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37.みどりの服

今夜、あの男の子が来てくれる。

どうやって?という疑問は、目の前の折り鶴がおしえてくれる。

彼は、ここに出入りできる状態なんだ。

だから、これを置いて行ってくれた。

いやーあのとき、クッキーあげててよかった。

そんなつもりは全然なかったけれど、人にいいことをすると自分に返ってくるって本当だったんだ。

私はうきうきを夜を待つ…つもりだった。


急に外がざわついているな、と思った夕方。

突然、自室の扉が開け放たれた。

ばたん、という乱暴な音に、何事かと身をこわばらせていたが、入ってきたのは。

「あ・・・」

金の髪。

悲壮なほど張りつめている表情。

「きゃ、りー?」

疑問形なのは、どうしたの、という意味を込めたつもりだけど。

私のぼけっとした呼びかけに、端正な顔がくしゃっとゆがんだ。

え、え、どうしたの?

自分をここに閉じこめたとか、怖い目にあわされたとか、そういうのが一気に吹き飛んだ。

だって、泣きそうになってる。

目の前で、キャリーが。

そんなん、思わず駆け寄っちゃうじゃん。

そして、キャリーも「おいで」するみたいに両手をひろげてきたら。


なんだか条件反射で、その腕に飛び込んで、ぎゅっと抱きしめてしまった。


怖い、とか、困惑なんて、こんなに頭からぽんと吹き飛ぶものなのか。

私には、ただあの日のキャリーと重なって見えた。

窓と庭と、隔てられた距離からしか会えなかった私たちが、庭中からかき集めた花々で慰めようとしたあの早朝の庭の土のにおいとか、浜辺でたおれていたそのシルエットとか。

いろんなものが、わーっと胸に沸き上がった。

パードン、と耳元でささやかれる。

そうささやかれるたびに、私にそう呼びかけてくるときのあの嬉しそうな笑顔が、思い出される。

『もうすべてが、嫌だ』

はじめて聞くキャリーの弱音。

外で何があったのだろうか。

『姫、姫、私の星。もう、耐えられない』

『・・・。』

なにか、あったっぽいな。

でも難しいことはわからないしな。

涙こそ浮かべていなかったけれど、泣くより痛い表情を、いまのキャリーから学ぶ。

本当にキッツイ時、きっと涙なんて出ないんだろうね。

そのきれいな両頬をそっと包んで、真正面から見つめる。

綺麗なきれいな王子さまは、出会った頃は深くて澄んだ瞳がとても美しかった。

それを、曇らせたのは、私のなにかがいけなかったのだろうか。

一方的に怯えて、勝手に恨んで怖がって、最初に彼を裏切ったのは、ひょっとして私だったんじゃないのか。

いろいろな後悔が押し寄せて、のどがつっかえて声にならない。

キャリーは小さな子供の用に、ただされるがまま、私を見つめていた。

すこし下がったきれいな柳眉が、困ったような、迷子のような、定まらない感情を訴えてくる。

なぐさめる語彙がない私は、もう一度ただ抱きしめてみた。

背中に回した手を、とんとんと動かしながら、小さな子をあやすように優しくする。

傷ついているこの人を、ただ慰めてあげたい。

それだけだった。

『ねぇ姫』

やがてぽつりとこぼされた言葉を、私は必死に拾おうとする。

『私は王位なんか欲しくなかった』

あー…。

そういう、政治がらみで、きっと何かあったんだね。

私では背負ってあげられない何かが、キャリーをさいなんでいる。

そのことを、察する。

背中をさらに、ぽんぽんと叩く。

いいよ、ゆっくり吐き出して、と、祈りを込めながら。

私にできることは本当に少なくてちっぽけだ。

『姫』


あ、


口づけをされ、ようやく至近距離で見た翠の目の意味を知る。

唇に体温を感じるまで、キスされることをまったく予想していなかった。

不意打ちだった。なので、そのまま受け入れてしまった。

・・・こういう所が、良くないんだろうなぁ。

とっさに抵抗しようとし、やめる。

