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3匹目 ^•ω•^^•ω•^^•ω•^

 さて、ここから先は私の仕事でしょう。講堂内からソプラノお姉さまの姿が消えるのを待って、蹲って抜け殻のようになったユーキス殿下へと歩み寄ります。


「なんだよマリヴェール……君まで《真実の愛》を失った哀れな美少年を笑うつもりなのか?」


 打ちひしがれた感を全身から放射しつつ、なかなかに図太いことをおっしゃる。

 お姉さまのことはさておき、後半部は否定しないでおきましょうか。


 ご自分でおっしゃった通り、ユーキス殿下のお顔はいい。幼き頃より周囲に天使くんと呼び讃えられ、蝶よ花よと甘やかされてすくすくとお育ちになったのも頷ける美形っぷりです。


 王陛下と王妃殿下の溺愛っぷりも、それはもうすさまじいものがあったとかどうとか。


「そのようなつもりは毛頭ございませんわ」

「なら放っといてくれよ。今僕は傷心してるんだ」


 子どもが拗ねるようにプイッと顔を背けるユーキス殿下ですが、私にも譲れぬ用向きというものがあります。


「先に謝罪いたしますわ。このようなことをして申し訳ありません」

「なんだよ唐突に……?」


 私は別に、行為の是非を問うたわけではございません。その場に素早くしゃがみ込むと、ユーキス殿下の肩に両腕を回して、ぎゅーっと抱き着いたのです。


「はわわっ!? き、急になにをするんだマリヴェールっ!?」


 私殿方が、はわわっ、って言って焦るのを初めて聞きました。


「うあーやめろーやめるんだー!!」


 その口ぶりに反し、ユーキス殿下からの抵抗は完全に0です。どういう理屈か知りませんが、私にとっては都合がいい。身体に回した腕に力を込めて、さらに力強く抱擁を交わします。


 それから十数秒が経過し、そろそろいい頃合いかと身を引き離した私が見たのは、まるで茹でタコのように真っ赤になったユーキス殿下のお顔でした。


「よ、よよ、嫁入り前の令嬢がなんたることを……ハッ! そうかマリヴェール、君はやはり僕のことを海よりも深く空よりも高く愛していたんだな? ハハハ、まったく罪作りな美少年だよ僕という男は!! だがいたしかたあるまい! 君がそこまで僕を愛しているというのなら、婚約破棄の件については再度検討して……」


 なんだかゴチャゴチャとうるさいですね……。


 私は頼んでもいないのにペチャクチャとおしゃべりになられるユーキス殿下を片手を挙げて制すると、うーんと呻って考えを深めました。


「……あのー、マリヴェール?」


 こちらの態度が豹変したことに不安を覚えられたご様子のユーキス殿下に、さっそく事実確認を行いましょう。


「ユーキス殿下、お身体に変化はございませんの?」

「変化……いや、別になにもないけど?」


 首を捻られるそのお顔を、仔細に観察します。眼は充血しておりませんし、まだ少し赤いことを除けばお肌に異常も出ておりません。


「たしかにおっしゃる通りのようですね」

「さっきからなにを言ってるんだ? 僕にもわかるよう説明してくれよ」


 せがまれるなら、お答えするより他にありません。


「結論から申しましょう。ユーキス殿下は猫アレルギーではありません」


 きょとん、と虚を突かれたような表情になられたも束の間。

 私の断定に、ユーキス殿下は前のめりになって憤られます。


「そ、そんなわけがないだろう! だってさっき、ここに君の猫がいたときにはアレルギー反応が出ていたじゃないか!!」


 口角を飛ばして否定なさりますが、最後のは聞き捨てなりません。


「ジュリアス、ですわ」

「そんなのどうでも……」

「…………」


 ここで私、じーっと殿下のお顔を見つめています。

 ムスっとしているのが伝わったのか、根負けされました。


「わかった、わかったってば……ジュリアスがいたときにはアレルギー反応が出てただろ?」


 たしかにそうです。ユーキス殿下のくしゃみや、瞳の充血は猫に起因するアレルギーに付き物の症状でした。それが、この場からジュリアスがいなくなったことで収まったのですから、猫アレルギーを疑われるのは無理はありません。


