36.ヨウコと老婆と不思議な話。
聞きたいこと、言いたいこと、言葉が頭にうわっとあふれる。
どれから言えばいいのか、脳が高速で稼働してるのに、それがうまく舌のうえに乗らない。
それでも、ヨウコ様が私の手をそっと包んでくれた瞬間、ぶわっと口からあふれだした。
「ヨウコ様はどうしてここに?いつから”こっち”に?ってゆうか、これってやっぱり夢じゃなくてええと、パラレルワールド?みたいな、現実みたいなもんですか?あと、あと、戻る方法・・・」
言いかけて、ハッとする。
戻る方法があれば、この人はとっくに戻っているのでは。
こんな暗い離宮で、ぼんやりと過ごしている理由がわからない。
目の前にいるその人を、あらためて見てみる。
彼女もこちらを見つめている。何とも言えない、表情で。
そして私が言葉の接ぎ穂をさがしている間に、ゆっくりと語しだした。
まず、様づけはやめて、と、少し笑ってワンクッションを置いて。
「私がここに落ちてきたのは、もう何年も前。気がついた時には”魔女”の塔に閉じこめられていた」
落ちてきた?
魔女?
気になるワードを反駁したくなる気持ちをぐっと飲み、先を促した。
声をひそめたヨウコ様が、ときおり周囲を警戒するように視線を走らせつつそれを語る。
もちろん魔女というのは比喩だ。
その日、ヨウコ様あらためヨウコさん、は、不思議な香りで目が覚めたという。
嗅いだことのない、花の蜜のような、甘くてねっとりしていたそれは何だろうか、と思いつつ目を開いた。
見えたのは暖炉と、ひとりの老婆。
知らない人物だった。
慌てて身を起こして周囲を見やると、壁は石造り、どこか底冷えする空気のなか、暖炉の温かさにほっとしつつも混乱していた。
いつからここで眠っていたのか、一切の記憶の境目がない。知らない部屋に、老婆と二人きりになる要素が、思い当たらなかった。
ここはどこ、夢なのか、と目の前の老婆にたずねた。
老婆はゆっくりと振りかえり、否、と答えた。
日本語だったと、ヨウコは言う。
ここはお前の知っているどことも違う、私の育った場所とも違う、われわれは”落っこちてきたのだ”と老婆は言う。
当の老婆はずっとここに閉じこめられており、どこにも出られないという。
そしておそらく、このままここで朽ちるだろうと、うそぶいていた。
最後まで名前を知らないままだったその老婆は、ヨウコに3つのことを教えてくれた。
・ここは、ヨウコが元いた世界ではない
・戻る方法は、「役割を果たす」こと
そして。
・失敗すれば、自分のように永遠にこの世界にとらわれる
役割・・・?
ずっと知りたかった、元の日常に帰る方法。
それが”役割を果たす”とは、いったいどういうことなのか。
「最近、うっすらとだけど、あの老婆が言ってたことがわかってきた気がする」
「え」
「・・・たぶん、私は失敗したのよ」
「え!」
それはつまり、ヨウコさんはここから戻れない、育った日常に帰れないということだろうか。
そんな。
なのに、ヨウコさんはどこか嬉しそうだ。
「なんで」
「え」
気づいたら尋ねていた。
「帰れないかもしれないのに、なんで、ちょっと嬉しそうなんですか?」
勘違いだったらすみません、と言い添えながら、ヨウコさんの目をじっと見た。
だって、別に悲しそうじゃない。不思議だ。
私だったら不安だし怖いし早く帰りたいし、実際そのためにいろいろと悪あがきをしてここまで来た。
ヨウコさんはふわっと笑った。
「待ってるから」
そう言う。
誰を、とは言わなかった。
「老婆のところにいた私を、本当に”王子様”が助け出してくれたのよ」
あ、と、言葉を飲む。
第一王子に嫁いできた彼女。
その老婆のもとから、何をどうやって第一王子の后になっただろうか。
そこんとこが気になったものの、ヨウコさんは首を振って私の好奇心を制す。
「私のことはいいわ。監視の目をごまかすためにちょっとオカシイ人を演じて、自分の意思で、ずっと待ってるのよ。ここで」
大切な秘密を打ちあけるヨウコさんは、少女のように笑った。
そして、真顔になった。
「あなたは帰りたい?」
突然の問いに対し、私の答えは、一つだ。
こくん、と首肯する。
「帰りたいです」
迷いはなかった。
ここでお世話になった人たち、大好きな人たち、その後が気になる人たちはたくさんいるけれど、答えはひとつだった。
私にとってここはどこかお伽噺のように感じられて、寿命尽きるまでみんなと過ごす覚悟など、どう頑張ってもできなかった。
帰る方法があるのなら、それに賭けたい。
薄情かもしれないけれど、でも、それが偽りない気もちだ。
ヨウコさんは、私のきっぱりした言葉に、ふんわりと笑みをうかべる。
よくできました、と言うように。
「それでいいわ。私もね、あのおばあさんが教えてくれたことを全部信じたわけじゃないのだけれど、でも、なんとなく、うっすらと、ね、分かってるつもり。でもあなたはいいのよ、好きな方を選んで」
彼女はうっすらと、と強調した。
確信はないけれど、悟るものがある、ということだろう。
「そうね、私が手伝えることはほとんどないけれど・・・」
申し訳なさそうにヨウコさんは目線を落とし、次いで教えてくれた。
「まずは、自分がこっちに”落っこちてきた場所”へ戻ることね。この世界で、最初に目を覚ました場所。どこだったか、覚えている?」
最初に、目を覚ました場所。
鼻孔をくすぐった、潮のにおい。
冷たい水になでられた足。
手指がめり込んだ砂浜。
「浜辺」
そこで、キャリーと出会った。
「私は、そう、海の近くに落っこちたっぽいです」
「海」
ヨウコさんが大きく瞬きをする。
「この国で、海岸がある方角は西。古代遺跡群がある地域ね」
古代遺跡?
