表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/42

35.答え合わせ編・その時のユキルカ


きれいなお姫様。


不思議なことに、彼女をそう呼んだのはこの世で一人だけだった。

それはユキルカの容姿が醜いからではなく、見ればわかる当たり前のことを、そんな単純な単語で、あえて誰も口にしなかった。そんなシンプルな理由だったかもしれない。

お美しい、かわいらしい、可憐な、清楚な、華やかな、と、媚やお愛想をかざるための千の言葉よりも、にこっとほほえみだけをそえた一言が、どうしても忘れられない。

たぶん、生まれて初めてだったのだ。

ユキルカが何者でも関係なく、ユキルカがどう思うかではなく、自分がそう思った言葉を、すとん、とかけられたのが。

信じられないことに、そんなことは、あの瞬間まで一度もなかったのだ。

・・・悔しいことに、あの一言で大好きになってしまった。

憎い憎い恋敵、自分のすべてを台無しにする憎い女。

そう思おうと、何度も自身に言い聞かせた。

でも思いだすのは、あの笑顔と、さしだされた青いピスポの花。

そして、突然の雨に打たれたあと、うれしそうに髪をくしけずってくれた、鏡越しの笑顔。

思い返すものがすべて、ユキルカにやさしいものだった。

そのことが余計に、息を苦しくさせる。

なぜ憎ませてくれないのだ。

彼女も、キャリアル様も。


今日は、いつもつきまとってくるレイド夫人がいない。

所用があるので夕食ごろまで戻らない、と、出ていったのは朝食のころ。

内心、ほっとしたものだ。

いつもユキルカの耳から毒を流しこむように、悪意を吐きちらし、耳障りな靴音を鳴らす存在がいない。それだけで、少しこころに安寧が訪れる。

どうせ、この城でユキルカの役目などなにもない。

訪れるはずのない名前だけの夫を待つことにも飽いた。

愛されなかった理由を探すことにも疲れた。

見たくもないライキの花々は刈らせたし、たまには気分を晴らせるために散歩でもしよう。

だれにもついてくるなと強く言い渡し、王宮の中庭を訪れることにした。

ここに来れば、いやでも彼女の記憶がよみがえる。

ほほを土だらけにして、何が楽しいのかほほえんでさえいた。

世界で一番会いたくないのに、いま、無性に会いたかった。


そんなことを思いながら、何とはなしに花々をながめていた、その時。

ぼそ、と、ひそめられた声に足を止めたのは、習慣だった。

これはひとびとの噂ひとつで身が危うくなる、そんな上流のもの特有の呪いみたいなものだ。

おそらく口さがない人々よりも、敏感に音を聞き分け、細心の注意を払うよう習慣づけられていた。

その、培われた習慣ゆえに、その低い声自体が耳なじんだ人物のものだと知り、反射的に息を殺した。

「だから、そう申しているでしょう」

レイド夫人だ。

戻ると宣言していた夕食までには、まだずいぶん時間がある。

てっきり城を出て何か私用にあてているのかと思っていたが、王宮内で声をひそめるような、何かをしている。ユキルカには内緒で。

嫌な予感がした。

ユキルカは見つからないよう、そっと自身の影を花々の茂みに隠した。

「大体、なんてことなの。仕留めそこなうばかりか、奥の宮に入り込まれては手の出しようがないわ」

話しているうちに感情がたかぶったのか、少しだけ夫人の声がおおきくなる。

より明瞭に届く言葉が、不穏な色をのせていた。仕留めそこなうとは、穏やかではない。

会話相手は、低く、淡々と、なにかを答えている様子で、それがよりレイド夫人をいらだたせているのかもしれない。

「そもそも、どうしてあの日、青の隊長がかぎつけたの。おまえ、まさか計画をもらしたわけではないでしょうね?」

いらえは聞こえない。

おそらく否と答えたのだろう。レイド夫人は鼻でわらってその答えを一蹴した。

「口ではどうとでも言えます。いいですか、これは旦那様のご意向、お前ごときが逆らっていいものではありません」

耳に拾ったユキルカの心臓が、どく、と過剰にはねる。

旦那様、と、夫人が呼ぶのは、ほかでもない、ユキルカの父であるサンセ伯爵を示す。


お父様が、何を


ユキルカは何も知らない。

幼少期からお目付け役として、身近にいたレイド夫人が、サンセ伯と密約を交わしていたなんて、何一つ聞いていない。

両者とも、それこそずっと昔から知っている人たちなはずなのに、ユキルカは混乱する。

「あのとき、ミスリの緑茶さえ飲ませられていれば、証拠もなく殺せたのよ」

「―――――っ」

ミスリ、という単語に、ユキルカは息をのんだ。

いうまでもなく裕福で、世界中のどんな珍しいものもたやすく手に入る立場のユキルカでさえ、”あの日”の緑茶は記憶にあざやかだ。

聞いたこともない、でもとても良い香りで、上品な味が気に入った。

あれは確か、レイド夫人が声高に言っていたものだ。

とても貴重な異国のお茶で、めったに手に入らないものだと。

特別なかたと召し上がっては、と、にこにことさしだされた。

妙だな、とは思ったのだ。

いつもカリカリしている夫人が、なぜかそんな風に水を向けてくるなんて、珍しいを通りこして奇跡にさえ思えた。


―――そう、先日、お招きした女性…あの方を再度招いて、キャリアル様に誤解をといていただくのはどうでしょう?