 しかしユーキス殿下が猫アレルギーではないという証拠も、また同時に存在する……。


「再度お訊ねしますけど、お身体はなにもお変わりないのですよね?」

「え? ああ、そうだけど……」

「でしたら、おかしいです」


 そう、おかしい。普通に考えればそうはなり得ない。


「ここにくるまで、私は寮で家族の食事を作っておりました。調理場に立つ私の足元には彼らがじゃれつき、時折まな板の上にまで遠征しようとするのを、その都度抱えて安全地帯まで引き離していたのです。つまり私の服には猫の匂いや体毛が少なからず付着している。さっきの抱擁で、ユーキス殿下のお身体に症状が出ないはずがないのです」


 本当に猫アレルギーに罹患したのであれば、ユーキス殿下は今頃、涙と痒みにもんどりうっていて然るべき状態のはず。それが平然としておられる。


 つまるところ、すべてを猫アレルギーのせいだと断定したユーキス殿下の自己申告が間違っていたと考えるべきなのです。


「待ってくれマリヴェール。君の主張が本当なら、たしかに僕の身に症状が出ないのはおかしい。けど、ジュリアスがいなくなって身体の変調が収まったのは本当なんだ。現にあれから、一度だってくしゃみはしてないはずだぞ?」


 やっぱり猫アレルギーなんじゃないの? と半信半疑の構えですが……。


「否定できますよ」

「え?」

「ユーキス殿下が猫アレルギーではない根拠であれば、私は持ってます」


 状況証拠は、この講堂内で起こった一連の出来事に隠されていました。包み隠さずお伝えしましょう。


「おっしゃっていましたよね。猫アレルギーには死の危険も存在すると」

「え? ああ」

「でしたら何故、ソプラノお姉さまは私と殿下を引き離さなかったのでしょうか」

「……あ」


 ユーキス殿下は王家直系の第一王子。妹のモルガンさまを除いて、他にごきょうだいをお持ちになりません。もしこの場で倒れられ、重篤な状態に陥るようなことがあれば、王国の今後に関わります。


 ですので、もしユーキス殿下のおっしゃることが正しいのであれば、今あるような状況は存在し得ないのです。


 その理由として、ソプラノお姉さまの存在があります。聖女の権能、その根元は癒し。学園在籍中に治癒の力に目覚められたソプラノお姉さまは、一目で人体の不調な箇所を見通されます。


 仮にユーキス殿下が猫アレルギーであれば即座に、常日頃から猫と戯れている私と引き離したに違いありません。


 ご本人の口から意図を窺ってはいないのですから、あくまで推論。でも確信がありました。ソプラノお姉さまがこの場を私に委ねてくださった以上、私は必ず真実に辿り着けるのだと。


 理路整然とした説明だったと思います。

 けれどユーキス殿下はどうも、意固地になられたようでした。


「か、仮にそうだったとしても、だ。僕は《真実の愛》に目覚めてしまった。胸の奥を甘やかに震わすときめき、煮えたぎる溶岩のような愛情はもう彼女にしかそそげない……そう、僕はソプラノのことを心から愛してしまったんだっ!!」


 くうぅっ、と右手で己の胸元を掴まれ、両眼を閉じて感じ入られているユーキス殿下ですが、誰がどう見たって過剰な演出です。王国歌劇の一幕でもここまではやりませんし、やったらやったで俳優が演出家にしこたま怒られたことでしょう。


 まあ、どちらにせよ私に問題はありませんね。

 こっちを否定する材料も、もう手元には揃っているので。


「はあ……つまりユーキス殿下は、ソプラノお姉さま以外の結婚相手は考えられないと」

「そうさ。だから僕のことは諦めてくれ」


 残念だったね、と瞳の奥で語ってドヤってるところ申し訳ないのですが……。


「そこまでお姉さまのことを愛してらっしゃるように見えませんでしたけど?」


 一度は撤回の機会を与えるつもりで口にしましたところ、ユーキス殿下は逆に悪い感じで口角を吊り上げられました。


「フフフ。それは君の認知の歪みというものさ。僕の愛が手に入らない、その悲しみを、現実の側を歪めることで癒そうとしているんだ」

「はあ……」


 はあとしか言えませんね。はあ。


「僕の隣にソプラノが寄り添う。たしかにつらい光景だろう。僕のことを心の底から愛する君の身からすれば……が、しかしだ。まだすべては本決定ではない。君にはまだ僕の愛を手に入れるチャンスがある。そう、君が猫さえ手放せば……」


