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琥珀色のウシュカヴェ(3)


 まるで、走馬灯のような夢だと思った。

 薄暗い闇の中、夜道を照らす街灯のように、ポツン、ポツンと明かりが並んでいる。一番手前の明かりに、不思議と体がすーっと引き寄せられた。

 明かりの中は、高校の時まで住んでいた狭いアパートの室内で、死んだはずの両親がそこにいた。母がキッチンで朝食を用意し、父はダイニングでコーヒーを飲んでいる。ああ、これは夢だとわかっている夢だ、と茉優は思った。

 夢だとわかっていて尚、口が開いた。そうして「お母さん」と呼ぼうとしたとき、体が勝手に次の明かりに引き寄せられた。両親の明かりは遠のいてしまう。

 二つ目の明かりの中には、祖母のあの古い日本家屋があった。祖母が縁側でまだ子犬の小太郎を愛おしそうに撫でている。

 自分がそこに行けないと、頭のどこかでわかっているのに、体が走り出そうとした。

 すると、またしても明かりは遠のき、次の明かりへと近づく。そこは、日下さんのバーだった。キラキラと煌めく壁のボトルを背景に、カクテルを作る日下さんがいた。彼が差し出すのは、スノースタイルのジントニックっぽいもの。そして、不意に耳に日下さんの声が聞こえた。


「ジントニックのカクテル言葉は『強い意志』なんだよ」





 気が付いた時には、先ほどと何も変わらず、リュドガーの菫色の瞳が目の前にあった。彼の手は、すでに離されている。

 視線を転じれば、レオンも向かいに座ったまま、心配そうにこちらを見ていた。

 窓から差し込む日差しを受けてできた彼の影は、あの不思議な夢を見る前とそう変わらない。

 夢を見ていたのはほんの数分だけのようだ。


「君は面白いね」


 リュドガーが口元を綻ばせながらそう言った。


「わたしの記憶を覗いたのですか?」


 茉優はリュドガーを見つめた。先ほどの白昼夢は、きっと、ただの夢ではない。それを、自分だけが見ていたとはとても思えなかった。

 勝手に心の内を覗かれたのは許せないが、もう見ることがかなわないと思っていた人たちの顔を見られたことには、感謝したい。

 怒っていいのか、お礼を言えばいいのか、自分で自分の感情がわからなかった。ただ、涙だけが、一筋零れて頬を伝った。


「ごめんね、君が危険な人間かどうかも確認しなければいけなくてさ。でも、僕の術にかかると、普通はあんな風に自我を保ったままではいないんだけどな」

 

 悪びれる様子もなく、リュドガーはそう言って、茉優にしわくちゃの、水色の小さな布切れを差し出した。


「これ、あげるからさ、拭きなよ」


 彼が差し出したものは、どうやらハンカチだったようだ。だが、女性に差し出すにしては皺だらけすぎる。

 茉優は苦笑しながらそれを受け取り、頬を拭った。リュドガーという青年は、なんとなく憎めないところがある。


「それで、わかったのか?」


 レオンがしびれを切らしたように訊ねると、リュドガーは頷いた。


「ああ。まず、彼女は君の推測通り『渡界(とかい)(たみ)』で間違いないね。もともとは高度な文明世界にいたみたいだからね。伝承の中にしか存在しないと思っていたけれど、まさか本当にいるとは驚きだよ。

 それが、氷の精霊の悪戯というか、精霊のうっかりで、こちらに来てしまったようだ。そういう理由(わけ)で、彼女には氷の精霊の加護があるよ。そもそも、こちらに来てしまったのは氷の精霊のせいだからね、お詫びに加護を与えたようだ。

 それに、もともとの魔力量も多い。とてつもなくね。量だけでいうなら、僕が水たまりで、彼女は大海だよ」

「それはっ――」


 思わず立ち上がりかけたレオンを、リュドガーが手で制す。


「だけど、出口が驚くほど小さい。海のような魔力を放出できるのが、注射針の先ほどの小ささしかないんだから、宝の持ち腐れだね。

 おっと、バカなことは考えない方がいいよ。確かに出口を広げることができるけれど、失敗すれば溢れ出した魔力で国が潰れる」

「もとからそのつもりはない。だが、それならば余計に知られない方がいいな」

「そうだね。君が庇護下に置いて、僕が魔法の制御の仕方を教える。それが一番いいだろうね」

 