あの日、夫人はそう言っていた。


―――こちらに害意はなかったのだと、貴重なお茶を供して示せば、きっとキャリアル様もご納得されましょう。



まさか。

まさか。

「なぜか肝心なところで邪魔が入るのよ。悪女は悪運がつよいのかしら」

「・・・。」

脳内でつながっていく符号がなにかを示しており、それがユキルカの息を苦しくする。

まさか。

「いい?奥の宮になんとしても手のものを紛れ込ませるのよ。あんな世間知らずでおバカなお嬢様が、唯一役に立つためには、邪魔者を排除してやらねば」


その一言で、ひらめくように悟った。


自分はいつだって家の、父の、手駒だった。

そのことをなぜ忘れていたのだろう、と。

いきなり向けられるキャリアルの悪意、敵視するように自分を見降ろした青の隊の長、なぜ周囲は自分を誤解し、不当な扱いをしてくるのかと恨みがましく思っていたが。

もしそれが、誤解ではなかったとしたら。

自分が知らないだけで、とんでもないことに加担させられていたのだとしたら。

そして、普段は”高貴な方”と歌うように自分を持ち上げていた夫人が、吐き捨てるように言った”世間知らずでおバカなお嬢様”が、誰をさすのかなど、分かりきっていた。


震える。

指先が冷えて、血の気がひいていくのがわかる。

どういうからくりかはわからないが、あのお茶を飲んでも自分は平気だった。

けれど、もし彼女が飲んでいたら、命が危なかった。

そういうことなのだろう。

それを承知でレイド夫人は自分をそそのかした。

そしてそれを裏で操っていたのは。父だった。



――――おバカなお嬢様



――――きれいなお姫様




ユキルカはそっとその場を後にする。

色々なことを整理する必要がある。

自分が思い込まされていたものが、足元で反転していくような感覚だ。

味方だと思っていたものが敵だった。

そして本当の味方を、自分は害するところだった。

あの日の笑顔を嫌えなかったのは、嘘じゃなかった。

わきあがる感情をおさえながら、足早に自室を目指す。


あのままでは、奥の宮にいる彼女が危ない。

今度こそは、知らなかったでは済まされない。

そんなこと、ユキルカの誇りが許さなかった。

大好きな憧れの王子さまのもとへ嫁ぎたい、そのささやかな幸せさえ、周囲の思惑で踏みにじられたのだ。

ユキルカをあざ笑うものによって。

そんなことはさせない。


―――かわいい!!


そう言ってきた、彼女の笑顔は本物だった。


―――かわいいかわいい!すごくかわいい!お姫様!理想のお姫様!すごい!すてき!



興奮しながら、彼女は言っていたではないか。

おバカなお嬢様になり下がるか、彼女が信じた”理想のお姫様”、自分はどちらに賭けるか。

そんなの、分かりきっている。


「誰か」

自室に入るなり、落ち着き払った貴婦人と化したユキルカが命じる。

「手紙を出します。すぐに用意を」

突然の主の命に、使用人が思わず、といったように反駁する。

「お手紙、でございますか」

その問いに一瞥をくれ、ユキルカは鷹揚にうなずいた。

「そうよ。王立問政官アカデミアに」

そこには、いる。

奥の宮にとらわれた彼女の味方だと断言できる、信頼のおける出自の人物が。

いまならわかる。

ルーカリーの復帰と同時に宮廷から身を引いた、かつての公式寵姫。

まぼろしの寵姫と噂された彼女が、少々変わり者だという噂は耳にしていたし、実際、高貴な女性の身で働く、そんな異端の存在を、心のどこかで軽んじていた。

でも、今ならわかる。

彼女は、あらかじめ見越していたのだろう。

宮廷内にいては不便になるであろうこれからのこと。真に大切な人の味方になるためには、距離といい、場所といい、申し分ない場所を選んだ。

王族として復権したものは、たいがい、国立のいずれかの施設の長として名誉職を賜るのが慣例だ。

王位継承権のない王族が、権威を保てる場所はそうそうない。限られている。

あらかじめそこに、不自然なほど急に身を置いた人物。


「シリス様に、お会いします」




ユキルカの目に、いっさいの迷いはなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