 一度はチャンスをあげましたし、長くなりそうなのでそろそろ切りましょうか。

 私はまたしても過剰演出で話し続けるユーキス殿下に割り入りました。


「あのー、失礼ですがちょっとよろしくて?」

「なんだよ~。僕がまだ話している最中だろ~」


 さながら悲劇舞台の登場人物のような振る舞いを邪魔され、ユーキス殿下はご機嫌斜めになられました。


「再確認になるのですが、ユーキス殿下は本当にソプラノお姉さまを愛していらっしゃるんですよね?」

「何度訊いても僕の心は変わらないさ。それとも、変わってほしいのかな?」

「いえ別に。それより殿下に即答していただきたいことがありますの」


 譲歩を秒で無下にされて片眉を曲げられたユーキス殿下ですが、気を取り直されたのか余裕ぶってクックックと忍び笑いをされます。


「構わないよ。なんでも言ってくれ。これが最後かもしれないんだ」

「くどいようですが最後の確認を。殿下は、ソプラノお姉さまのことを心から愛しておられるんですのよね?」

「もちろんだとも。僕はソプラノのことを愛している」

「じゃあなんでさっき30秒もキスできなかったの」

「……え?」


 カチコチン、と氷像のように固まられるユーキス殿下。

 ああ、やっぱり気づいていらっしゃらなかったのですね……。


 補足で説明するとしましょうか。


「長年義妹の関係でしたのでわかります。つい今しがたのソプラノお姉さまに、殿下の御心を拒むつもりはありませんでした。口づけをなさろうとしたなら、素直にそれを受け入れたはず。なのに殿下にはできなかった。ソプラノお姉さまは殿下に完全に身を預けながらも、30秒も待たされるという恥をかかされたのです。先程の平手打ちは、打たれて当然の報いだったのですよ」


 それはあらかじめ準備していた説明でした。ことの次第を自覚されていなかったユーキス殿下のお顔に、驚愕の表情が兆します。


「バカな……僕が、本当に30秒も?」

「はい。というか、やっぱりお気づきになっていなかったのですね」


 最初から、すべては茶番でした。


 ソプラノお姉さまがユーキス殿下に口づけを求めた時点で、私はなにかあると思っておりました。その所感は、現実によって丁寧に上書きされたと言っていいでしょう。つまるところこういうことです。


「ソプラノお姉さまのこと、別に愛していらっしゃらなかったんでしょう?」


 確信を持って言うと、殿下の額から汗の雫が流れます。


「い、いやそんなことは……」

「では何故千載一遇の好機を逃されましたの。聖女であるお姉さまが、殿下の御心を受け入れようとされていたのに」

「それはきっと、まだそんな段階じゃないと無意識的に僕が思って……」

「《真実の愛》に目覚めて、婚約まで求められていたのに?」


 ここまで告げて、ようやくやり込めることに成功しました。ユーキス殿下はぐっと歯噛みされて、睨みつけるような視線でこちらを見られます。


 素直に謝罪してくだされば、私にことを荒立てるつもりはありません。しかし殿下はここで、あらぬ方向に議論を飛躍されたのです。


「そ、そんなことマリヴェールには関係ないだろ!! それより問題は、僕のこの体質についてだ!! 猫と一緒にいて症状が出るんなら、どの道君とは婚約することなんてできないんだぞ!!」


 あからさますぎる逆ギレですけど、たしかに殿下のおっしゃることにも一理ありますわね。


 このままではコールラン家との輿入れの条件を満たせません。


「ひとつ確認よろしくて?」

「はあ? こんな状況でなにを……」


 無視して、我を通させてもらいましょうか。


「ユーキス殿下のお身体に、くだんの症状が出始めたのはいつ頃のことになりますの?」

「今の話となんの関係が……」

「答えてくださいまし」


 私がじーっとユーキス殿下の瞳を直視すると、気圧されたのか素直に従われました。


「た、たぶん1月前くらいだろうか……」

「やはり、そうですか」


 頷いて、納得します。

 この数字は完全な符合を見ます。


 確認のために実験してみるべきでしょう。


「……きて。ジュリアス」

「な~ん」


 呼ぶと、私の忠実なるしもべにして大切な家族が現れます。

 ビッと前方を指差すと、私を素通りして殿下の足元にじゃれつき始めました。


「ヒィッ!? ね、猫!?」

「ジュリアス、ですわ」

「そ、そんなの言ってる場合じゃないだろ!? 早く向こうにやってくれ!!」


 まとわりつくジュリアスから逃れるため、焼けた鉄板の上にいるかのように跳ね回るユーキス殿下ですが、その申し出は飲めません。代わりにすたすたと殿下の元に歩み寄って、そのお首に腕を回して再び抱きしめたのです。


