琥珀色のウシュカヴェ(5)
「はいよ、お待たせ」
ホルガーが、二人の話が切れたタイミングで酒を出してきた。小さなグラスに、琥珀色の液体が入っている。
茉優はそのグラスをそっと顔に近づけ、匂いを嗅いだ。
液体は、ナッツを思わせる芳醇な香りと、樽のスモーキーな香りがした。もしかして、と思いながら口に含めば、コク深さ中に、微かにバニラのような甘さを感じる。
ウシュカヴェとは、ウイスキーのことらしい。
「どうやってこのお酒を手に入れたんですか?」
「ん?ああ、もともとこの酒の蒸留所で働いていたという奴が、流民街に流れ着いたんだ。食うにも困った様子で、買い取ってくれというから、奮発してやった」
いかつい顔に似合わずお人好しなホルガーは、そう言ってニカッと笑った。
彼は酔狂で変わった酒を集めているのではない。流民街に流れ着いてくる異国人から、その国の変わったものを買い取って、彼らが生活の足しにできるようにしているのだ。
特に男性の流民は、体を温める目的で、あるいは薬として、小ビンに酒を入れて持ち歩いている者が多く、口を付けてさえいなければ、そんな少量でも買い取ってくれるホルガーの噂は口伝てに広まり、わざわざ国から酒を持ってきて売る者もいるくらいだ。
「うまい酒だな」
隣で同じものを飲んでいたレオンが呟くように言えば、ホルガーがグイっと身を乗り出した。
「だろ!だから、仕事がねぇっていうそいつに輸入をさせようかと思っててな。もともと、その蒸留所を辞めたのも、こちらでこのウシュカヴェを作ってくれと貴族に頼まれたかららしいんだが、その貴族が気を変えて、ワインを作ることにしたからと、約束を反故にしたんだそうだ。貴族ってのは自分勝手な奴が多いからな」
気の毒にな、というホルガーに、レオンが複雑そうな顔で相槌を打った。
「茉優はどう思う?」
茉優に向き直ったホルガーは、急に真剣な表情で訊ねてきた。まるで答案を差し出す生徒のような顔だ。
「いいと思います。男性はこういう味が好きだと思いますし、固定のお客さんが付くんじゃないでしょうか。それに、このタイプのお酒は、水で割ったり、氷で冷やして飲んだり、後は炭酸で割るハイボールという飲み方もできるので、お好みで飲んでもらえるところも魅力です」
茉優がそう言えば、ホルガーはなるほどな、と嬉しそうに頷いた。隣ではレオンが目を見開いてこちらを見ている。
「何ですか?」
茉優が訝し気に訊ねれば、レオンは真顔になった。
「リュドガーから、君が酒場を開きたいと言っていたと聞いて、疑っていたんだが、本当だったんだな」
「え?」
「あいつは変わり者だから、まさか子どもに酒場をやらせる気かと頭を抱えていたんだが、嘘じゃなかったようだ。君は成人しているというし、なにより酒に詳しいようだからな。そんなに店を開きたいなら、私が力になるぞ」
いつの間にか、茉優が店を開きたがっているという風に話が進んでいて、茉優は慌てた。
「そんなこと、一言も言ってません」
「いいじゃねえか」
口を挟んだのはホルガーだ。
「マユは酒のことも詳しいし、そこの貴族の兄ちゃんが支援してくれるってんなら、お言葉に甘えちまえばいい」
ホルガーの言葉に、レオンは肩をすくめた。
「気づいていたのか?」
「ああ、どんなに素顔を隠してたって、立ち居振る舞いが庶民のそれじゃねえからな。わかってたのに、さっきは嫌な言い方をしちまって、悪かったな」
「自分ではそれなりに上手くやっているつもりだったんだが、まいったな」
ホルガーはハハハッと大声で笑いながら、「もう少し、背を丸めて歩いた方がいいぞ」とレオンにアドバイスした。
「それで、マユはどうなんだ?マユは変わった酒が好きだからな、そういうのを出す店でもいいし、なんならいっそのこと、この兄ちゃんみたいな貴族連中相手にした店にしちまってもいいかもしれん」
「わたしのお酒の知識なんて、あくまでも趣味の範囲なんです。お客さん相手に商売できるようなものではないので」
茉優は断ろうとするが、レオンの方がその気になってしまったようだ。
「それはいい。こういう変わった酒が飲めるのは面白いからな。私が開業資金を出すから、君が望むような店を開いてくれ」
「……話、聞いてましたか?」
呆れる茉優をよそに、レオンとホルガーはあーでもない、こーでもないと、開店計画を立て始めた。
酒の入ったレオンは、とても楽しそうで、子どものように目を輝かせているし、それを相手にするホルガーも酒好きなだけに、嬉しそうに話にのっている。
茉優がため息をつくと、ホルガーが向き直った。
「これでハンスも喜ぶな」
ハンスの名前が出たことに、茉優は少なからず戸惑った。
もともとハンスはホルガーと商業ギルドで顔なじみであり、この店の常連でもある。ここにこっそり茉優を連れて来てくれたのもハンスだ。とはいえ、ハンスはあまり頻繁に酒を飲まないので、今では茉優の方が来る回数が多いかもしれない。
茉優もホルガーと親しくなってからは、彼とハンスがとても仲が良いことに気付いていたが、こんな風に名前を出されるとは思っていなかった。
「あいつ、ここで酔いつぶれるたびに、マユに好きなことをさせてやりたいって言っててな。子どもの成長を楽しみにする親父そのものなんだぜ」
「……ハンスさんの名前を出すなんて、ずるいです」
茉優は嬉しさと困惑が綯い交ぜになっていた。
ハンス夫妻は、茉優を助けてくれただけではなく、茉優にとってはこちらの世界の両親のような存在だ。だから、ホルガーの言葉は茉優にとってはとても嬉しいものだった。
けれど、だからといって、自分のような素人の腕前でお店を出すという決断をしてはいけない気がした。
「迷っているならやってみろ。やらなかったことを後悔するよりずっといいぞ」
レオンが茉優をじっと見つめてそう言った。まるで、本人は何かを後悔しているみたいに、どことなく寂しそうな表情をしながら。
その言葉に背中を押されたかたちになって、気づけば茉優は小さく頷いていた。
途端にレオンとホルガーは満面の笑みになって、二人でガッチリ握手を交わす。
はめられたかも、と茉優が思った時には、すでに二人は先ほどの開店計画の話に戻ってしまっていた。