40.最後の最初の舞台へ
それから起きた出来事は、めまぐるしいジェットコースターのようだった。
『ここで、静かにしていろ』
少年がそう言って、布らしきもので目隠しをされたときには、一瞬、肝が冷えた。
『迎えが来る。お前はさらわれたのだということにしろ。…俺のことは、誰にも話すな』
そんなような意味のことを言って、後ろ手でゆるめに縄をかけられる。
そして背中に大木らしきものが当てられて…ぎゅっと、くくられた。
もし少年が悪いひとで、私がこのまま変な人身販売に売り飛ばされるとしても、抗うすべはない。
でも、そんなことするために、あのお城から私を連れだすにはリスクが高すぎる。
ここは彼を信じることにする。
こく、と無言でうなずく私の頭を、そっと撫でる気配がして、少年の別れの仕草なのだと悟った。
ありがとうを言おうと顔を上げた瞬間、ふに、と唇に熱がふれる。
・・・ん?
離れる時に、ちゅ、と水音を立てられ、やがて馬の蹄が遠ざかっていく音だけが聞こえた。
目隠しをされているから何もわからないけれど。
もしかして今、スニャされたんでしょうか、私。
もう感覚がおかしくなって、何と言っていいかわからない。
え、なんで、ちょ、説明求む!!
でも彼の気配はもどってこないし、やっぱりこっちの人って思ったよりも気軽にスニャするものなのかな、アレンが過剰反応していただけか。
あいつ、まさか童〇か。
そんなくだらなすぎることを考え、どのくらいそうしていたか。
途中、呑気に眠気に負けてうたたねをしてしまったので(我ながら神経太すぎる)、正確な時間は覚えていない。
ただ、聞き間違えようのない、懐かしい声がした。
『本当にいた!』
声のした方をばっと振りかえる。
目隠しをされているので何も見えないけれど、でも、わかる。
こっちの方向から、あの懐かしい声がした。
「シリスぅ…」
まるで子犬がくぅ~んと泣くような情けない声で呼ぶと、ぎゅっと温かい力で抱きしめられたのを、包まれた腕の温かさで知る。
目隠しの布がほどかれて、私をのぞきこむシリスの真剣な表情に、一気に涙腺が決壊した。
シリスだぁぁ。
泣き出した私を、シリスはもう一度抱きよせて、背中をぽんぽんと叩いてくれる。
怖かった…怖かったんだよぉぉぉぉぉ!!
そうして、手を縛っていた縄も手早くほどいてくれると、ぐすぐす泣いている私の顔を真正面からのぞきこんで、『立てる?』と聞いてきた。
うん、身体は何ともない。
ケガもしてない。
こくりと首肯すると、いい子だと言わんばかりに頭をなでてくれて、私の頭上にショールをかぶせた。
うわぁ、いま優しくされると涙が止まらん…シリスに惚れてしまいそうだ。
『このまま、私の住まいに行くわよ』
否やはなかった。
はやく安全なところに、ずっと会いたかったシリスのテリトリーに入りたかった。
もう、誰にも追われない場所に、一秒でも早く。
歩きながら、シリスが手早く説明してくれたことには、真夜中、何者かが彼女の部屋に手紙をさしこんできたのだという。
そこには場所を記した地図と、『王の城から逃げてきた異国のメイドを預かっている』というような内容で、まさかと思いつつ心当たりがありすぎたシリスが、信頼できる少数のひとをお供に駆けつけたところ、めちゃくちゃ見覚えのある黒髪の人影が、木に括り付けられていた、ということらしい。
ショールで目立つ黒髪を隠しながら、シリスの暮らしている家に着いた時には陽がだいぶ高くなっていた。
そして率直におなかがすいた。
道中、ほとんど食べてなかったから。それどころじゃなかったのも大きいけれど。
私が語るより、盛大に鳴った空腹音のおかげで、その意志はしっかりシリスに伝わった。
あいかわらずお菓子作りが趣味なところとか変わっていないようで、そのおかげで、ほんのり甘みがやさしい焼き菓子とか、ババロアみたいなのとか、彼女がじゃんじゃん出してくれた。
とにかく食べているうちに、ほっとしたのと、改めて体験したことの怖さとかが時間差でじわじわ来てしまった。