「ぎゅー」

「ふわぁっ!? ま、マリヴェール!?」


 私殿方が、ふわぁっ、って言って焦るのを初めて聞きました。


「き、君はまたいきなりなにを……!?」

「ユーキス殿下、お身体の加減はどうですか」

「え?」

「眼が痒くなったり、くしゃみをしたくなったりはしませんか」


 パタパタ、と足踏みする音が止みました。私は回していた腕を解いて身を離すと、殿下の両手を取ってその上から自分の掌で包みました。


 面と向き合う殿下の頬は少し紅潮していますけれど、病気由来のものではなさそうです。不思議そうに、こうおっしゃいました。


「たしかに痒くも、くしゃみをしたくなったりもしない……ジュリアスがいるのに」

「そうですか。やはりそうなのですね」

「一体全体どういうことだ? 教えてくれよマリヴェール」


 さて、先んじて否定の材料は潰したので、開陳の頃合いでしょう。

 私はユーキス殿下の意に沿うため、口を開くことにします。


「1月前、とおっしゃいましたよね。殿下の身に、猫アレルギーと思しき症状が出始めたのは」

「え? ああ、たしかにそうだけど」

「これは、私がジュリアスと出会った時期と完全に一致しています」


 思い返せば、運命的とも言える出会いでした。


 コールラン家の子女は、家訓により成人までに300匹の寵猫を抱えることを義務づけられています。私は今年で17になりますが、成人まであと1年を残すこの年頃で寵猫が完全に揃っていないのは、一族の平均からするとあまりに遅かったのです。


 猫であれば、誰でもいいわけではありません。見た瞬間、背筋に電撃が走ると言いますか、この猫こそが自分の寵猫だと瞬間的にわかるものなのです。それはコールラン家の血筋に連なる者ならば誰でも持っている、先天的な特殊能力だと言えるでしょう。


 それは先月の、忘れもしない小雨の夕暮れ。偶然にも河原を訪れていた私は、川のすぐ傍で身体を横たえたジュリアスを発見しました。


 遠目にも、ケガを負っていることがわかりました。下草が乱れた周辺状況から鑑みるに、自分より大型の獣に襲われたに相違ありません。私は急いで近くに寄ると、脱いだ上着に包んで治療のために寮まで運ぶことにしました。


 主人の帰宅にじゃれついてくる他の家族をやさしく引き離し、真っ先にお湯を沸かします。その間に、傷口に触れぬよう土汚れを払い、沸いたお湯に浸けた清潔なタオルで身体を丁寧に拭いてゆきます。


 傷口周辺の簡易手当まで終えたところで、やっと一息吐けました。

 安心して深呼吸したそのとき、振り返ったその子がこう鳴いたのです。


「な~ん」


 その瞬間、ビビっと背筋に電撃が走りました。同時に、胸の裡から感謝の念が湧きあがります。すべては、女神さまの手による配剤だったのです。私とこの子は出会うべくして出会った、これはまさしく運命なのだと。


