トラウマ
子供の頃に初めて知りどうして?と思っていることがあります
我が家ではありえないのに店に行って経験して初めて解ったことなのです
そしてそれは何故そうなのか今になっても解りません
見た目は大切なのかもしれません
そして経営のことを考えたのかもしれません
いや、その両方の懸案事項を解決するために苦肉の策で生まれたのかもしれません
しかしそう言いながら重ねる場合もあります
単位は一枚、二枚、三枚・・・きっと普通は三枚ぐらいで三昧となる気がします
それは四角い容器で運ばれてくることが多いのですが、これも我が家ではありえない理由の一つです
そして大抵、通常は見た目からこれだけなのか?とも思ってしまうことも多いのです
我が家ではこれもありえません
これだけ?なんて揉めるもとになります
家庭不和を回避するにはこれで揉めてはいけません
奇跡の戦後復興後のこの国の状況でこのことで揉めるということは考えられなかったのですが、現在は揉めることすらできない事情に蝕まれていっていることが社会問題になってきています
歴史のあるものなので、いろいろな変遷があったとも文献にはあります
しかし何故そうなったのかは理解できないしそのことがその後の自分の人生にも大きな影を落としトラウマとなっています
必要もないのに何もかもある事をしてしまうようになったのです
最初についた心の傷が癒えていないのです
なかなか情けない話ですが、そんな悩むようなことでもないのかもしれません、しかし子供心に大人への猜疑心が芽生えたのもその時からです
純粋だった子供心に疑念を持たせる原因になったことは事実です
さらに今となってはこの原因となったものには多くの呼び名が氾濫して意味もあやふやになってきている気がします
我が家での呼び方がそのまま店でも通じることは確かなのですが、出て来るスタイルがいろいろあると感じています
そしてその中のある形態で出てきた時に、私の心にトラウマをもたらしたことをいつも思い出すのです
疑ってはいけない!と善良な心は叫ぶのです
でも、疑いを持ちたくなるものを見るとトラウマで勝手にある事をしてしまう・・・
そんな自分に対して嫌な気分になるんです
さらにその疑いが事実であったときは
また、絶望の縁に立たされるのです
信じたいのに・・・またか・・・
何故そんなことをするんだ・・・
子供心に刻まれた憑依してきた生霊の知恵の仕業なのです
では、何故トラウマになったか説明させていただきます
それは食堂でざるそばを注文したときでした
ざるに盛られているのではなく四角い容器に盛られて出てきました
これは我が家にはない容器なのでこの時に初めて経験しました
この形は実はせいろそばという名の料理らしいです
現在はその呼び名が混濁されているようです
さて、その四角いせいろと呼ばれる容器に盛られたざるそばを見た時に、衝撃を受けたのです
何故?容器の一番上に巻きすのようなものが敷いてあってその上に盛られているんだ?
何故容器の一番底に巻きすを敷かないんだ?
そうすればもっとたくさん入るのに・・・
「上げ底」
なんか損しているみたい
その後、大人になってからもざるそばに関わらず上げ底の疑いがあるあらゆるものを確認しないと気がすまなくなりました
箱に入っているどんなものでも取り出して底がどうなっているのか確認してしまう・・・
上げ底のトラウマは一生消えることはなさそうです
ところで関係ない話ですが大阪人の私はぜんぜん違う心のどこかでこの「トラウマ」を「虎馬」と勝手に翻訳してしまい「黄色と黒の縞馬」のことなんかなぁ?と想像しているのです
また、違う心で虎と馬が一緒にいたら大変やんとも思うのです