ほだされて
野生にうまれ、野生として暮らしてきた。
赤子の時に黒い羽根を持つ化け物に襲われかけても、縄張り争いに巻き込まれても。ピカピカ光る目玉を持つ、デカくて四角い奴に踏まれかけても。私はこうして生存競争に負けずに、誇り高く生き続けてきた。
ゆえに、名はない。
それが我らにとって当たり前であり、野生としてあるべき姿だ。聞き及んだ話では『ニンゲン』とかいう奴に飼われている同類もいるらしいが、とんでもない。名を付けられるなど、野生を捨てたも同然。恥ずべきなのだ。
……そう、思っていたのだが。
「おーい。飯だぞー」
空腹のあまり、目の前に差し出されたものをペロリと舐め取ってしまったせいか。それがとんでもなく美味なうえ、中毒性が高かったからなのか。気付けばデカい手に鷲掴みにされ、私は狭い空間にポイと入れられていた。完全なる失態。やはりあの食べ物は、捕獲のために用意された薬か何かだったのだ。
「フウウウゥッ!」
せめてもの抵抗に威嚇してやったが、やつは怯えることなく何かを突っ込み扉を閉めていった。近付いて嗅いでみると、何か食べ物らしき香りが漂ってくる。でも絶対に食うもんか、あいつの臭いがついたものなんか。
「んー。やっぱ減ってねえなー」
しばらくして戻ってきたやつは、扉を開けてから何かを喋り、私の体に手を伸ばそうとした。とっさに立てた爪がシャッと皮膚をかする。
「いてっ!」
――やり返される。
そう思った私は、次なる攻撃に移れるよう身を構えた。しかしやつはそのデカい手を再び突っ込んでくるでもなく、引っ掛かれた部分にフーフーと息を吹きかけるばかりだ。
「まだ怖いのか? 何もしないって。それとも、名前付けたらもう少し懐いてくれるのか?」
毛を逆立てる私を長い時間見続けてから、やがてポツリと呟く。
「……よし、『ボッサ』だ。毛がボウボウだし、なんか響き的に威厳あるし。よし、ボッサで決まりな」
引っ掛かれたことに怒るでもなく、やつはそう言って笑った。
どうやら名前を付けるという行為は、私がこれまでに思っていたものとは違うらしかった。何度引っ搔いてやっても、こいつは私に美味しい食べ物をくれる。
たまに身をゆだねてやると、その温かくて大きな手で、全身を撫でてくれる。
「ボッサ、飯だぞー」
今日もやつは外の臭いをつけて帰ってくる。
そのたびに私の臭いを付け直してやらなければいけないから、本当に面倒なやつだ。
「今日は良い事があったから、お前にもおすそ分け」
目の前に置かれた皿に顔を近づける。
舌先で味わうと、出会った時に貰った、大好きなあの味がした。
END.