 こうして私はこの子を家族として迎え入れることに決め、ガンドラ・ウルトリウス・リムッソス・エウ・ジュリアスⅡ世という偉大なる名を与えたのです。


 という経緯を話し終えると、ユーキス殿下はややウンザリされていました。


「……君とジュリアスの馴れ初めなら知ってる。何度も聞かされたからね」

「思い出してくださったのなら十全です」

「それで? 僕の症状とジュリアスとの間にどんな関係があるってのさ?」


 その問いに答える代わりに、私はユーキス殿下の手を包み込んでいた自分の手を離しました。


「マリヴェール、いったいなにを……って、あれ?」


 みるみるうちに充血する瞳。肌に浮かぶ発疹のような痣。

 ユーキス殿下を襲った変化が、強烈な反応を引き起こします。


「な、なんだか眼が痛い! 身体中が痒い! なんだこ……えっぷし!!」


 ……やはりそうでしたか。


 溜飲を下げると、私は手で再びユーキス殿下の掌を包み込みました。


「あ、あれ……収まった?」


 今度は涙を流すユーキス殿下の白眼の部分が急速に白くなり、皮膚に出ていた赤みも引いて正常化してゆきます。くしゃみも途中で止まりました。


「な、なにこれ!? なんだか怖いんだけど!?」


 自分ごとながら異様な反応に恐怖を抱かれているご様子ですが、その前にもうひとつ思い出してもらいましょうか。


「ユーキス殿下。私がジュリアスと出会った当時に、ご自分がどうされていたか覚えておいでですか」

「いや……」


 記憶が及ばないようで、深く考え込まれます。

 チャキチャキいきましょう。私は早速答えを口にします。


「私と運命的な出会いを果たし、299匹目の寵猫となってからも、ジュリアスの負った怪我は予断を許さない状態でした。ですので、それからしばらくの間、私は学園での授業を終えると直帰してこの子を看病していたのです」


 留守中は部屋付きの侍女に看病を申しつけてあるとはいえ、私はジュリアスのことが心配でなりませんでした。授業を終えると荷物を持ち、脇目も振らず寮へと帰る日々が続きます。


 ひとつ、大きな問題がありました。ジュリアスの容態が安定するまで、私は実家と王家から申しつけられている義務を、なおざりにせざるを得ませんでした。それはユーキス殿下との、定期的なデートです。


 結婚後の生活を見据えて今のうちから仲を深めておけ、という両家からの要請によって、私たちは週に2度ほどデートをこなしておりました。がしかし、大切な寵猫の命の危機ともなれば、私としてはそちらを優先せざるを得ません。


 幸い、ユーキス殿下もまた私とのデートを面倒がっておられたようなので、特に問題はないと捨ておいたのですが、殿下は私が週末のデートの中止を申し出てから、どうしてか態度を一変されたのです。


 例えば――。


「ねえマリヴェール。聞くところによると先週、学生街に新しいカフェができたそうだよ。僕も王族として、君を連れて一度視察に赴くべきだと思っている……べっ、別に君と一緒にチョコパフェが食べたいわけじゃないんだからねっ!!」


 とか、


「おや奇遇だねマリヴェール。実は以前から懇意にしている高級服飾店に質のいいシルクが入ったそうでね。僕たちは学園卒業とともに結婚する間柄でもあるし、君のことも連れていってあげようと思う……おっと勘違いしないでくれよ。べっ、別に君のドレス姿を一足早く見たいというわけじゃないんだからねっ!!」


 とか、


「はっ!? こんなところでどうしたんだいマリヴェール。まさか僕のこと尾行して……いや、そんな考えはよそう。ここで会ったのもひとつの縁だ。今僕の懐には、級友が所用で行けなくなった王国歌劇のチケットが2枚ある。君がもし、どうしても僕とともに王国歌劇を観たいというのであれば、観劇に連れていってあげなくもないよ。べっ、別に君と一緒に宮廷恋愛劇を楽しみたいわけじゃないんだからねっ!!」


 とか……折につけてデートのお誘いをかけてくるようになったのです。


 無論のこと、ジュリアスの看病に忙殺される私にそのような時間的余裕はありません。ですので、お誘いの度に頭を下げて丁重にお断りさせていただいたのですが、その度にぷうっと頬を膨らませてユーキス殿下は機嫌を害されていたのです。


 ということを申しましたところ、当のユーキス殿下はプイっと首を向こうへやって、思いっきりシラを切ってきました。


「お、覚えがないな~? 君が白昼夢でも見たんじゃないの~?」


 あっそう。


 私は掴んでいたユーキス殿下の手をパッと離します。


「えっ? ちょっと……うわあ眼が痛い! 全身が痒いっ!!」

「さっき言ったようなこと、おっしゃっていましたよね?」

「言った! 言ったよ!!」


 よし。言質取ったりです。

 再びユーキス殿下の手を取ると、症状が収まります。


「はあはあ……な、なんでマリヴェールに触れていると症状が収まるんだ?」


 猫アレルギーであれば、近くに猫がいれば症状は出続けるはず。しかしユーキス殿下のお身体に私が触れている限り、傍にジュリアスがいても症状が出ることはない。


 あらためて指摘を受けるまでもなく、これは不自然なことです。


「ユーキス殿下の症状は、ひょっとして心因性のものではないでしょうか」

「心因性……僕の心に関係していると?」


 はい、と頷いて、私は推論を述べることにします。


「私がジュリアスの看病に忙殺されたタイミングで、殿下のお身体にも異変が起こった。その間、私たちはデートどころかろくすっぽ会ってもいなかった。この事実が、すべての根本にあると思うのです」


