お兄ちゃん、よかったね
電車が駅に停まり、俺は駅を抜けて、何時もの帰路を歩いていた。
今日も疲れた。
歩きながら、今日の会社での出来事が、頭を過った。
俺だけを集中して、嫌味や文句を言ってくる上司。
拳を握りしめて、我慢するしか出来ない日々。
「クソ 死ねばいいのにあんな奴!」
思わず声に出ていたのに驚いて、周りを見渡した。
誰も居ない。よかった。
ホッと胸を撫で下ろして、再び歩き出した。
暫く歩いた時、電柱の足元に瓶が横たわり、花が地面に水浸しになって
落ちているのに、気付いた。
俺は小走りで駆け寄り、瓶を起こして花を戻した時
壁際に置いてある、お供え物を見て思い出した。
確か小学生の女の子が、余所見運転していた車に、轢かれて
ここで、亡くなったと、言ってたな。
俺はコンビニまで走って、水を買うと瓶に入れて、花を挿すと
転ばない様に、電柱の陰に瓶を置いた。
「今度、産まれてくる時は、幸せになるんだよ」
両手を合わせて、歩き出した時だった。
「有難う」
背後から声が聞こえてきて、驚き振り向いた。
・・・が誰も居ない。
俺はゴクリと息を飲み、帰り道を急いだ。
それから一週間が、過ぎて上司の嫌味はエスカレートして、
虐めにも近くなっていた。
帰り道、何時もの様に愚痴を溢しながら歩いた。
そして、例の電柱の陰に置いた瓶が、転がってる日は
瓶を起こして水を入れると花を挿した。
それをする事で何故か、救われた気分になっていた。
そんなある日の帰り道。
何時もの様に、花を挿して瓶を戻すと、直ぐ傍にある公園にフラッと立ち寄った。
もう夜の八時過ぎで、誰も居ない公園は少し不気味にさえ思えた。
俺は、周りに誰も居ないのを確認して、ベンチに座った。
「クソ!いい加減にしやがれ!あの野郎!」
「本当に死ねばいいんだ!」
「田中 幹男め!」
「お兄ちゃん」「その人、殺したいの?」
「うわっ!」
いつの間にか小学生の女の子が、目の前に立っていた。
え?誰も居なかった筈なのに…
「もう、遅いから早くお家に帰った方がいいよ」
するとまるで呪文の様に、少女は繰り返した。
「ねえ、お兄ちゃん」「その人、殺したいの?」
俺の背中に悪寒が走った。
「いや、その人は会社の上司で、毎日嫌味ばかり俺だけに行ってくるから
死ねばいいと思ってるけど、殺したいとまでは」
そして思った。
俺は小学生の女の子相手に、何故真面に答えてるんだ。
「あ、あれ?」「誰も居ない・・・」
ひょっとして、幻覚でも見たのかな?
ダメだ。きっとメンタル的に疲れてるんだろう。
だが、翌日出勤して、俺は驚愕した。
「おい、お前を虐めてた田中さんが、昨日の夜八時過ぎに心臓麻痺で死んだらしいぜ」
え?昨日の夜?八時過ぎ・・・
ガクガクと小刻みに、体が震えるのを感じた…
その日仕事帰りに、何時もの電柱に寄ると、花は綺麗に飾ってあった。
「よかった」
「うん」「お兄ちゃん、よかったね」「あの人、死んでくれて」
「何時も有難う」「さようなら」
背後から声が聞こえて振り向いたが、誰も居なかった…
そして額から、汗がス〜ッと流れ落ちて、俺は走り出した。
一体、どういう事だ。俺の所為で死んだのか?
いや、俺は何もしてない。
公園で、小学生の女の子に愚痴っただけ。
え?小学生の女の子…
違う。あの時誰も居なかった筈だ。
それから、電柱の前を通ったが、花を挿した瓶は、無くなっていた。
そして、これは後から聞いた話だが、救急車が公園の前の例の電柱付近で
突然エンジンが止まり、暫く動かなくなり
それが原因で、手遅れになって亡くなったそうだ。
「お兄ちゃん、よかったね・・・か」
その日以降、会社で嫌な思いをする事は無くなった。