「とにかくここから脱して、西に向かいなさい。そこに行けば、たぶん、いろいろとわかってくると思う」
それはアドバイスというよりも、ふんわりとした予言のようなものだったけれど、やみくもに悩み続けるよりもよっぽどましだった。
すがってみる価値は、あるはずだ。
「この奥の宮を抜け出すのは難しいわね・・・けど、外から誰かが手引きをしてくれれば、不可能じゃない。今は機会を探りましょう」
「はい」
嬉しくて、こっくりとうなずいた。
「私はひきつづきちょっとオカシイ人を演じるから、外ではそのつもりで接してちょうだいね」
それはまあ、協力します、もちろん。
でも、なんでそんな回りくどいことを?
疑問が顔に出たのだろう。
ヨウコさんはちらっと笑って、私の背を出口に押しやる。
「こうすることで、守れるものもあるの。私のことはいいから、あなたは自分のことだけを考えて」
「はぁ」
振りかえった先で、ヨウコさんは素敵に笑っていた。
彼女のことは大丈夫、そう思える笑みだった。
よし、まずは私は私のことに専念しよう。
ここから出る方法。
西に向かう方法。
あの海辺へ行く方法。
あの場所がどこかは、分からない。
でもキャリーなら、知っているはずだ。
なんとかキャリーに、あの場所へ連れて行ってもらうことは、できないだろうか。
・・・・・・・・・・・できないだろうなぁぁぁぁ!
できたら、そもそも幽閉されてないわ。
自分で自分にツッコミつつ、まずは自室に戻って作戦を練ることにした。
ヨウコさんからヒントはいろいろもらったのだから。
老婆の正体もわからないし、ヨウコさんに起きた出来事の何をどうしたら今の生活になるのか、とか、気になることはたくさんあるけれど、今は自分を優先しろという言葉に従おう。
他の人をどうこうしている余裕はない。
いま一番、自分の立場が分かってないのは、私なのだ。
しっかりしよう。おう。気合いれてこ。
決意を新たにし、自室の扉を開けると、中から出てきた侍女風のひとと鉢合わせた。
彼女に手にはシーツが盛られている。
シーツを取り換えてくれたのかな。
あ、アリガトゴザイマス、とつぶやくと無言で会釈され、そのまますれ違った。
変な監視は続いているようだし、他の人たちも私とクチをきいてくれる様子はない。
わかっていたけれど、あんまりいい気分はしないよなぁ。
あーあ、どうなっちゃうんだろう私。
シーツを取り換えてくれたであろうベッドに、思わずぼふっと倒れこむ。
ぐしゃ。
かすかな違和感だった。
お腹のやわらかいところに、ほんのちょっと変な感触がはしる。
なんだ?
毛布をめくる。
シーツも白いからわかりづらかったけれど、白い小さな塊がそこにあった。
うん?
拾ってみる。紙だ。
ぐしゃっとなっているそれを、注意深く見てみる。
ひしゃげている部分を、そっと伸ばす。
そしてしげしげと観察した。
ツル。
これって、折り鶴よね。
え、なんでベッドに?
この世界にも折り紙ってあるのだろうか。
もしくは、ヨウコさんからのメッセージ?
そっとツルをほどいてみる。
何か書いてある。
この単語、こっちの言葉、たしか。
―――クッキーの礼。
―――今夜、月の頃。待て。
クッキー、折り鶴、私の中で何かのピースがかちりとはまった。
水色の目を思いだす。
そうだ、あの、地下牢にいた少年。
いつのまにかいなくなってしまっていたあの少年。
彼が、ここに?
私はいま自分が入ってきたドアを振りかえり、次いで窓枠から外をみる。
なかなかの高さだし、足かけになるような木もない。
どうやって、ここに?
もうこれは確信だった。
あの彼が、ここに来る。
きっと、今夜。
相談してみよう。
私はツルを元通りに折りなおすと、そっとハンカチにくるんでポケットに突っ込んだ。




