第19話 学園編
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普段より少しフォーマルなドレスに身を包み、廊下を進む。突き当たりのバルコニー席に通じる幕がざっと開くと、眼下には広い講堂と整然と並んだ椅子、そして沢山の新入生の姿が目に入った。
「少し早めに来たつもりだったけど、もうこんなに集まっているのね」
「遠方から来ている生徒は昨日から入寮しておりますので、急がなくとも早い時間に来ることができたのでしょう」
なるほど、と相槌を打ちながら講堂を見渡す。なんとなく全員そわそわしているのが上からでもわかった。当然だ、何しろ今日は入学式である。ティファニー自身も胸がいつもよりざわついているのを感じた。
横を見ると、隣のバルコニーに王族用の席が用意されていた。恐らくレオンが座るであろうその椅子はまだ空席である。
それにしても、バルコニーから入学式に参加するなんて変な感じだ、と思う。入学式への案内状では、この学園では身分関係なく皆平等、などと宣っていたような気もするが。しかし今日ばかりは仕方がない、と侯爵令嬢歴16年のティファニーは思った。
様々な人が出入りする入学式のような催しは、どうしても警備が難しくなる。学校としても王族やそれに準じる身分の人間を固めておいた方が好都合なのだ。緊急事、真っ先に自分たちの周りを警備に固められた経験が数回ある。前世を思い出してから少しばかり違和感を覚えるようになってしまった身分に基づく扱いも、学園側からすれば合理的な判断である。
それに、とティファニーは思った。
ーー今日に関しては、上から全体を眺められる席でラッキーだったわ。
なぜか。それは、本日いきなり最初のイベントが発生するからである。
イベント、それはつまりゲームでいうところのヒロインと攻略対象の関係性が深まる出来事のことである。
入学式である今日、ヒロインは早速イベントを控えているのだ。
1つ目は式典前、自分の席を探していたヒロインが前方不注意でシリルにぶつかってしまう、というものだ。所謂"出会い"というやつである。
シリルは突然現れた見知らぬ美少女に興味を抱くーーという流れなのだが。
「……もしかしたら、そうはならないかもしれない」
「何かおっしゃいました? 」
「いいえ? 」
噛み締めるように呟いた言葉を拾われ、慌てて否定した。
そう、ティファニーは微かな希望を抱いていた。
なぜなら、ゲームと"現状"は違うからである。
シリルはゲームのように家族と上手く行っていない訳ではない。それが直接影響するとは思わないが、例えば両親の手厚い見送りに応えているうちに式の時間ギリギリになり、ヒロインの講堂への到着時間と時差が生まれて、衝突を回避するーーみたいな。
もし、もしもイベントが発生しなかったら、穏やかで楽しい、なんの心配もいらない普通の学園生活が送れるかもしれない。
「ティファニー! 」
「ヴィクター! 」
突然声を掛けられる。横を向くと、王族用のバルコニーとは反対側のバルコニーから、ヴィクターが身を乗り出してこちらに手を振っていた。
それに手を振り返しながら、そう彼もよ、と考える。
ヴィクターだって、理由は判らないけれどゲームの中の彼とはだいぶ違う。この違いが、これから始まる「ストーリー」にまったく影響しないとは思えない。……思いたくない。
それを判断するためにも、最初のシリルとヒロインのイベントが発生するかどうかは、是非とも自分の目で確認しておきたかった。
その時、ふと見知った後ろ姿が視界に入った。
ーーシリル!
講堂の中央辺り、式典のパンフレットを持った美しい金髪の青年が立ち尽くしている。おそらく自分の席を探しているのだろう。
その周囲に女子生徒の姿はない。
安堵と歓喜が胸に広がりかけた、その時。
突然、バルコニーの真下にピーチピンクのヘアの少女が現れた。こちらに背を向けているため、表情は確認できない。
あの髪の毛、と思った次の瞬間、彼女はシリルの方へと猛然と走り出した。
ーーえ!?
ティファニーの思考が纏まるよりも早く、彼女はシリルへと思い切りぶつかった。
ざわっとざわめきが広がる。その中心で、きゃあ、と可愛らしい声が聞こえた気がした。
「おや、あそこにいるのはシリル様ですね。……ああ、生徒の1人とぶつかったのですね」
「……ええ、そうみたいね」
呑気なアルベールの声に、なんとか返事をする。崩れそうな脚にどうにか力を入れて立った。
ーー起こってしまった。
やはり、ここはあくまでゲームの世界なのか。
これからどんな未来が待ち受けていようとも、自分の学生生活を楽しむ。そう決めたはずなのに、いざゲームの展開を現実として突きつけられると、目の前が急に真っ暗になったような気がした。
絶望するティファニーをよそに、シリルが少し驚いたような優しい笑顔でヒロインに手を差し伸べるのがぼんやり見える。
見ていられなくなって、バルコニーの手すりから離れて椅子に着席する。
「……ティファニー様? どうかされました? 」
「いいえ。ただ、朝から長く馬車に乗っていたから、少し疲れちゃったみたい」
「そうでしたか。部屋に戻ったら紅茶でも淹れましょう」
うん、と頷く。ちら、と顔を上げると視界の端でピンクの髪がキラリと輝いた。




