あるがままの心でジンフィズを(2)
「ところで、どうしてラルフは今日、こうして誘ってくれたんだ?これまでだったら、誘うどころか、こっちが誘っても断っていたのに」
ジントニックを飲みながら、ディートリヒが訊ねると、アルトマン改め、ラルフが酒を飲む手を休めて、頭を掻いた。
「あれは申し訳なかった。本当に、用事が立て込んでいてね。断ったことを後悔していたんだよ。それで今日は勇気を出して、こちらから誘ってみることにしたんだ。ディートリヒが王城から出るのは珍しいし、前回を逃してしまったからね。それに……」
ラルフは顔をあげると、チラリと視線を店員の女性にやった。
グラスを磨いていた彼女は、その視線に気づき手を止めた。
「彼女から、君を誘って飲みに来ないかと言われたんだ」
そう言って、いたずらっ子のようにニヤリと笑ったラルフに対し、店員の女性は顔を赤らめ、恨みがましい視線を送った。しかし、すぐにディートリヒに向き直ると、申し訳なさそうに目を伏せた。
「すみません、ご迷惑でしたよね。ただ、お二人はお二人とも、お互いと仲良くなるきっかけを探しているように思えましたので、アルトマンさんに一緒に来られてはとお話したのです。けれど、余計なおせっかいでしたよね。差し出がましいことをしてしまい、申し訳ありません」
彼女はグラスを置くと、深々と頭を下げた。
ディートリヒは慌てて彼女に頭をあげさせる。
「謝らないでください。貴女のおかげで、同僚と酒を飲む楽しみを味わえているのですから」
ディートリヒの言葉に、彼女はホッとしたように小さく息をこぼし、隣ではラルフが嬉しそうに微笑んだ。彼もディートリヒの言葉に同意しているのだろう。
「ほら、もうグラスが空だ。何か次のものを頼もう」
ディートリヒの提案に、ラルフも頷く。ラルフは早速、自分が普段飲んでいるというボトルを開けさせた。
ディートリヒは何にしようかと思案したが、そもそも、メニューの中でわかるものがジントニックしかない。同じものを頼もうかと考えていると、店員の女性と目が合った。
「何かおすすめの酒はありますか?」
「それならば、ジンフィズはいかがですか?」
「ジンフィズ?」
「はい。ジントニックと同じお酒を使ったもので、ジントニックがお好きな方なら、お気に召すかと」
「ではそれでお願いします」
「かしこまりました」
注文を受けた店員の女性は、カウンターの下から、卵のような緩い楕円を描く、銀色のボトルのような容器を取り出した。大きさは、彼女の手のひらよりも一回り大きい。
容器は上の方が取り外せるようになっていて、彼女はその中に透明の酒と、薄っすらと黄味がかった白い液体、さらに砂糖らしきものを、量を測りながら入れた。そして、柄の長いスプーンのようなもので一回だけ混ぜると、最後に氷を入れて蓋をし、なんとそのボトルをカシャカシャと振り出した。
酒をそんな風に振るのを初めて目にした。思わず食い入るように見ていると、ディートリヒの視線に気づいた彼女は、顔を上げ、照れたようにはにかんだ。
その瞬間、ディートリヒの心臓が、ドクンと不自然に跳ねた。ディートリヒが胸を押さえて訝しそうにしている間に、氷の入ったグラスに酒が注がれ、炭酸水が加えられた。そうしてあっという間に次の酒ができあがっていた。
「お待たせしました。当店オリジナルのジンフィズ……っぽいものです」
手元に新しく置かれたコースターの上に置かれたのは、ジントニックと同じ形のグラスに注がれた酒だった。グラスの中の氷が見える程度に淡く白く色づいている。
グラスには、輪切りにしたレモンが入っている。そこがジントニックとの違いだろうか。
ディートリヒはそんなことを考えながら、グラスに口を付けた。確かに、味はジントニックに近いものがある。
ブレタルダ産の酒のドライな味と、そこにレモンを絞ったものらしい爽やかな酸味が加わる。あの白い液体はレモン果汁だろうか。
砂糖らしきものも入れていたので甘いものを想像していたが、甘すぎず、すっきりしていて丁度良い飲みやすさだ。
「なぜジンフィズ『ぽいもの』なんだい?」
ラルフが自分の酒を飲みながら、店員に訊ねた。
「……それはですね、ジントニックと同じで、本来であればジンフィズにはその名の通り、 “ジン”というお酒を使わなければいけないからなんです。ですが、こちらにはジンと呼ばれるお酒がないので、ジンではなく、ジンによく似たブレタルダ産のお酒で代用しているので、『ぽいもの』と言うべきかなと思いまして」
「そのジンという酒は、確かに聞いたことが無いな。どんな酒なんだい?」
「ジンは、蒸留した強いお酒に、ジュニパーベリーという、針葉樹の木の実で香り付けをしたものです。