涙が、とまらん…。
『泣くか食べるか、どっちかにしなさい』
温かいお茶をいれてくれながら、シリスがそんな風に笑ってくれる。
あああああああ、もう、本当に、どうなるかと思ったよぉぉ。
お菓子も美味しいし。
そうして人心地着いたところで、ようやく私はシリスに事の経緯を説明する。
・暗殺されかけたこと
・ユカリことルーカリー王子と再会したこと
・キャリーとユキルカ嬢が正式に結婚したこと
・奥の宮に幽閉されたこと
・そこでヨウコ様に会い、元の世界に戻る方法を教えてもらったこと
・そして…そして…
”俺のことは誰にも話すな”とあの少年は言っていた。
ここから説明が難しい。
それまで、私の話を真剣に聞いてくれて、分からない単語を根気づよく筆談で補足してまで理解しようとしてくれていたシリスだけれど、今この瞬間、世界でいちばん信頼しているシリスだけれど。
私が余計なことを言うことで、あの少年が危ない目にあってしまうのは、絶対に嫌だった。
別れ際の、唇の感触を思いだす。
…やはり、言わない方が、いろいろといいだろう。
仕方なく、へんてこな作り話をすることにした。
ひとりで奥の宮から脱出しようと、窓からシーツで作った縄で下に降りようとして、うっかり手を放して、落ちる!と思って気を失っていたら…あそこに目隠しされて気に括り付けられていました。
ということを、めっちゃたどたどしく、身振り手振りで説明してみました。
なんじゃそれぇぇ、と、自分でも突っ込みたくなるが、この際どうしようもない。
シリスは何も言わないで話を聞いていてくれたけれど、やがて、ふう、とため息とともにうなづいた。
『とにかく』
嘘に気づいたのか、否か。
不問にしてくれているのかもしれない。彼女はそういう思慮深さがあるから。
そして、手元の紙にさらさらと文字を起こしてくれた。
状況:陛下に追われている。
目的:故郷に帰りたい。
方法:もともといた海に、みどりの服を着てたどりつく。
そう!!!それっ!です!
首がもげるほどうなづいた。
ロックバンドのフェスかよ、ってくらいにはブンブン振りましたとも。
まさにそう、さすがシリス。
私のことをなんでも理解してくれる。ありがたい。
本当に、神様、シリスをありがとう。
いつも変わらずこうして味方してくれて…と、ここでふと、思う。
そういえば、シリスが急にお城を離れた理由は何だったのだろう。
私の目線に、『ん?』と首をかしげて質問を促してくれようとする彼女に問いかけようとして、のどが引きつれたように声が出なくなる。
キャリーから逃げている私を、こうしてかくまうことは、彼女にとっても危険なのでは。
本当は頼ってはいけなかったのでは。
いまさらながら、自分の軽率さに愕然とする。
そんな私を、大丈夫だと力づけるように笑ってくれる。
この人を、この人たちをこれ以上巻き込まないためにも、私は早く”元の世界”に帰らなければ。
だって、ここは、私の故郷じゃない。神奈川じゃない。日本じゃない。多分、地球でもない。
ここは、私の居場所じゃないんだ。
それだけは、もう確信していた。
ヨウコ様の言葉のとおりなら、私は元の居場所に帰ることができるはずなのだ。
『ルーカリー殿下は、もうじきこのアカデミーの館長に就任する』
急にユカリの名前が出てきて、私はまばたきを多めにした。
シリスの目は真剣そのものだ。
『その際、護衛にアレンがついてくるだろうから、その時にあなたのみどりの服も持ってくるよう手配をする』
それはなんて都合がいい!!
そう言えばアレンは王族付きの”青の隊”だ。
そう言われれば納得だけれど、キャリーがここに着任するなんて、本当にすごい偶然だ。
私は運がいい!
そう、シリスに言うと、ほんのちょっとだけ困ったように笑って『そうね』とだけ言った。
その笑顔が、ちょっとだけ引っかかったけれど、これで順風満帆、私はいよいよ目的を果たすことができるのだと思うと嬉しく、そのあとケーキを2個おかわりなどしたのだった。




