琥珀色のウシュカヴェ(2)
結局、その身分の高い方とは、週末、茉優が一人で孤児院の図書室に行くときに会うことになった。
同行したアルトマンが人払いをしたこともあり、その日、図書室には茉優しかいなかった。そもそも、この図書室で誰かに会ったことは、これまで一度もなかったけれど……。
先に着いてしまった茉優は、窓際に置かれた古い木の椅子に腰かける。午後は食堂の掃除の手伝いをする予定なので、少しだけ話をしたら食堂へ帰るつもりだ。
だが約束の時間になっても、相手はなかなかやってこない。時間をつぶすために、適当に本を手に取り、窓際で読むことにした。
しばらく本を読んでいると、不意に本の上に影が落ちた。
茉優が顔を上げると、目の前にあの金髪の青年が立っていた。いつの間に入室したのか、全く気が付かなかった。
青年はローブこそ身に着けていなかったが、それ以外は前回見た時と同じ服装だった。
だが、今日の彼は凛としていて、一段と美しい。背筋がスッと伸びていて、その立ち姿に品があるからだろうか。
長い黄金の髪は、今日は緩やかに編み込まれ左肩に流されているため、彼が右耳に付けている、繊細な細工の小ぶりのピアスがシャラリと揺れるのが見えた。
青年が目を開いているところは初めて見る。彼の瞳はこの国でも珍しい琥珀色だ。しかも、光の当たり方で次第では金色にも見える、上質なウイスキーのようなとても美しい瞳だった。
「初めまして、というのは変かな。先日は、助けていただき、ありがとうございました」
そう言って、彼はニッコリと微笑んだ後、優雅な物腰で礼をとる。
予想外の丁寧な物言いに、茉優は慌てて立ち上がり、お礼を言われるほどのことはしていないと伝えた。
青年は頭を上げ、茉優に座るように促すと、自身も向かいの空いている椅子に腰かけた。その時になって初めて、彼の後ろに、腰までありそうな長い黒髪の青年が立っていることに気が付いた。
まるで影に紛れるように存在感を消したその青年は、金髪の青年と同い年くらいか、少し若いくらいだろう。中性的な顔立ちの彼は、床まで届く裾の長い黒のローブを身にまとっている。
倒れていた時の金髪の青年もそうだが、あんなものを着ていて暑くはないのだろうか。
「私はレオンと申します。後ろの彼はリュドガー。彼は魔法に長けていましてね、ちょっと確認したいことがあったので、一緒に来てもらったのです」
紹介されたリュドガーという青年は、せっかくの美しい顔が台無な、ニヤッとした笑顔を浮かべた。
それにしても、魔法を使えるという人物を茉優は初めて見た。いや、そもそもこの金髪の青年も魔法が使えるのではないのか?そんなことを考えながら、視線を金髪の青年に戻すと、彼と目が合う。
茉優は彼に、自分には敬語を使わなくていいと伝えた。彼らが、身分の高い人間だということは明らかだったからだ。
この国では、髪の長い男性は総じて身分が高い。
昔、諸侯が覇権を争っていた時代に、身分の高い者はナイフで寝首を掻かれないよう、髪を長くしていたとか。その名残だというが、果たして髪の毛程度で首など守れるのだろうか。
それはともかく、長い髪の手入れにはそれなりに手間がかかる。庶民、とくに男性はそんなことに手間をかける余裕はない。
そのため、目の前の青年も、その後ろに立つ黒髪の青年も、どちらもそうしたことに時間と金をかけられる身分だということだ。
茉優の言葉を聞いた青年は、それでは遠慮なくと言って、気軽な口調で話し始めた。
「改めて、先日は助けてくれてありがとう。君のおかげで私は助かった。これは決して大げさではなく、医師から、見つかるのがもう少し遅ければ命を落としていたかもしれないと言われた」
「そうでしたか。ですが、助けたと言っても、私がしたことは知り合いの少年に助けを呼ぶように言って、貴方を日陰に運んだことくらいです。あとは駆け付けた騎士のアルトマン様がなさったこと。お礼を言われるなら、アルトマン様と、彼を呼んでくれた少年にお願いします」
「二人にも、きちんと礼は伝えたよ。だが、私を助けた一番の功労者は君だ。私の症状は熱失神だったそうでね、夏のあの暑いさなかに、バカみたいにローブなんて着て街をうろついていたせいだと医者に叱られた」
肩をすくめるレオンに、茉優は暑い自覚はあったのかと呆れた。しかしその呆れも、次いでレオンの口から飛び出した言葉に掻き消された。
「だから、医者に運ばれるまでに、私の頭を君が氷魔法で冷やしてくれたおかげで助かったんだよ。あの時、意識が朦朧としていて体も全く動かせなかったが、額に氷があてられたことだけは何となくわかったんだ。まあ、偶然にも君が氷を持ち歩いていたというなら、魔法とは言えないが」
こちらの様子を窺うようにじっと見つめながら、レオンはそう言った。「君が氷魔法で冷やした」と、そう。
茉優は驚き、そして首を勢いよく横に振った。
「あれはわたしではありません。貴方がご自分で、無意識のうちに魔法を使ったのではないですか?」
茉優がそう言えば、レオンはおかしそうに笑った。
「それはない。何せあれは、氷の魔法だからね。私には使えない。氷の魔法が使えるのは……メアラント侯爵くらいだろう。あぁ、リュドガー、君も使えるんだっけ?」
レオンは後ろのリュドガーに向き直る。リュドガーは肩をすくめた。
「やろうと思えばできなくはないけど、加護がないからね、何倍も魔力を消費して倒れちゃうよ」
「だそうだよ。あの場にいたのは君と私だけだからね。私でないなら、君ということになる。リュドガーを連れてきたのはそのためだ。君が本当に氷の魔法を使えるのか、それを確認させて欲しい」
レオンがクイっと顎で合図をすると、リュドガーが茉優の隣に音もなく近寄り、「ちょっと失礼」と言って茉優の左手を取った。
突然のことに驚く茉優の掌を、自身のそれと合わせるように握られる。反射的に思わず引き抜きそうになった手を、リュドガーがグッと握りしめて留めた。
リュドガーの手は、氷水に浸していたのではないかと思うほどに冷たかった。彼はその冷たい手をつないだまま、じっと茉優の顔を見つめる。それを見返すと、彼の眼が、深い菫色をしていることに気が付いた。遠目には黒にも見える濃い色だ。
その瞳を見ていると、視線を逸らせなくなった。彼の瞳の中に、小さな明かりのような煌めきが宿ると、まるで金縛りにあったかのように、体も動かせなくなった。
そして、思考に靄がかかったように、白く霞んで、プツリと意識が途切れた。