ブレタルダ産のお酒も、味は私が知っているジンと同じように感じるので、この店ではジンとして使ってはいますが……。私はそのお酒の製法までは詳しくないですし、風味付けに使っているものが本当にジュニパーベリーなのかはわからないので、よく似ているだけで、実際はジンではない可能性もあるんです。
それに、このブレタルダのお酒は、まだ市場には出回っていなくて、蒸留所の関係者の間でだけ楽しまれているものらしいので、そもそも、名前すら付いていないんです。だから勝手にジンと名付けるのも気が引けて」
そのブレタルダの酒の味がそうだというなら、それをジンと呼んでしまっても良さそうなものなのに、彼女はいちいち『ぽいもの』と付けているようだ。そういうところが妙に真面目だなと思う。
「そんな酒をどこで見つけてきたんだい?わざわざブレタルダまで足を運んだのかい?」
ラルフが不思議そうに訊ねれば、彼女はバツが悪そうに視線を泳がせながら答えた。
「……流民街です」
ディートリヒは、彼女の答えに驚いて、思わず彼女の顔を凝視してしまった。あんな危険な場所に行ったのか。
「それで、店を流民街に出したがっていたのか……」
ラルフが若干呆れたような声音でそういえば、彼女は「はい」と後ろめたそうに頷いた。
「流民街は、色々な国から来た人たちがいるので、色々な国のお酒の情報も集まっているんです。だから、この国に無いようなお酒を探すのにはうってつけで。
私にもっと知識や技術があれば、自分で一からちゃんとしたジンを作ることもできたのかもしれませんが。
ジンだけでなく、他のカクテルの材料もなかなか必要なものを揃えられなくて、似たもので代用するしかないんです。
この店で出しているカクテルのほとんどが、そうなんですから、本職の方が見たら、怒られてしまいますね。
しかも私はバーテンダー……カクテルを作る専門の技術を持った人のことですが、その経験もなくて。私が作る物はあくまでも趣味の範疇のもの、言ってしまえば紛い物なんです。
だから、本当ならお金を取ってお客様にお出しすべきではないのですが……」
彼女は申し訳なさそうに肩を落とす。
「そんな、紛い物だなんて!俺は貴女のカクテルはとても美味しいと思います」
居ても立っても居られなくなったディートリヒが声を強めて言えば、彼女は驚いたように目を瞬いた。
「……ありがとうございます。そう言っていただけると、嬉しいです。」
そう言って恥ずかしそうに耳まで赤くした彼女を、ディートリヒは、やはり可愛らしいと思った。
隣でラルフが楽しそうにニヤニヤしているが、そちらに関しては一睨みして、無視を決め込んだ。
ようやくニヤニヤを引っ込めたラルフは、真面目な顔になって彼女の方を向いた。
「うまい酒のために、君が危険を冒しているのはよくわかった。行くなとは言わないが、もしまた流民街へ行くようなことがあれば、俺に声をかけてくれ。第三士団の者を誰か付けるから」
ラルフの言葉に、ディートリヒも同意する。
「最近は治安も悪化していますし、本当に気を付けてください」
「そんな、子どもじゃないんですから……」
二人に保護者のように心配された彼女は、焦ったようにそう言うが、そもそも少女と言っても差し支えないような年齢であろう彼女では、全く説得力が無い。
「ダメだ」
「ダメです」
二人の声が意図せず揃ったことで、二人は思わず笑い出していた。こんな風に、誰かと笑いあったのはいつぶりだろう。
今日初めて同僚と飲みに来たが、こういうのも悪くないとディートリヒは思った。
店員の彼女もまた、ディートリヒのその思いに気が付いたのだろう。先ほどまでの後ろめたそうな顔は、すぐに嬉しそうな笑顔に変わる。
「今日のお二人には、ジンフィズがピッタリですね。アルトマン様は飲まれていませんが」
「ジンフィズが?なぜですか?」
「実は、カクテルにはそれぞれ、カクテル言葉というものがあるんです。花言葉のカクテル版みたいなものですね。
私もすべてを把握しているわけではないのですが、恋愛に関係する言葉が多い中で、ジンフィズは珍しく別のものだったので、覚えていたんです。
それが、今日のお二人を表すのにぴったりな言葉なので」
「へえ、カクテル言葉ね。面白いな。それで、ジンフィズのカクテル言葉とやらは、何というものなんだい?」
ラルフが彼女の方へ顔を向け、また一口、グラスを傾ける。
「『あるがままに』です。お二人が今日、飾ることなく打ち解けたその様子に、ぴったりかなと」
ニコッと笑う彼女の言葉に、ラルフは飲んでいた酒で噎せた。その様子に、ディートリヒは再び笑いだしていた。
あるがままに、生きてみるのもいいのかもしれないと思いながら。