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38.さぁ脱走!!


ああ、夜が来てしまう。


窓から見える風景に、すこしずつくらい色がにじんできて、そして。

完全に陽が落ちた。

”王様のお渡り”は、あらかじめこの離宮のひとたちに通達されていたのだろう、いつもより早めに夕飯を用意され、あわただしくお風呂が用意された。

ひぃぃぃこれってつまりそういうことよね。

そして部屋には、すっかり身ぎれいになった私と、一度も目をあわせようとしないメイドさんの二人きりになってしまった。

やばい。

折り鶴の少年が先か、キャリーが先か。

2人が鉢合わせないように祈るしかできない。

「・・・。」

ちら、とメイドさんに目をやると、寝てんのか?っていうくらい、微動だにせず、ドアのわきに立っている。ここから逃げることは無理そうだ。

キャリーのことは本当に本当に気がかりだけれど、ここで彼と結ばれることはどうしてもできない。

ヨウコさんが教えてくれた。

戻る方法があるのだと。

だったら。

私はいつもより薄着になっている部屋着(・・・これってそういうことだよねぇぇのすそをつかんだ。

そしてその手のひらには、お守りのようににぎった折り鶴。

はやく、彼に接触したい。キャリーが来るまえに。


と。


メイドさんがゆっくりこちらに近寄ってきた。

一言も口をきかず、目も合わせなかったのに、急にどうした?と見ていると。

私のすぐちかくに歩みより、ずっと伏せがちだった目を、はじめてこちらに向けてきた。


あ。


水色。

この珍しいいろを、私は知っている。


「え」

私が何か言うよりはやく、目の前のメイドさんは、人差し指をくちもとで垂直にたてる。

このジェスチャーも、万国共通なのか?

何も言えないでいる私にむかって、す、と、何かがさしだされた。

それは、白い紙でつくられた折り鶴。

「・・・!」

察した。つまりこのメイドさんは。

目が合うと、水色の瞳が笑っている。

ああ、間違いない。

ほとんど見たことがない笑顔だったけれど、見間違いではない。

じつはずっといたのだ。あの日の少年が。

っていうか、体が華奢だから、そのメイド服めっちゃ似合う!

こうやって女装して、すでにこの奥の宮にもぐりこんでいたなんて、今まで気づかなかった。

いつからだろう?

疑問が押し寄せる私をよそに、彼は一瞬ドアのむこうの気配を探るようすを見せ、意を決したように私の手をつかんだ。

廊下には、見張りのひとがいるだろう。

そうすれば、逃げる場所はひとつ。

窓にぐっと身を乗り出す少年に、まじか!そっからか!とひるむ。

ここは2階。おちたら結構おおきなケガをするだろう。

しかも、この離宮は跳ね橋がないと、外に渡れない。

どうするんだろう、と見ているうちに、彼は私のあしもとをふわりとかかえ、肩にかついだ。

そんな!米俵をもつような感じで?運ばれるの私?

声を出さないよう、必死に手でくちもとを押さえつつ、これからどうなるのか怖くて仕方がない。

でも、ここにとらわれたままでは、私は私のいた世界に帰れない。

ええい!!ついていくって決めたんだ、勇気を出せ私!!

そんな私の覚悟を知ってか知らずか、少年は窓辺に足をかけ・・・



とんだーーーーーーーー!!!!!!!








脱出はまさに危機一髪だった。

主のいなくなったその部屋に、それとは知らずにキャリーが訪れたのは、本当に数分の誤差だった。

ノックは三回。

中から答えはない。

ふたたび三回、木の扉をたたく。

答えは、ない。

まさか、中ですでに寝落ちているのだろうか、と想像し、キャリーはくすりと笑みをこぼした。

ありそうなことだ。

昼間、突然おとずれた際には少々子供じみた入室をしてしまった手前、今夜は、この夜こそは、紳士的にふるまうと決めていた。

持参したライキの花束は、彼女にせめてもの誠意と愛を伝えたくて、大急ぎで摘んできたものだ。王、手ずから。

ようやく夢がかなう。ずっとこの夜を待っていた。

けれど、中から返事がない。

さすがに不安になってきた。

「姫、入るよ」

そう声をかけ、両脇で門番のように立っている兵に頭を下げられながら扉を開ける。

シンプルな家具しかない部屋のなかは、廊下と違って真っ暗だった。

その明暗の差に、目が慣れるまで数秒。

「姫?」

寝ているのかとベッドのうえへ視線をすべらせるが、ひとが横たわっているふくらみは見当たらない。

反射的に、部屋中をみまわす。せわしなく。

いない。

暗いその部屋のどこにも、人の気配はない。

ただ、開け放たれた窓が風を招き入れているだけだ。

「・・・!」

まさか、と駆け寄り、窓から下をみる。

人が飛び降りるような距離ではない。脱出用のロープの痕跡もない。

文字通り、この部屋から人が、消えた。

「・・・誰か」

一気に、胃の腑が冷える。

体をめぐる血が冷たくなり、重力に従ってす・・・っと下がっていく感覚だ。

まさか、と思いつつ、この目で確かめた現実を、どこか冷静に理解する。

「誰か・・・っ」

いない。

いるはずの彼女が、ここにいない。

行き違い、すれ違いということはないはずだ。

現に扉の両脇にいた兵たちは、忠実に責務を果たしていた。

王のほか誰も出入りせず、ただ身支度を整えた姫君が一人でいるはずだと。先ほどそう報告してきた。さすがに一兵卒が王を欺くなどという愚はおかさない。

「姫を、探せ・・・ッ!」

最後の叫びは、悲痛な色をにじませていた。

そしてその目は、引いた血とともに感情もそぎ落ちたかのような、生き物がするには昏すぎるものだった。


ライキの花束が、絶望とともに、床にたたきつけられる。

散った花弁から、ほのかな芳香がむなしく香った。






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