お届け物とカシスソーダと(4)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ の部分で視点変更があります。
茉優 → ディートリヒ → 茉優 です。
二人のところへやってきたディートリヒは、氷の騎士と呼ばれているのも納得してしまいそうなほど、冷たい視線を二人に向けてきた。
茉優は手にしていた手提げを思わずギュッと握りしめていた。
「ここで何をしている」
低い声でそう問われたのはエルンストだ。彼は直立の姿勢になると、ディートリヒに敬礼する。
「こちらの女性が、ルーベンシュタイン副団長殿に忘れ物を届けに来たとのことで、ご案内して参りました」
エルンストの言葉に、ディートリヒは微かに目を瞠り、そして一つ大きく息を吐き出すと、いつもの穏やかな表情になった。
「そうか。君は確か第二士団のレーヴェ第三警備隊長だったかな?」
「はっ、はい」
エルンストは驚いたようにディートリヒを見つめた。自分の名前を、所属の異なるディートリヒが知っているとは思っていなかったようだ。
「彼女を案内してくれてありがとう。あとはこちらで引き受けるので、君は職務に戻ってくれ」
ディートリヒの言い方は丁寧だったが、有無を言わせない響きがあった。
「はっ!」
エルンストはディートリヒに黙礼すると、チラリと茉優に視線を送ってから立ち去った。
「……お忙しい時にご連絡もせずにお伺いしてしまい、申し訳ありません」
茉優が謝れば、ディートリヒは慌てたように「いや、そのっ」と言葉を詰まらせた。やはり迷惑だったのだろう。先ほどの厳しい表情も、練習の邪魔になったことを快く思っていないからこそのものだろう。
彼に申し訳なくて、心がシュンとしぼんでいくのがわかった。
「その、茉優が来てくれてとても嬉しい」
だが、俯いた茉優の耳に、ディートリヒのつぶやきが聞こえて来て、茉優は驚いて顔を上げた。迷惑ではなかったのだろうか。
そうしてディートリヒを見つめれば、彼はどこか照れ臭そうに視線を逸らした。その姿に、もしかしたら練習中の姿を見られるのが恥ずかしかったのかもしれないと思い至る。
「あの、これ、昨日ディートリヒ様がお店にお忘れになったものです」
茉優はこれ以上時間を取らせるわけにはいかないと、慌てて手提げ袋を差し出した。
それを受け取ったディートリヒは中を覗き、帽子と眼鏡を確認したようだ。
「ありがとう」
彼が笑顔でそういうので、茉優もつられるように笑っていた。
「お仕事中にお邪魔してすみませんでした。その……、とても、かっこよかったです。練習頑張ってください」
忘れ物も届けられたことだし、茉優はそれで暇を告げて帰ろうとした。
「あの、それじゃあ、わたしはこれで……」
そうして去ろうとした茉優の腕を、ディートリヒが掴んだ。
「茉優、お礼に昼食をご馳走させてくれないか」
「ですが、練習は?」
「ちょうど昼休憩になるんだ。だから問題ない。……嫌なら無理にとは言わないけど」
その聞き方はずるいと思いながら、茉優は「わかりました」と頷いていた。
途端にディートリヒが嬉しそうに微笑むものだから、茉優は自分が勘違いしてしまいそうになるのを、ギュッと手を握りしめることでどうにか抑えた。
そんな二人の様子を、赤いドレスを纏った女性が、忌々しそうに睨んでいるとも気づかずに。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ディートリヒは足早に隊舎に向かっていた。
甲冑を早く脱いで、汗を流し、着替えてできるだけ早く東門で待たせる茉優のところへ戻らなければ、昼の休憩時間はあっという間に過ぎてしまうからだ。
練兵場で近衛騎士たちを相手に馬上槍術の練習をしていたときとは打って変わって、自分の心がウキウキと弾んでいるのがわかる。
近衛騎士たちは、一応の馬術と槍術の心得があるものの、実戦になったらどうするのかというほどに、やる気もなければ実力もない。
彼らは近衛騎士になった時点で満足し、己の職務が王族の警護にあることを忘れているかのようだ。