 二人は頷きあったが、茉優は勝手に話が進んでいくことに戸惑っていた。

 その戸惑いに気が付いたのだろう、リュドガーがニヤリと笑った。


「大丈夫、君はこれまで通りに生活できるよ。ただ、氷の魔法が使えることは迂闊に人にばらさない方がいい。この国では、魔法を使える者は良くも悪くも目立つしね。

 だから、もし君が国に仕える気が無いのなら、信頼できる人物以外には隠しておくに越したことは無いよ」

「マユ、私は君に助けてもらった恩がある。お礼と言ってはなんだが、できるだけ君の望みを叶えてあげたい。何か望みがあれば言って欲しい。困っていることでも構わない」


 真剣な表情でそういうレオンは、本当に何でも望みを叶えるつもりでいるようだ。


「それならば、あちらの世界へ戻してもらうこともできるのですか?」


 茉優の問いに答えたのはリュドガーだ。


「それは調べてみないことには、なんとも言えないね。ただ、難しいんじゃないかな。そんなにホイホイ行き来できるなら、そこら中に君みたいな人がいることになってしまうからね」

「……そうですか」


 大して期待をしていなかったはずなのに、茉優は自分が落胆したことに気が付いた。

 だが、こちらには小太郎がいる、と思い直す。もともと小太郎と二人で生きていくつもりだったのだから、住む場所が変わっただけだと思えばいい。


「リュドガーの言う通りなら、戻してやることは難しいが、こちらでの生活を楽にしてやることはできる。一生働かなくてもいいくらいには、援助することも可能だ」


 レオンの言い方は、冗談とも本気ともつかない。


「戻れないのなら、それで構いません。わたしはすべきことをしたまでで、謝礼を目当てに助けたわけではないですし、こうして言葉で伝えていただけただけで十分ですから」

「謙虚だね」


 困ったように笑うレオンに、茉優はそうではないのだと伝えた。


「わたしも人に助けてもらった身です。だから、それを他の人にしただけのことです」

「そういうのを謙虚というんだよ。でも、まあ、君の気持ちはわかったよ。だが、今後、力を貸して欲しい時は遠慮なく言ってくれると嬉しい」


 レオンはまるで幼子にそうするように、茉優の頭をポンポンとして、立ち上がった。


「さて、私も制約の多い身でね。そろそろ戻らねばならないんだ。マユ、君にはリュドガーを定期的に講師として来させるから、彼から魔法について学ぶといい。何かあれば、リュドガーに伝えてくれ。ああ、リュドガーが来るのを待てない時は、外で待機しているラルフでも構わない。彼は、第三士団のいずれかの詰め所にいるだろうから、詰め所で彼を訪ねれば、呼び出してくれると思うよ。ラルフが君には特別に対応できるよう、こちらでも取り計らっておくから」


 茉優はわかったと頷いた。自分が魔法が使えるということは未だに信じられないが、使い方を教えてくれるというのであればありがたいし、ファンタジー好きとしてはワクワクする。

 謝礼はいらないと伝えたが、十分過ぎる機会を与えてもらうことになりそうだ。

 茉優のそんな感情に気が付いたのだろう。レオンはやれやれと苦笑した。


「では戻ろうか。リュドガー、用意を」


 レオンの言葉に、リュドガーが頷き、小さく何かを呟いた。すると、彼らの足元に、光り輝く円形の魔法陣が現れた。円に星、三角などの模様が複雑に組み合わされ、読めない文字が紋様のように配列されている。その美しさに目を瞠る茉優をよそに、レオンが茉優に声をかけた。


「悪いが、ラルフに私たちが帰ったと伝えてくれ。君は、帰りはラルフに送ってもらうんだよ」


 レオンが、まるで子どもに諭すようにそう言うと、その瞬間、二人の姿は陽炎(かげろう)のように揺れ、そしてスッと溶けて消えてしまった。二人の姿が霧散すると、魔法陣も光を失い、跡形もなく消えていた。

 あれは、転移の魔法陣なのだろうか。本当にこんなものを目にする機会があるとは思わなかった。驚きすぎて脱力した茉優は、力ない足取りで、外で待つアルトマンのところへ向かったのだった。


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