4.「彼女は俺の妻だ」(2)
乃彩を連れて卯月公爵邸を後にする。帰りの車で話を聞くと、莉乃がどうしても家で話がしたいと言うのでつきあったとのことだった。
「電話、つながらないから心配したんだ。せめて佐津川には連絡をいれろ」
「申し訳ありません。校内では電源を切っておりますので。莉乃がしつこくてすっかりと忘れておりました」
けろりと返されて、遼真は脱力する。
「遼真様。わざわざこちらにいらしてくれたのですね」
「お前が心配だったからな」
「そうですね。わたしがいなければ、遼真様は命を失ってしまいますからね。そういった意味では一心同体ですね」
そのような意味で言ったわけではないのに、彼女には通じないようだ。
「乃彩。お前……卯月公爵――父親とはきちんと話をしたほうがいい」
なんとなく、遼真はそう感じたのだ。あの男は何を考えているかわからないが、今のところ乃彩と遼真をどうこうしようとするわけではなさそうだ。もしかしたら、先ほどの賄賂が効いたのかもしれないが。
そうですね、と乃彩は小さく呟く。
隣から感じるほのかな体温に、安堵する。
それからというもの、乃彩はちょくちょくと卯月公爵邸に戻るようになった。弟妹たちに会いに行っているようだ。だから、彼女のスマホから、莉乃の声で連絡があったときには驚いた。
「お前が電話してくるなんて珍しいな」
そう言って電話に出た。
『もしもし? 睦月公爵ですか? 私、乃彩の妹、莉乃です』
だが、着信は乃彩の番号だった。
『お姉ちゃん、知りませんか? 今日も学校の前で待ち合わせしていたのに、お姉ちゃんがいなくて……スマホが落ちていて……』
その先は、言葉にならない。
「今から行く。お前はその場で待っていろ」
遼真はすぐに佐津川に連絡をいれた。電話の状況から莉乃を一人にしておくのは不安だと思った。
「啓介。星暦学園に向かってくれ」
ノートパソコンをパタリと閉じて、遼真は席を立つ。
「いったい、どうされたのです?」
「また、乃彩がいなくなった。どこにいったのか検討がつかない」
「お得意の位置情報で探せばいいじゃないですか」
「スマホは妹の手の中だ」
先ほどの会話を啓介に伝え、すぐさま車で向かう。その間、佐津川からも連絡が入り莉乃を保護したとのこと。
気は進まないが、卯月公爵にも連絡を入れる。途端に、冷静な声で叱られた。
『婿殿は無能だったのですね』
その言葉に反論などできない。
「申し訳ありません。すぐに乃彩を取り返します」
『当たり前です。なんのために乃彩をあなたに預けたと思っているのですか?』
違和感が走った。だが、それを突き止めている余裕はない。
申し訳ありませんと、もう一度伝えてから電話を切る。
莉乃と合流し、状況を彼女から詳しく聞く。
「いつもは、私のほうが早く校舎を出るのですが、今日はお姉ちゃんのほうが早かったみたいで」
使用する昇降口が異なることから、二人は校門の隣にある銀杏の木の下で待ち合わせをしているようだ。銀杏を踏まないようにというのが、生徒たちの共通事項でもある。
「だけど、私が来たときにはお姉ちゃんのスマホが落ちていて……」
「それで、俺に連絡をくれたわけか」
こくんと彼女は頷く。
「親には?」
「あっ。睦月公爵に電話したからいいやって、忘れてた」
「お前たちの親だ。戸籍は別れても血は繋がっている」
莉乃が慌ててスマホを取り出したところで、琳がやってきた。
「あ、お父さん……」
血相を変えた琳の姿を見て、莉乃も驚きを隠せない。
「乃彩はどこでいなくなったのです? 場所を案内しなさい。この件はまだ警察には言っておりませんね?」
その言葉は遼真に向かって言った言葉だろう。
「はい。人間の仕業か鬼の仕業か、わかりませんから」
「そういった判断ができるとことは、有能なようですね」
莉乃の案内によって、銀杏の木の下に向かう。金色に輝く銀杏の葉っぱの下には、銀杏がたくさん落ちていた。もちろん、踏み潰された跡もある。
「ここに、スマホが落ちていました」
「……なるほど」
琳はすぐさま何かを感じ取ったようだ。
「これは我々の管轄のようですね。それに、この相手は無能のようだ。気配をこれだけ残している」
うっすらと妖力を感じた。
「この妖力をたどっていけば?」
遼真の言葉に「その通りです」と琳も頷く。
「莉乃は帰りなさい。迎えを呼びます」
「だけど、お父さん。私も……」
「相手が何を考えているかわからない以上、莉乃を守れるほどの余裕が私にはありません。足手まといです。帰りなさい」
「啓介。卯月令嬢を公爵邸へ送ってやってくれ」
二人から突き放された莉乃は、啓介に支えられるようにしながらその場を去って行く。
「さて、婿殿。乃彩を迎えに行く間、私のおしゃべりにつきあっていただけますか?」
相変わらず何を考えているかわからない男である。それでも乃彩の父親というのだから、頭から否定してはならないだろう。
「どうぞ。無能の俺にもわかるように話していただけるのであれば」
残された妖力を探り、それをたどる。その間、淋はぽつぽつと話をする。
「私の両親も、あなたの両親も。鬼に襲われて亡くなっておりますよね」
だから互いに若くして当主に就いている。
「――つまり、術師の敵は鬼だけではないということですよ」
琳の言いたいことを察した。術師の頂点に立ちたいと思う者がいるということ。彼らにとって、当時の卯月公爵と睦月公爵は邪魔だったのだ。
「乃彩は、巻き込まれた?」
だが、遼真が乃彩と婚姻関係にあることは公にしていない。琳だって協会に報告していないだろう。彼女の過去四度の結婚も、あやふやなままだったのだから。
「卯月の家に生まれたときから、乃彩はこうなる運命だったのです。それが術師の宿命です」
それに返す言葉がみつからない。
だけど、自分の人生を運命や宿命といった言葉で片付けられるのは、乃彩だって望まないはず。
「だったら……その運命とやらをぶっ壊すまでだ」
妖力をたどって来た先は、廃工場である。
「なるほど」
どうやら琳はこの場所に見覚えがあるようだ。
「ここは以前、屍鬼を追い込んだ場所でしてね。ここで無様に術師の幾人かは屍鬼にやられたわけです」
頑丈な鉄製の扉を開ける。こういった廃れた場所を、鬼は好む。人の目が届かず、そしてどこかもの悲しい歴史がある場所。
天井が高く、平屋の造りではあるが、三階建ての高さはある。上階へと続く鉄製の階段は、二階、三階のギャラリーへと続いている。その奥に扉があって、どこかの部屋に続いているようにも見える。
「二階が怪しいですね」
琳の言葉に頷いたとき、その扉がバンと開いた。
「待ちやがれ、この女」
柄の悪い男たちが、一人の女性を追う。黒い髪をなびかせ、ギャラリーを走っている彼女は間違いなく乃彩である。
「乃彩!」
その声に反応した彼女は、いきなりギャラリーの柵に足をかけ、そこから身を投げた。
「乃彩!」
誰もがそれに気を取られている瞬間に、琳は霊力を放つ。
遼真は落ちてくる彼女へと駆け寄る。
――ドサッ
彼女を抱えたまま、尻餅をついた。
「ナイスキャッチです、遼真様」