琥珀色のウシュカヴェ(6)
それから話はあっという間にまとまり、商業区の外れに、茉優の小さなバーができることになった。
ハンスとダニエラに報告すると、二人は自分のことのように大喜びしてくれた。
茉優はそれをみて、ずっと心配をかけていたんだなと、改めて気づかされた。
店の場所を選んでくれたのは、王都の情報に通じている第三士団のアルトマンだ。
流民街がいいという茉優と、お忍びで通えるところがいいというレオンの要望を加味して、商業区の外れの小さな物件を探し出してくれた。
その物件は二階建てで、二階は茉優の住居とすることができるという。茉優はずっと貯めていた貯金を切り崩し、生活に必要な家具や日用品を揃えることにした。
店のある場所はわかりにくいが、それはリュドガーからの提案があったからだという。リュドガーは店に害意を持った者が近づけないよう、曲がりくねった路地に魔術を施したらしい。
曰く、害意を持って近づけば、道に迷い、もとの表通りに戻ってしまうのだそうだ。
彼は金色に光る小さなドアベルも用意してくれて、店のドアに取り付けた。このドアベルにも、害意を持った者を中に入れなくする呪いがかけてあるという。
店で出す酒などの材料は、アルトマンの実家であるアルトマン商会が買い付けてくれることになった。
また、珍しい酒が見つかれば、ホルガーが届けてくれることにもなっている。アルトマン商会とホルガーには、茉優が夏場に氷を提供することで話が付いた。
アルトマン商会は、夏に氷が安定して供給されることを喜んでいた。買い付けてくれる予定の酒代を差し引いても、氷の価値の方が高く、その差額分は茉優に支払ってくれるという。
バーが上手くいくかわからない以上、その申し出はとてもありがたかった。
そうそう、ホルガーがウシュカヴェを買い付けさせようかと言っていた人物は、レオンが引き取り、彼のもとでこの国独自のウシュカヴェを作れないか研究させるそうだ。
レオンはホルガーの店で飲んだウシュカヴェにすっかりはまってしまっていたのだ。
バーの開業資金はレオン持ちだが、きちんと返済計画を立て、レオンに返していくことが決まっている。
レオンは返さなくていいと言ったが、茉優は譲らなかった。自分の店を持つのなら、そうしたことはきっちりとしておきたかったから。
そうして建物が準備されたころ、茉優はハンス夫妻と共に、商業ギルドにやってきた。
受付で、新規の店の登録をお願いすると、登録書に記入するようにと用紙を渡される。
ハンスに書き方を教わりながら記入してくと、最後に店の名前を書く欄があった。
茉優は迷った挙句、「BAR UNDERNEATH THE MOON」と記入した。大好きだった日下さんの真似をして、自分の苗字を英語にした名前にしたのだ。
用紙を受け取ったギルドの職員は、読めない文字に首を傾げたが、異国人が開く店だからと特に変更は求められなかった。
一週間ほどで酒樽の形をした吊り看板が届くという。それが、営業許可を得ている店の証にもなるらしい。
きちんと届け出がされている店だと利用客がわかるように、店には看板の掲示が義務付けられているとのことだ。
レオンが保証人になってくれたことも、スムーズに申請ができた一因だろう。
書き終えた登録書を提出する際に、すでに封筒に入れられている保証人の書類を一緒に出すと、職員は封蝋を見てギョッとし、慌てて許可書類を作成してくれた。
その様子が少しだけ引っかかった。封蝋に貴族の印が押してあると、こうも手早く手続きをしてくれるのだろうかと。
とはいえ、登録が問題なくできたことはありがたい。そうして登録が終わると、ハンス夫妻と共にギルドを後にした。
それから三人で食堂に戻ると、店を貸し切りにして三人だけでお祝いをした。
ハンスが普段は店でほとんど出すことがない、手間暇のかかった料理を振舞ってくれ、ダニエラと茉優が作ったケーキをデザートに食べた。小太郎にも、犬用のステーキとケーキを作った。
茉優の店が開店するのは二週間後だが、茉優はすでに引っ越しの準備を始めていて、来週には今の屋根裏部屋を引き払うことになっている。
ちょっぴり寂しかったけれど、これでハンス夫妻との関係が切れるわけではない。
茉優の店は夜だけの営業であるため、昼間はハンス夫妻の店をたまに手伝うことになっているし、ハンス夫妻の食堂にも、氷を提供することになっているからだ。だから、三人とも楽しく食事をした。
