第9話
ちょっと更新が空いちゃいました。お久しぶりです。
トラヴァーズ家の庭は広い。しかし、王城の庭はその倍以上も広い。
その一角、白いユリが生垣のように咲くスペースで、シンプルなワンピースを身にまとったティファニーは緊張した面持ちで立っていた。
その目の前では、天然パーマの男がテーブルやクロスを忙しなく準備している。
「魔力っていうのはね、まあ言ってしまえば、血の濃さが力の大きさに比例することが大半なんだよ」
「血の濃さ、ですか? 」
テーブルの上に大きな水晶玉をゴトッと置くと、天然パーマ男――ヒューゴはふうと息を吐いてティファニーとアルベール、興味深げにこちらを見ているレオンの方へ振り返った。
半年前から僕の魔力指導をしてくれているヒューゴ先生だ、と紹介されたヒューゴは、くるくるの髪の毛に傷だらけのメガネ、この暑いのに濃紺のマントを羽織っており、「先生」と言うより「学者」といった風貌だ。
「そう。あなたのお父様は魔力操作に長けていた。君はその血を引く唯一の人だからね」
いやあ楽しみだよ、と言う声は初対面でも分かるほどに浮ついている。
「そうなのか。君のお父上は、どの魔力の型なんだ? 」
「水です。母は確か土でした」
「なら、そのどちらかの可能性が高いということ、かな」
「やはり、魔力の型も遺伝するんですの? 」
「基本的にはそうだね。殿下もお父上からの遺伝だ」
「ということは……火? 」
「そうだ」
燃えるような赤い髪の毛を風になびかせて腕を組むその表情はどこか誇らしげである。
火の魔力を持つ人間はリーダーシップがあると言われている。王家の長男、火魔力、堂々とした雰囲気。レオンはまさに"エリート継承者"であった。
水晶玉をあれこれ点検していたヒューゴが、よし、とティファニーの方を振り返る。
「さあ、準備ができたよ。まずは型の測定からだね」
テーブルの上にはビロードの布、中央には水晶玉とそれを支える脚、そしてそれらを取り囲むように鏡が配置されている。
「魔力の使い方は知っている? 」
「ええと……、空気中の魔素を取り込んで……」
「そう。空気中には火、風、水、土の細かい粒子、つまり魔素が含まれている。ここまではいい? 」
こくんと頷く。
「僕たちは呼吸をすることで、常にその魔素を取り込みながら生活している。その魔素を意識的に体内を循環させることで、空気中の魔素と共鳴させて魔力を発動させるんだ」
「意識的に体内を循環させる……」
「うん。なんて言ったらいいのかなあ」
ヒューゴがすんと息を吸う。真似してすんと息を吸うと、風に乗ってふわりとユリの花の香りがした。
「深呼吸をすると、体の中に空気が行き渡るのが分かるよね? 」
「はい」
「そのイメージで、呼吸で取り込んだ空気の中から魔素だけを意識するんだ。一旦魔素を意識することが出来れば、体の隅々まで魔素が流れていることがはっきり意識できる」
「……魔素を意識するには、どうすればいいんですの? 」
「まずは深呼吸からだ。呼吸に注意深く意識を向けると、魔素が含まれているのが分かる。火の魔素だったら少し温かかったり、水魔素だったら少し冷たかったり。そんな感じで、空気の中に異質なものが混じっているのが微かに分かるんだ」
ちょうど風の中に百合の香りが混ざっているような感じだろうか。分かるような、分からないような、とりあえず頷いておく。
「魔素を意識できれば、魔素が体内を巡っていることが感覚として分かるようになる。冷たい飲み物を飲むと、冷えた液体が体の中を流れていくのが分かるだろう? それと同じだ。そして体中を巡ってきた魔素を、手のひらから出すイメージで指先に力を込めるんだ」
ヒューゴはそう言うと、手のひらを真っ直ぐ前に向けた。
「口から入って胸、腹、脚、つま先を回って手の指まで循環してきた魔素を、すべて手のひらに集結させる。そうすることで、体内の魔素と空気中の魔素が共鳴して、魔力が発動する。これが大体の仕組みだ」
