34.答え合わせ編・あの時のルーカリー
―――ユカリーー!!!
脳内で何度もよみがえる悲痛な声は、あの日から一度も消えない。
彼女を連れ去ったのは青の隊、王族の近衛隊の制服だった。
幽閉されてる自分を監視し、それと同時に身辺警護も兼ねているやつらだが、今となっては、もはや敵だ。
「彼女はどこだ」
「・・・。」
食事をはこぶ男に詰め寄るが、なんの返答もなかった。
いつもそうだ。
ここでは、いないものとして扱われる。
それに対して今さら不服はない。ルーカリー自身、身を嘆くことなどとうの昔に飽きた。
もうこの世界に望むものなど何もなかった。
彼女以外は。
「たのむ、せめて無事だけでも知りたい」
「・・・。」
バタン、と、扉が閉められ、テーブルのうえに食事だけが残される。
いらだちのままそれを薙ぎはらおうとし、振り上げた手を止める。
もしここで、生きることをあきらめれば、彼女と再会できなくなる。
ここを出ようなどと思ったことはないが、こうなれば、自分が探しに行くしか方法はない。
そのためには、心身を損ねるわけにはいかないのだ。
生き延びてやる。
絶望を知ったあの日から、はじめて強く願った。
その日から、ルーカリーの目的は明確になったのだ。
そんなある日。
限られた自由ではあったが、敷地内の川で、大切な思い出を記憶から取りだしていた。
そういえば、彼女は不思議と”泳ぐ”ことができた。
魚のように、水の中で自由に動けるようだった。
人は鳥のように空は飛べないし、魚のように泳ぐこともできないと思っていたが。
泳いでみせた彼女を、奇跡を見る思いで拍手でたたえたら、まるで意味が分からないというように、きょとんとしていた姿が、いまも震えるほど懐かしい。
あの頃のように、彼女の姿を紙に描きおこしてみる。
ことばを必死に学ぼうとする横顔がいとしくて、いつも本を画板にしてこっそり姿を描き留めていたのだ。
今となっては、もうこれしか彼女のよすがは、ない。
記憶にのこるその姿を、消えないよう、取り戻すよう、祈りを込めてペンを走らせることしかできない。
「あ。」
「!」
とつぜん、頭上で人の声がする。
反射的に見上げると、水色の目とぶつかった。
まったく人の気配は感じなかった。
木陰を落としていた枝に、いつのまにか少年が腰かけていたのだ。
監視のひとりか、と警戒をあらわにしたルーカリーに目もくれず、少年はルーカリーの手元をのぞきこむために、木の枝からするりと降りてきた。
「・・・?」
後ずさるルーカリーから、こともあろうかすばやく紙の束をとりあげる。
「っ返せ!」
伸ばした手をひょいとかわし、少年は絵の中の彼女を食い入るように見つめた。
あまりにも突然すぎて頭が追いつかなかったが、数拍おいてその奇妙さがじわじわと疑問を持たせる。
まるで、絵の中の彼女を知っているかのような反応だ。
それを疑問として口にしようとするより早く、少年が振りかえった。
「この女を知ってる」
「本当か!?」
お前は誰だ、とか、他にも聞くことはあったはずなのに、そんなものは一瞬で吹き飛んだ。
彼女を知っている。
ここに来る前か、それとも青の隊にさらわれた後か。
いずれにせよ、願ってもいない情報だ。
「彼女はどこに?」
「・・・。」
少年は確認するように視線で絵をなぞると、その束をルーカリーにつき返してきた。
「ラズルシャの地下牢」
「!」
それは、最悪の答えだった。
王立の地下牢は、当然ながら犯罪者が抑留される場所である。
顔色が変わったルーカリーに、少年はああ、ちがうちがうと手を振って教える。
「そいつが入ってたんじゃなくて。問政官なんだろ?一番下の階級の、水色の制服だったしな」
「問政官・・・?」
言葉の話せない彼女が?なぜ?次々とわきあがる疑問が顔に出ていたのだろうか、少年はルーカリーを見やり、くすりと笑いを漏らす。
「俺が何者か、聞かないのか」
「そんなことはどうでもいい」
食い気味のルーカリーの言葉に、少年は水色の目を瞬かせる。
次いで、破顔。
敵意は、なさそうだ。
ならば、聞きたいことはひとつだけ。
「彼女は、無事なんだな?」
「ああ。」
ゆっくりとした首肯を、安堵をもってながめる。
「なら、いい」
ひとまず、彼女の無事を聞けただけでも、収穫だ。
このところ、昼も夜も、ただその情報だけを欲していたのだから。
そんなルーカリーを面白そうに観察した少年が、ようやく本題に入った。
「俺は『雇い主』から、お前を助けるように言いつかってきた」
雇い主、という言葉に、ルーカリーが眉をひそめる。
監視員でも、もちろん下働きのものでもないらしい。
逆に、そういった人員に見つかってはまずいのだろう。
だからこんな木のうえに潜んでいたのか、とルーカリーの思考が走った。
それに暗殺以外・・・という言葉に、少年の身分を教えるヒントがあった。
「俺たちの包囲網は多岐にわたる。こんなところに潜入するのもたやすいほどだ。暗殺以外なら、なんでも手伝う。そういう稼業だからな」
「・・・。」
王立地下牢に、彼女がいるという。
ならば。
「・・・彼女のもとへ行くために、手助けを頼む」
「へぇ」
ますます、水色の目が笑う。
「復讐も、身分回復も、保身も望まず?本当にそれでいいのか」
「ああ」
迷いはない。
「そんなもの、どうでもいい」
くっ、とのどの奥で笑いを逃がすと、少年はルーカリーに向き直る。
「正直、俺もあの女には、返さなきゃいけないもんがある」
ちょうどいい、と、少年は肩をすくめる。
「ちょうど王城に潜伏していたときに、世話になったんでな」
ほんの少しだけ、な、と、少年はポケットに忍ばせた「紙の鳥」を、布越しになでた。
少年はこの国に脈々と伝わる”隠密”、シルヴァの民だとルーカリーは悟る。
彼らは法外な値段とともに『暗殺以外』を引き受ける特殊な集団で、ルーカリー自身も接触するのは初めてだ。
依頼ルートは謎、金を積めばいいというものでもなく、その組織も詳細は謎。
ただ、依頼は必ず成し遂げる。
長年の信頼を勝ち得たシルヴァの民は、依頼主にしか姿を見せない。
だれかに雇われたというこの少年が、本物かどうかはわからない。
けれどそんなことはどうでもいい。
雇い主が誰かもわからない。
それこそ、本当にどうでもよかった。
ただこれで、彼女に再会する道が開けだ。
それだけで、十分だった。