日本にいた頃は、大学を卒業して就職しても、一人で祝う気にもなれず、就職祝いはしていなかった。だから、ハンス夫妻が祝ってくれたことが、初めての就職祝いのようでとても嬉しかった。
そうしてついに明日、バーがオープンするという日の夜。茉優が店内で開店準備をしていると、リュドガーが付けてくれたドアベルを鳴らして、レオンがやってきた。
「いよいよだな」
カウンター席に腰かけた彼は、楽しそうに声を弾ませていた。
「はい。おかげさまで」
「少し早いが、私が最初の客になってもいいかな?」
「もちろんです」
茉優は作業を中断して、カウンターに立つと、レオンにおしぼりと水の入ったグラスを出した。
「何にされますか?」
そうして手渡したメニューには、ホルガーに協力してもらって集めた異国の酒や、それを使ったカクテルの名前が並んでいる。
あえてこの国の人々が知らない酒の名前で載せているのは、レオンが面白がってそうしろと言ったからだ。
メニューの端っこには、小さな文字で但し書きがしてある。「※カクテルは、正式な材料がそろっていない場合は、すべて「ぽいもの」になります」と。
レオンはメニューを一通り眺めた後、顔を上げた。
「モルトウイスキーで」
それは、かつてホルガーの店で飲んだあのウシュカヴェを、この店で出すためにあちらの世界風に名前を付けたものだった。
「お好きですね」
茉優がクスッと笑うと、レオンが得意げに頷いた。
「ああ。今日はロックで頼む」
こちらでは、酒が薄まるのを嫌って、酒に氷を入れて飲む飲み方を好まない人も多い。
けれど、レオンは氷を入れて飲む「ロック」という飲み方も好きで、注文の仕方まで覚えているようだ。
茉優は頷くと、メニューを預かり、ウイスキー用のずっしりと重みがあるロックグラスを用意した。グラスは、明日に備えてあらかじめ氷魔法で冷やしてあったものを使う。
そこに右手をかざすと、レオンの視線が鋭くその手をみつめた。
客が信頼に足る人物だとわかるまでは、予め用意しておいた氷を使い、客前では出すところを見せるなと言われている。だが今日は腕試しも兼ねて、レオンの前で敢えて氷を出すことにした。
茉優は透き通る、純度の高い固い氷の球体をイメージして集中する。すると手をかざしている空間に、モワモワと何かが渦巻いて集まる気配がし、コトンと音がして、イメージ通りの氷の球体が、何もないはずの空中からグラスに転がり落ちた。
うまく行ったことにホッとする茉優を、レオンが満足そうに見ている。
この店の商売がうまく行くかは、酒の質もさることながら、茉優の氷にも影響されることをレオンはよくわかっているのだろう。
そうして氷が入ったグラスに、ホルガーから譲ってもらったウイスキーを注ぐ。大麦のみを原料としたモルトウイスキーだ。しかも、一つの醸造所で造られているので、日本ではシングルモルトと呼ばれているものだ。
マドラーで一混ぜすると、グラスに氷がぶつかる、カランという澄んだ音がした。
「お待たせしました」
コースターをレオンの前に置くと、その上にグラスをそっと出す。
「ロックのモルトウイスキーです」
レオンはグラスを手にすると、カランとグラスの中で氷を転がした。
「うん、良い出来だ」
すっかり批評家のようになったレオンは、グラスをランプに透かして見ている。
ランプの明かりを透かして、黄金に近い色で輝くウイスキーは、レオンの美しい琥珀色の瞳と同じ色に見えた。
そうしてやっと口にグラスを運んだレオンは、目を細めた。
「うまいな」
一言、そうこぼした彼は、そのまま静かな時間をグラス一杯分楽しんだ。
グラスの酒が尽きる頃、レオンがポツリと呟いた。
「いつか……あいつとこの酒を飲めたらな……」
いつも自信満々な様子のレオンからは想像ができないほど弱々しい声に、茉優は思わず彼を凝視していた。
「……そんな日が来るはずはないが、もしあいつと飲めるなら、ウイスキーだけでなく、君の珍しいカクテルを色々飲ませてやりたい」
茉優の視線に気づいたレオンは、力なく笑った。
相手が誰とは言わなかったが、とても大切な人なのだろう。
「その時は、とっておきのカクテルをお出ししますね」
茉優が敢えて明るい声でそう言えば、レオンは「ああ」とどうにか笑って頷いた。
レオンは、そんな日が来るはずはないと言ったが、茉優はそんな日が来るような気がした。
やらなかったことを後悔するよりずっといいと知っている彼なら、いつかきっと、その大切な人を連れてくるのではないかと。