だが、有事の際に王族を守る最後の砦となるのが、そば近くに仕える近衛騎士なのだ。そのため、この緩んだ意識でいてはならないと騎士たちを鍛えるのだが、暖簾に腕押し状態で、まったくやる気のない彼らを相手にするのにとても疲れていた。
しかも、どこから嗅ぎつけてくるのか、練兵場には貴族の令嬢たちが詰めかけていて、近衛騎士たちに黄色い声援を送っているのだから、呆れてしまう。
本来であれば、用事の無い者が王城に入ることは、警備の観点からも許可されていないが、彼女たちは王城に勤める自分の親族に用事があるという体で入城してくるのだ。
だが、実際はあのように近衛騎士たちを冷やかしに来ているのだから、問題となっていてもおかしくはないのだが、そこは貴族の権力でうやむやにしてしまっている。
まあ、彼女たちがいることで、騎士たちが多少はやる気を見せている点だけは、怪我の功名とでもいうべきか。
ディートリヒは上官である立場上、容赦なく彼らを叩きのめした。だが、ディートリヒの馬上槍術の実力など、他の士団の一介の騎士と同程度のものでしかないのだ。
そんなディートリヒに簡単にやられてしまう近衛騎士たちに、それでもディートリヒはアドバイスを送り、来月に迫った大会で近衛が恥をかかない程度には育てようとしていた。
ディートリヒが流石に汗をかいて休憩に入ったところで、従騎士の少年がタオルを差し出す。
騎士には、寄宿学校の中等科を卒業して、騎士を志す十代の少年が従騎士として一人ずつ付いている。
ディートリヒ付きの少年も、昨年寄宿学校を卒業したばかりの十六歳の伯爵家の三男だ。
彼に槍や盾、それから兜を預け、馬を厩舎に戻すように指示してから、タオルを受け取って汗を拭っていれば、そうして練兵場に入り込んだ令嬢たちが集まってきて、ディートリヒは辟易した。
「ディートリヒ様」
甘さを含んだ声で、許してもいないディートリヒの名前を呼んだのは、ライデンバッハ家の公爵令嬢ヴィクトーリアだ。
派手な赤いドレスを身に着けた彼女は、その高い身分から、周りの令嬢を退けてディートリヒに近づいてきた。
「さすがディートリヒ様ですね、とても素晴らしい腕前ですわ」
「ありがとうございます」
ディートリヒは無視するわけにもいかず、そっけなく返す。
「よろしければこの後、昼食をご一緒にいかがかしら?」
ヴィクトーリアはそう言いながら、ディートリヒの腕に自身の腕を絡めてきた。その途端、きつい香水の香りが漂ってきて、ディートリヒは顔を顰めそうになるのをどうにかこらえた。
「お誘いはありがたいのですが、先約がありますので」
別に先約などないのだが、ディートリヒはそう言って彼女の腕をさりげなく外し、さっさとこの場を去ろうと背を向けた。
その時だった。彼の眼に、水色のワンピースを着た黒髪の女性が映ったのは。
いるはずのない彼女の姿に、見間違えたかと思い眼を瞬くが、そうではいようだ。まさか、こんな場所で彼女に会えるとは思っていなかった。
ディートリヒの心は一瞬で浮足立ったが、すぐに彼女の隣に騎士の制服を着た若い男がいることに気が付いて、ピシリと凍りつく。
彼女はその騎士に、何かを渡そうとしているようだ。そのことに、ディートリヒは妙な焦りを感じて、気づけば彼女の名前を呼んでいた。
「マユ!」
彼女の元へと駆けだしそうになるのをこらえながら、どうにか二人の元へと歩みよれば、二人とも驚いた顔でこちらを見ていた。
まるで自分が邪魔者のようで、ディートリヒは自分の声が意図せず低くなるのを感じていた。
「ここで何をしている」
そう、問い詰めるような口調になってしまったのは、この男と茉優を二人でいさせたくないという気持ちの表れだった。
だが、青年がマユを案内してきてくれただけだと知り、先ほどまでの焦りが霧散する。
冷静になってみると、この青年が第二士団第三警備隊のエルンスト・レーヴェだとわかり、納得した。