 そう申しますと、殿下は考え込まれるご様子を見せられます。


「僕が君と会えなくて、なんでこんな症状が出るってのさ?」

「症状が心因性のものであるということは、私の行動によって、当時のユーキス殿下の御心になんらかの負荷がかかっていたと考えるべきですわ」


 ここで重要なのは、客観的事実です。

 そう、つまり――。


「ユーキス殿下はジュリアスに私を取られて、嫉妬されていたのでは?」

「は?」


 虚を突かれたのもほんの一瞬、見る見るうちにユーキス殿下の頬が紅潮してゆくのが見てとれます。


「な、なな……嫉妬!? 僕が? ジュリアスに!?」

「はい。再三に渡るデートのお誘いも、私は無下にしてしまいましたし」

「僕が猫になんて嫉妬してたっていうのか!!」


 ものすごい剣幕で否定されますけども、それが逆に答え合わせになってる感じがしますわね……。


 これが図星っていうものでしょうか。


「私、そのように申しましたわ」

「なんで僕が嫉妬なんてするんだよ!!」

「それはもちろん、私のことが大好きだからではありませんの?」

「だ、だだだ、大好き、だとぉ……!?」


 わなわなわな、と包んでいる掌が震えます。


「殿下のお身体に起きた症状は、猫アレルギーと酷似しています。仮に私がジュリアスから離れれば、もっと頻繁に殿下と会うことができるようになる。だから殿下は、無意識のうちに猫アレルギーと同じ症状をその身に宿し、私とジュリアスを引き離そうとされたのではないでしょうか」


 状況証拠として、講堂内でのユーキス殿下のご主張は一貫しておりました。


 自分が猫アレルギーにかかったから、私との婚約を破棄する。

 だけれども、もし私が寵猫たちと離れるのであれば、考え直さないでもないと。


 つまるところ、ここ最近の私の動向に不満がおありだったのです。怪我を負ったジュリアスにかまけ、殿下の存在を顧みない。こともあろうに手ずからかけたデートのお誘いまで断ってくる。


 そのストレスが、ユーキス殿下の内なる願望と結びつき、猫アレルギーと酷似した症状をその身に引き起こしていたのです。


「…………」


 しばらく無言だったのは、ひょっとして心当たりがおありだったのかもしれません。


 お顔を真っ赤に紅潮させて、どうにか反論の糸口を見つけようと、ユーキス殿下は躍起になられていたようでした。


 わななくその口から、やっとのことでか細い声を出されます。


「べ、別に僕は君のことを愛してなんて……」


 ……ふーん。


 私は再び、殿下の手を包んでいる自分の手を離そうとしました。


「ひぃっ!? わかった! わかったって!! 僕は君のこときらいじゃない!! それはちゃんと認めるよっ!!」


 反射的に本音を吐かれたユーキス殿下ですが、もしかしたらさっきの反応が怖かったのかもしれません。


 半べそをかきながら「だからもうやめてよぉ……」と私に向かって懇願までしてきます。


 稀代の美貌の持ち主がビクビクする様には少しそそるものがあったりもしますが、さすがに可哀想になってきましたね。なんのかんのいって、私もユーキス殿下のことをきらっているわけではないのです。


 きゅっと掌を包み直すと、ユーキス殿下は少し安堵されたようです。


「あ、ありがとう……あのぅ、できたら君のジュリアスもどこかにやってくれないだろうか?」


 ダメ? と怯えつつ下方から私の様子を窺うユーキス殿下ですが、このとき私の頭の中には全く別の考えが席巻しておりました。


「……マリヴェール?」


 不安げなユーキス殿下のお顔を、じっと凝視します。というのも、さっきまでとは別の位相で、重大な問題が生じたとわかったからです。

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