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極夜

作者: 秋田 茂

「明けない夜はない」という言葉がある。かの有名な詩人、シェイクスピアが「マクベス」という作品内で述べた言葉だ。こと日本においてはしばしば絶望してる人への励ましとしても使われるが、それは所詮暗い現実を直視したくないがための逃避に過ぎない。良く似た言葉に「止まない雨はない」というのもある。これもまた然りだ。何故なら実際に夜が明けないことはあるからだ。少なくともこの世界では。






 小雨が降る住宅街を私は傘も持たず一人で歩いていた。家々に挟まれた道は街灯に反射したアスファルトの水が天然のカレットのようにきらびやかだ。そんな幻想も地面や電柱に張り付いたガムのせいでスッと現実に戻される。どうやらこんな世界にもそこらにガムを吐き捨てる輩がいるみたいだ。

 近くの家から笑い声が聞こえてくる。雨音に遮られてよく聞こえないが誰かの誕生日を祝ってるらしい。街灯よりも断然明るい室内の照明が窓にその幸せそうな家族の影を映し出す。グラスを掲げ互いに合わせている。今の自分の境遇とあまりにも違いすぎるので思わず窓に唾を吐く。その行方は雨にかき消され、窓に届いたかすら判らない。


 私がこの街に迷い込んだのはおよそ一週間前の事だった。その日は人生に一度あるかと思う程の厄日で、仕事に恋人、家族に友人関係に私生活で不幸という不幸が折り重なった日だった。何もかもが嫌になった私は幾許の金と電池切れ間近の携帯電話だけを持ち行く宛てもなく深夜の住宅街に駆り出た。

 それから幾らか歩いた後、夜風といつの間にか降り出していた雨で物理的にも頭の冷えた私は「家に帰ろう」そう呟いて振り向くと、元来たはずの道はなくブロック塀があるだけの行き止まりだった。

 そこからはただひたすらに歩いた。数刻前とは違う、焦りと恐怖とが混ざった今まで感じたことの無い感情に支配され、夜雨を掻い潜って歩いた。


 時間にすればどれ程だろう?初めは夜が明けてないので数時間しか歩いていないと思ったが、どうやら見当違いだったようだ。そこから歩けど歩けど夜は明けず、景色は変わらず、私自身腹も減らなければ疲れも眠気も一切感じない。まるで全てのものが代わり映えしない。

 それからもずっと歩いた。体感では二日ほどだったようにも感じる。スマホの示す現在時刻はこの世界に来てから変わることなく時刻が深夜ニ時だと言うことを伝える。やはり何も変わらない。違いがあるとすれば私の知識だ。


 ここに来てからひたすらに歩き続けるばかりではつまらないので、無作法ではあるが近くの家の中等を拝見させてもらった。するとその家の壁掛け時計の現在時刻と自分のスマホの現在時刻が違っていた。それだけならただの故障と思えるかもしれないがどの家も各家庭によってまちまちの時刻に設定されていた。しかも住人の会話をよく聞いてみるとその時刻に合わせた内容に変わるのだ。

 例えば、時刻が八時を指す家からは「遅刻するわよ」と急かす母親の声が聞こえたが、向かいの時刻が十二時を指す家からは父と子が遊ぶ声が聞こえるし、その隣の時刻が二時を指す家からは何も聞こえずそれどころか明かりすらも点いていない。

 そこから私はある推論を出した。この世界では各家によって時間が全くと言っていいほど違うのだ。時刻どころか、季節まで違うこともあった。

 また、不思議なことにある一家に張り付いてみた事があったのだが、その家はどれだけの時間が経とうと時間が進むことなく同じ時間の中で延々と生活を続けていた。反対にある家では少し目を離した隙に時間が急速に進んだこともあった。

 私はこの謎を解明しようと躍起になって調べ回った。この世界から脱出する手掛かりになるかもしれないからだ。が、どの家も変わる内容は毎回変わるし、時間が進んだり戻ったりと滅茶苦茶になっており、八方塞がりになったある日――最も日を跨いでいるかは疑問ではあるが――ある事に気付いた。自分の濡れた体が乾いていたのだ。勿論びしょ濡れになっていた時もあったはずだ。だが、気付けば乾いている。この現象もだが何故今まで気が付かなかったのかが疑問でならない。それに気付いた途端思考が活性化する。その刹那私の行動がフラッシュバックし、私は私に疑問を抱いた。何故私は持っていたスマホで連絡を取ろうとしなかったのか。何故私は家の住人に話を聞かないのか。

 何故なぜ何故なぜなぜ何故なぜなぜ何故何故なぜ何故なぜなぜ何故


 そうだ、解った。私は今までの人生を無為に生きていた。他人の夢を嘲り、好きな物を否定し、思想を馬鹿にし、その癖自分はただの評論家に過ぎない。自分から何かを生み出そうともしない。そうやって生きてきた。それで自分が他とは違う感覚に浸っていた。ああ、そうか。今まで見てきた家々は全部私が否定してきたものだ。友の、恋人の、家族の、インターネット上の見ず知らずの、他人の否定してきた夢や日常を見ていたのだ。私はそれに干渉できない。否定した者はその否定した物に縋る権利はない。

「早く、目を覚ましてくれ」

 そう呟くと全ての家々の明かりが消え、降り注ぐ雨も次第に弱くなり遂には止んだ。空には星も月も雲もなく広がる黒。一切の明かりを失い前も横も後ろも黒。地に足がつくのですぐ下は地面なのだということしか解らない。手を伸ばしても、何も掴めない。闇の中で光さえ見出すことが出来ず、私は地に伏した。

「明けない夜は無かったが、止まない雨はあったな」

 そう自嘲して呟くと遂には意識までもが深い闇に落ちていった。




 気付けば私は自分の部屋にいた。ベッドの上だ。カーテンを開けるとそこは晴天の朝だった。清々しい気持ちでベットから降り自室を出る。

 朝の身支度を済ませながらあれは何だったのか考える。夢?現実?解らない。今日の日付はあの夜と同日。時間は一晩しか進んでいない。

 思案に耽るも埒が明かないので夢と結論付けて家を出た。今日からは新しい自分になれそうだ。眩しい朝日に照らされて、少しだけ違ういつも通りの日常に駆り出た。


 明かりの消えた家は暗かった。

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