彼はこの城の警備を担う第二士団所属で、時にこうして王城に不慣れな来客の案内もしているため、忘れ物を届けに来てくれたという茉優を案内していても全く問題ないのだ。
それなのに、嫉妬めいた行動をしてしまった自分が恥ずかしい。
どうにか彼に礼を述べて、通常の職務に戻るように促すと、彼はチラリと茉優を見遣ってから退出した。
そこに再びもどかしい感情が頭をもたげてきて、ディートリヒはそれをどうにか振り払った。
茉優から店に忘れてきた眼鏡と帽子を預かると、彼女は用事が済んだとばかりに暇を告げた。
その時に、彼女がポロリとこぼすように言った「とても、かっこよかったです。練習頑張ってください」という言葉に、自分の顔が一気に熱を帯び、心臓が早鐘を打つのを止めることができなかった。
こんなにも、誰かの何気ない言葉に一喜一憂してしまうことなど、これまでなかった。意中の女性から、かっこよかったと言ってもらえることが、嬉しくて仕方がない。
今にも帰ってしまいそうな彼女の腕を思わず掴んでいたのは、こうしてわざわざ訪ねて来てくれた彼女と離れがたかったからだ。
今は東門で自分を待ってくれている彼女と、少しでも長く昼休みを過ごすため、ディートリヒは人目も気にせず駆け出していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ディートリヒが連れて来てくれたのは、騎士団の練兵場からも割と近い、王城の東門の外にある広場の出店だった。
この時間はどこも店が混んでいるため、時間の限られているディートリヒは申し訳なさそうに出店に案内してくれたのだ。
それでも、良く晴れた外はとても気持ちよく、少し暑いがカラッとしていて不快感はないし、簡単に食事をするのにもってこいだと茉優は思った。
食べたいものを訊ねられ、何店か覗いてみた結果、茉優はソーセージの挟まった、ホットドックのようなものに決めた。
ディートリヒも同じものを食べるということで、茉優を広場の中心にある噴水脇の簡易テーブルにつかせると、彼が二人分の食事を買いに行ってくれた。
といっても、出店は目と鼻の先で、ディートリヒが出店のおばさんと和やかに談笑している様子がテーブル席からも良く見えるので、茉優は安心して一人で待っていた。
「お待たせ」
ディートリヒが二人分の食事が乗ったプレートをテーブルに置き、茉優におしぼりを差し出した。
「ありがとうございます」
受け取って手を拭く茉優の前に、香ばしい匂いのするホットドックのようなものと、炭酸の気泡が立つ濃い赤紫の液体が入った陶製のカップが差し出された。
「この飲み物は、お店のおばさんのおまけだそうだよ。なんでも、自宅で栽培している黒スグリが今年は豊作で、例年よりも早い時期なのに、もうたくさんの実をつけているそうだ。
黒スグリは足が早いから、傷まない内にと、たくさん酒に漬け込んだらしい。けれど家族では飲み切れないから、こうして女性のお客さんにおまけしているんだそうだ。
井戸水で冷やした炭酸水で割ってあるから、酒も薄まってきつくないはずだから、ぜひ飲んでみてくれとのことだ」
先ほどディートリヒと出店の店主が談笑していたのは、このことだったようだ。
「ありがとうございます。いただきます」
そっと口に運んだ黒スグリ酒の炭酸水割は、甘酸っぱくて、そして自家製だからか、少しだけ渋みがあった。茉優はその炭酸水をじっと見つめる。
黒スグリは、別名をカシスという。そのカシスを漬け込んだ酒を炭酸水で割ったものがカシスソーダだ。そして、カシスソーダのカクテル言葉は……。
出店の店主がカクテル言葉を知っているはずは無いけれど、このおまけは茉優に、自分の想いに気付かせるのには十分だった。
「どう?うまい?」
そう訊ねるディートリヒに、とても美味しいですと伝えれば、彼は「良かった」と言って眩い笑顔を向けてきた。
その笑顔に、胸が締め付けられる。
『あなたは魅力的』
自分の中に、抑えられない彼への恋焦がれる感情が湧きおこる。どこか甘酸っぱくて、爽やかで、そして、少しだけ苦しいその想いは、まるでカシスソーダのようだった。