「……ちょっとまだ理解が」
「うん、それでいい。頭で理解するよりも、やってみて感覚を掴む方が早い」
おいで、と手招きをされて、ティファニーは水晶玉の前まで進み出た。
「これは君の魔力の型を判定する装置だ。魔力の操作に慣れていないと、極小さな発動にしかならないことが多い。それを、この水晶玉に手のひらを当てて発動させて変化を大きくすることで、判断しやすくするんだよ」
手を水晶玉に当てて、と言われ、そろりと手のひらを透明な球体に沿わせる。じっとりと汗ばむ季節になって来たにも関わらず、水晶玉はひやりとしていた。
「まずは深呼吸からだ。ゆっくり鼻から吸って、口から吐いてごらん」
「……分かりました」
ドキドキと音を立てる心臓を押さえるように、深く息を吸う。
「……そのまま続けて。呼吸に意識を持っていって」
呼吸に意識、呼吸に意識。
ゆっくりと鼻から息を吸い込む。生暖かい空気に混じって、時折風がどこからか冷えた空気を連れてくる。百合の香りと若草の青い匂い、それに混じってーー
「っあ、」
「そのまま」
なんだろう、この柔らかく冷たい空気の筋は。吸ったそばから体中の血液が作り替えられていくような感覚に陥る。
気持ち悪くはない。むしろ、目が覚めていくような。
「……さあ、体の中を通っている"流れ"を手のひらから出そうとしてごらん」
手のひらにぐっと力を込める。体を流れるきらきらふわふわした流れの終着点を、指先に。
突然水晶玉の中に、小さな空気の渦のようなものが発生した。それは次第に形を大きくし、はっきりと見えるようになっていく。
「……まあっ……! 」
「ほら! 来たよ! 君たち2人もこっちへおいで! 」
ヒューゴの跳ねた声が耳を素通りしていく。
小さな空気の渦がツルンとした輝きを持ち始める。水晶玉を通して太陽の光を浴びて輝くそれは。
「水だね。君はお父上の血を継いだんだ」
キラキラと光るそれから目が離せない。
……楽しい! これがこの世界なのね!
「ティファニー様、おめでとうございます」
「うん、こんなに早く魔力を発動させられるなんて、才能あるんじゃないか? 」
3人の声にありがとうございます、と呟く。
水晶玉の中でぐるぐると渦を巻く水は、屈折した光を浴びて7色に輝いている。いつまでも見ていられそうだ。
でも、とティファニーは思う。
ーーやっぱり水だったわね。
ゲームの中、もしくは来るかもしれない未来の自分を思い浮かべる。
この美しい水魔力を使って、ヒロインに姑息な嫌がらせをする自分。
ティファニーは水晶玉からそっと手を離す。水の渦はしゅるしゅると消えた。
「ティファニー君、正直に言って君は相当上手い。魔力を捉えるのも早かったし、すでにある程度コントロールできているようにも見えたよ」
満足げなヒューゴに曖昧に笑う。
「今日はこれくらいにしておこう。初めて魔力を意識した日は体に大きな負担が掛かるからね」
なにか質問はあるかい、とご機嫌なヒューゴに、前から気になっていたことを尋ねる。
「……この魔力は、使いすぎると無くなってしまったりすることはあるのでしょうか? 」
レオンとアルベールがぽかんとした顔をしたのが見えた。ヒューゴが片眉を上げる。
「面白い質問だね。今のところそういった事例は確認されていないよ。ただ、年を取って魔力の使い方が下手になることはあるらしい」
「そうなのですね」
「なんでそんなことを考えたんだ? 」
不思議そうなレオンと訝しげなアルベールの視線を、なんとなくですわ、と令嬢スマイルでやり過ごす。
ゲームの中で、確かに私は魔力を失った。しかし今のところ、そのような事例は確認されていないという。
……まあ、いい。この魔力をどう使うかは私次第だ。いつか無くなる時が来るまで、この不思議な感覚を楽しむとしよう。