これは私が悪い。

ごめんね、これを拒んでさらにキャリーを傷つける権利は、私にない。

彼は私を好きだとあんなに伝えてきてくれたではないか。

それなのに、こんなに隙だらけなのは、私にも責任があった。

だからこそ、キャリーがもっと傷ついてしまったのかもしれないし、ここに私を閉じこめたのは、こういう自身の愚かさのツケなのかもしれない。

そっと唇が離れ、抵抗しなかった私を意外なものを見る目で見て、キャリーがふわっと笑った。

私も、ぎこちなく微笑む。

今度は、キスをされないようにその胸にぎゅっとほほを押しつけて抱きついてみた。

ごめん、これが精一杯だ。

今夜、私はあなたを最大に裏切るかもしれない。

でも大好きだった気持ちは、ここに置いていこう。

そんな気持ちを込めて、ぎゅぎゅっと抱きしめた。


『王』

差しこまれた声は、ドアの外からだった。

『そろそろ、戻られませんと』

ジュゼさんだ。

抱きあう私たちに動じず、淡々と告げている。

あいかわらず、表情が読み解けない。

『・・・・・・・。』

たっぷりの沈黙は、キャリーの葛藤だったのだろう。

けれど彼は、王であることをえらぶ。

『・・・・・・・・いま行く』

名残惜しそうに私のほほを撫で、やさしくほほえんだ後、キャリーの表情がきりっと鋭くなった。

王様に戻るのだ。

『姫、あとでまた』

私の返答を待たず、キャリーは颯爽と出て行ってしまった。

とにかく、戦争とか、そういう大事じゃぁなさそうかな。

そう思いつつ、脳裏に何かが引っ掛かる。


あれ。


さっき、確か。


あとでって、言ってた?

え?だって、もう夕方だ、この後は夜しかない。

夜はまずい、あの折り鶴の彼が、クッキーの彼が、ここに来ちゃう。

キャリーがここを訪れれば、警備も厳重になるだろうし、すぐに逃げたことが発覚してしまう。

それ以前に、彼が捕まったらどうしよう?

私はオロオロと部屋を動き回り、何とかいい案はないかと天井を睨んだり床を見たりしてていると、その床をコツっとたたく靴音に気づいた。

顔を上げると、入り口にいるのはヨウコさんだ。

あれ、どうしたんだ、今日は千客万来じゃん。

私が何か言うより早く、ヨウコさんが私に抱きついてくる。

え、え、今日はなんだ、抱きつきデーか何かか?そんな記念日があるかどうか知らんけど。

ヨウコさんの背後には、メイドさんらしき人が控えている。

私か、ヨウコさんか、もしくは両方の監視だろうか。

ヨウコさんが突然抱きついてきた理由を、コンマ2秒後に理解する。

「言い忘れてた」

抱きついて、耳元で素早く告げられる小さな声。

「ここに来た時、あなたが着ていた服があれば、それを用意して」

着ていた服?

その単語に、ぱっとひらめいたものがあった。

みどりのワンピース。

寒そうだったキャリーに掛けた、あの服。

ブラとパンツだけになったきっかけになった、身に覚えがなく着ていた緑の服が浮かぶ。

「それを着て、最初の浜辺へ」

それだけ言うと、ヨウコさんはまたふわりとした足取りで部屋を後にした。

きっと伝えわすれていたことを、教えに来てくれたんだろう。

監視の目を意識しながら。

それにしても、そうか、あの服には、何か意味があったのか。

最後に見たのはいつだっけ。

あ。

たしか、アレンが持ってた。

今思えば、あの時は「本人確認」みたいなものだったんだろうな。

キャリーが私を探してくれていたのだろう。

まるでシンデレラのガラスの靴のように、従者にあの服を託し、”私”を確認させた。


あの服は今、どこにあるんだろう?


急にいろいろな情報が渋滞してきて、私は再び部屋をうろついて天井を見たり床を見たりするしかなかった。


あああ、それより今夜、どうしよう!?

あんなに待ち遠しかった夜が、今は怖くてたまらなかった。


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