第30話
うららか、よりやや暑い日差しになってきた。そして、その日差しに負けない熱量でティファニーに迫る女子生徒が1人。
「来週は5月の第1週。つまり、シリルとの重要イベント発生週よ! 」
「あら、もうそんな時期? どうりで薔薇が美しく咲いている訳だわ」
「ちょっと、なに趣に浸っているの! ここでしくじったらやばいんだから、ちゃんと作戦練らないと! 」
隣の部屋まで聞こえそうな声だ。聞かれたら困るからあなたの従者は置いて来て! と言ったのはどの口だったか。ティファニーはやる気に満ち満ちたエイミーの手をそっと引いて座らせた。
「エイミー、あなた講堂で演説でもしているつもり? 重要イベントでやる気になるのは分かるけどね」
そう、重要イベント。攻略対象との親密度がぐっと上げることが可能な大切なイベントである。攻略者1人につき数回発生し、ここで親密度を上手く上げることが、その後の攻略成功のカギになる。反対にここで上手く親密度を上げられないと、最悪の場合その人物のルートが完全に消滅してしまうこともあるという、なかなか気の抜けない事案だ。
そこまで考えて、ふと思い出す。
「そういえば、確か重要イベントを起こすには、イベント発生予定日までに日常の遭遇イベントを何回やらなくちゃいけない、みたいなルールがあったような……」
「あー回数の話ね、私も結局それが何回だったか思い出せなかったのよ。まあでもここ1カ月は相当頑張ったから、そこはクリアしていると仮定したいところね。授業中とか休み時間も会話はしているし」
日常の遭遇イベントとは、放課後に学校の中の特定の場所に行くことで攻略者と遭遇でき、そこで会話をすることで親密度が少し上げられる、という小イベントである。そういえば放課後、図書室や中庭を徘徊するエイミーを何度か見かけた気がしたが、あれはシリルを探していたのか。
「とにかくシリルとは、例の魔獣から子供を救う最初のイベントをすっ飛ばしちゃってるから、ここで挽回するしかないわ」
「確かに、そう考えると頑張らないといけないわね。……で、次のイベントってどんな内容だったかしら? 」
「え、あなた覚えていないの? 」
少し驚いた表情をしたエイミーに、ティファニーはごめんなさい、と返した。
「私、イベントって少ししか覚えていないの。個人のキャラクターがどんな感じだったのか、とかは覚えているんだけど……」
「そうなのね。ああそっか、シリルのルートを攻略していない可能性もあるわね」
まあ私もやり込んでいたとは言え全部のイベントを覚えている訳じゃないと思うし、2人の記憶を合算してやるしかないわね、とエイミーはぶつぶつと続けた。
「それで、どんなイベントなの? 」
「次のシリルのイベントはね、"小鳥と戯れ、動物に愛し愛されるヒロインに人の心の美しさを思い出して惹かれる"イベントよ! 」
ドン、と自信満々に言い放ったエイミーの言葉が宙に浮く。
小鳥と戯れ、動物に愛されるヒロインに、人の心の美しさを思い出し、惹かれる。
「……もう少し具体的にお願いできる? 」
「ごめん、確かに今のは分かりにくかったわね。具体的にはこうよ」
ある日学校の庭を歩いていたシリルは、偶然エイミーが小鳥を手に乗せてエサをやっているのを見つける。人間(美少女)と野生動物が花咲き誇る庭の片隅で心穏やかに戯れている、という光景の神秘さに心がざわつくのを感じたシリルは、小鳥が飛び去った後思わずエイミーに話しかける……
「……みたいな感じよ 」
「絵面を想像するとくどいくらいの"ヒロイン感"ね……。その遭遇する場所は、庭のどの辺りか分かっているの? 」
「南の噴水横のあずま屋よ。この前記憶を頼りに探したんだけど、間違いなくあそこだと思うわ」
白い噴水が近くにあり、柵に蔦が巻き付いている東屋は学校中を探してもそこだけだったとエイミーは力説した。
「でもね、懸念点が2つあって」
「懸念点? 」
「そう。1つ目は、今現在私は小鳥と仲良くないってこと」
「あら……」
思わず手で口を覆う。
彼女は普段は大人しくしているが、なんと言うか雰囲気が騒々しいのだ。野生動物はその辺りを敏感に察知しそうである。
「ティファ、何か失礼なことを考えていない? 」
「いいえ? 小鳥を呼ぶためのエサは何を使っているの? 」
「エサはチョコクッキーよ。ゲームでは何のエサかまでの描写は多分無かったから、小鳥のエサの定番っぽいクッキーにしたの」
言いつつ戸棚から丸い缶を取り出す。ぱかりと開けられた中には、ぎっしりとチョコチップクッキーが詰まっていた。手渡された1つを齧る。
「……美味しい。これどこの? 見慣れない缶だけれど 」
「すぐ近くのパティスリーで売っているわよ。この前街をブラブラしているときに見つけたんだけど、当たりだったわね」
「街……私、この学校のある街を歩いたことがないわ」
「え!? 何それ今度色々連れて行ってあげるわ、あの従者がいなければ……じゃなくて」
こほんと咳払いを1つして、エイミーは深刻そうな顔を作り直した。
「とにかく、私は来週までに小鳥と仲良くならなければいけない。それを手伝ってほしいの」
「方法は? 」
「後で一緒に考えましょう。で、もう1つの懸念点だけど、これは言わずとも分かるわよね? 」
「シリルは別に、人の心の美しさを忘れたアウトロー人間にはなっていない……って話ね」
「そう、それよ」
はああ、とエイミーは長い溜息をついた。
「ゲームでは家族の仲が上手くいってなくて、取り繕った笑顔の仮面の下に闇を抱えていたけど。今のシリルはもはやマザコンレベルでお母さんと仲良しだし、しかも一度氷河期を乗り越えた家族って、絆とか凄そうじゃない? どう考えても、人の温かさを知っちゃってるのよね」
「……確かに。なんか、ごめんなさいね? 」
ゲームのシナリオから外れることになったきっかけを作った自覚はある。反社的に口から飛び出た謝罪を聞いて、エイミーは慌てたようにぶんぶんと手を振った。
「違うの、責めてる訳じゃないのよ? 。私だってシリルが家族と仲良しな方が嬉しいし」
ゲームのシリルより今のシリルの方が友達として仲良くなれそうだもの、とエイミーは付け足す。
「……でも正直、ゲームとは違う彼を相手に、ゲーム通りのやり方で親密度を上げられるか不安なの。そこで、あなたの出番よ」
この流れでエイミーの意味することは1つだろう。ティファニーは持参したポーチをテーブルの上に置いた。
「……つまり、私がそれをこれで占えばいい訳ね」
「そうなの。……ティファニー、お願いできるかしら? 」
「いいけど、私相手にその顔はやめてちょうだい? 」
もはや"ネタ"にしかない例の上目遣いの顔を、ティファニーはエイミーの鼻をつまんで矯正的に終了させた。




