の様子が普段と異なった。気がついたら、あの廃工場の二階の事務所にいたようだ。
「わたしの力は『家族』にしか使えませんから。既成事実を作ってしまうのが、手っ取り早いと思ったようです」
祐二という男は、乃彩に懸想していたのだろう。それを茉依に煽られたにちがいない。
それから、乃彩は茉依との間に起こったことも包み隠さず教えてくれた。だがそれは、すでに卯月公爵から聞いていた内容とリンクする。
「だからお前は、父親ときちんと話をしたほうがいい。だがあの父親じゃ、聞いても教えてくれなさそうだからなぁ」
そう言って遼真は言葉を続ける。
乃彩の力は術師協会の幹部でも噂になっていた。もちろん、卯月公爵家が解呪と治癒に特化した能力を持っていることを遼真もしっていたが『家族』という特別な条件が必要であるとは知らなかった。
その力を狙っているのが、他の二公爵家の神無月公爵家と文月公爵家らしい。乃彩が十八歳になったら息子と結婚させたいと、卯月公爵に迫っていた。だが、両家の息子といっても乃彩よりも十歳以上も年上であり、乃彩よりも琳に年が近いような、そんな男である。
父親としては複雑な気持ちだったのだろう。だから、彼らの考えを逆手にとった。
乃彩が十六歳になった途端、彼女の力を欲する者へ嫁がせた。こうやって金のために嫁がせていると噂が立てば、両家も諦めると思ったようだ。それには彩音も同意したようだ。
「卯月公爵は、乃彩が十八歳の誕生日を迎えたことも、覚えていたよ。だけど、それは祝いたくなかったようだ」
十八歳になれば、親の同意なしに結婚ができるからだろう。今までの話を聞くと、乃彩が大人になるのを恐れていたのかもしれない。
さらに琳は、闇雲に乃彩を結婚させたわけではなかったのだ。それなりに資産を持っているが、その資産をちょっと汚い方法で手に入れたような、そういった者に限定していたらしい。
「え? 茉依も?」
「春日部というよりは、日夏だな。あそこは土建業界と繋がりが強いからな」
「お父様は、汚い金を回収していた?」
身内の贔屓ではないが、今の遼真の話を聞く限り、そう考えてしまう。
「それは、卯月公爵本人にお前が聞くべきだろうな。だが、あの腹黒狸は言わなさそうだが」
「腹黒狸って……妻の父親に対して、失礼な言い方ですね」
そう言いながらも乃彩が笑っているのは、両親へのわだかまりが少しだけ溶けたからだろうか。
とにかく琳と話をした遼真は、術師協会に歪みがあるのがわかった。誰が仲間で誰が裏切りか。
――婿殿の呪い。むしろ、二公爵家によるものと考えたほうがよいかもしれませんね。
そう言った琳の表情が、遼真の心に引っかかっている。