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29.婚儀の黒い花

『ヨウコ、さま』

もういちど口の中で音を転がす。

そして絵の中の彼女をみあげる。

黒い瞳と目が合う。

『どこ、いる、です』

気もちと同時に言葉がこぼれる。

『?ヨウコ様か?』

こくこく、と、必死に首肯すると、ユカリがふしぎそうに瞬きをかえしてきた。

数秒ののち、そのきれいな顔が、思案するように表情をなくす。

『母国に戻されたか、もしくは』

『―――奥の宮にいらっしゃいます』

急に割ってはいった声は、鋭かった。

私もユカリも、反射的に扉を振りかえる。

私たちがはいってきたその入り口に、白い外套をつけた長身の影が立っていた。

ジュゼさんだ。

『お迎えに上がりました、殿下』

一歩一歩、こちらに近づいてくる。靴音がする。

なぜか背中がぞわぞわした。

ジュゼさんの目が、いつも以上に冷たかったからだ。

感情に温度というものがあるのなら、今の彼は、とてもとても凍るように冷たい感情で、こちらを見ている。

なぜかそれが伝わった。

思わず後ろに半歩さがる。

それをユカリがけげんそうに見て、次いで侵入者へ視線を戻す。

そんなのを、直視できないまま気配で感じ取っていた。

なぜだろう、もともと得体のしれなかったジュゼさんが、どんどん怖くなってくる。

『明日は、陛下の大事な日ですので』

『・・・あぁ』

ユカリがうなずいて、それから私の手をそっと取ってくれる。

『ここから一人で戻れるか?』

城内は危険がないだろうから、今日はもう、早めに部屋へもどるといい。

そう笑顔で言い置いて、ユカリはゆっくりとジュゼさんのまえを通り過ぎ、出口にいつのまにか控えていた数人の騎士さんっぽいひとたちと、どこかへ行ってしまった。

広い部屋には、たくさんの肖像と、私と、ジュゼさんだけが取り残された。

永遠にこのままというわけにはいかないだろう。

こわごわと、でも平気なふりをしながら、ゆっくりと出口に向かう。

じっと、彼がこちらを見ているのは気配でわかる。

何なんだろう。何が言いたいのだろう。

彼のちょうど目の前を、あと数歩でとおりすぎる!というところで、がっしりと二の腕をつかまれた。

反射的にびくっと払おうとするも、彼の拘束はゆらがなかった。

『俺の嫁になっていれば』

聞かされたのは意外な言葉。

『万事まるくおさまっていたのに』

かつて、おじいさんの小屋で言われた言葉が頭をよぎった。

―――俺の嫁になってくれ

あの日の彼は、そう言っていた。

初対面のプロポーズに、驚き、あきれ、正直イラッとしたのが懐かしい。

でも、まるであの日がそのまま再現されたような、不思議な気持ちになったのは、ここに彼と私しかいないからだろうか。

否。

彼の表情も、声音も、あの日とまったく同じなのだ。

熱を感じない。何を言われているのか、こちらが混乱するほどに。

言葉と温度が、合っていない。


私は、彼をみあげた。まっすぐに。

まっすぐな視線がおちてきた。

それはちょっとひるむくらい、まっすぐだった。

侮蔑とか、嫌な感情がないことに、私は単純におどろいた。

なんで。

本当にあの日のままの彼が、言うのだ。

『俺の嫁になってくれ。…今ならまだ間に合う』


なにが?


うなずけるはずもなく、私の左腕をつかむ彼の手に、そっと右手を合わせる。

『はなせ』

はなして、と言いたかったけれど、うまく言葉が探せない。

そもそも周囲に男しかいないので、男言葉多めなのが難点だ。

でもまぁ、この場合はいいか。乱暴されているのは私だもん。

拒絶を込めて、ゆっくりと右手で彼の手をはがす。

と。

ぐい、と体を無理に向かされた、と思った瞬間。

『!』



うそ・・・でしょ。



キス、されてるんですけど!?




動けない。

どうすべきか、わからない。

でもこれは、めちゃめちゃそういうことですよね、え、確認したことないし、ここの人たちがしてるのを見たことがないけど…キスって、つまりそういう行為よね?

こっちの文化で、ただの挨拶の一環ってことは、ないよね?

だって、こちらに来て、一度もされたことないよ!


抵抗できずに、ぽかんとしている私をゆっくりはなし、静かにジュゼさんが語る。

『明日、陛下は挙式をなさる。公式寵姫と』

『・・・・・・。』

キスのことよりも、その言葉に気を取られた。

それって、ユキルカ嬢とキャリーが結婚する、ということよね。

色々あったけれど、けっきょく、収まるところに収まるのか。

おめでとうと言っていいのか。

わからない。

私は何も言えずに、茶色の目をじっとみつめた。

『間に合わないかもしれない』

『・・・。』

よくわからないことを、彼が言っている。

でも目が真剣なのは、至近距離ゆえにわかる。

『助けられない』

誰が、誰を。

『すまない』

何が。

『・・・。』

沈黙が痛いほどで、目もそらせない。

彼が再びゆっくりと顔をちかづけて、それがまたキスをされるのだとわかっていたけれど、逃げられなかった。

もうどうしていいのかわからない。

ぼんやりと近づく端正な顔をみつめる。

当たり前のように唇に温度を添えられながら、抵抗することをすっかり忘れていた。

結婚式のこと、そして不穏な言葉と、冷たく昏いジュゼさんの目が、私の思考も止めてしまった。

ゆっくり唇がはなされ、頬に手を添えられても、私は動けなかった。

瞬きするのがやっと、息を取り戻すのがやっとだった。

ジュゼさんはそっと手のひらをずらすと、私の下唇をおや指でなぞる。

まるで、うっかり汚してしまった大事なものを、ぬぐうように。


そして唐突に、部屋から出て行ってしまった。

なんの言い訳も説明もないまま、私はその場に取り残されたのだ。






どういうことだ。




部屋に戻ってから、私は猛然と頭をかかえた。

なに。なんで。すみません、あのチューは何なんですか。

あの肖像画の広間から、どうやって自室に戻ってきたかおぼえてない。

でも部屋に戻ってドアを閉めた瞬間、ようやく思考が追いついてきた。

ぼんやりしてる間に、二回もされてしまいましたけど。

あれはいったいどういう意味なの?まじなに?

シンプルに、聞きたいことは3つよ。


・ジュゼさんは私が好きなの?

・あと、助けられないって、すまないって、何、私に対してゆってんの?


で。


・それより、乙女に無断でキスしたことは謝らんのかい!!!!


イケメンだからってすべてが許されるわけじゃない。

あんなに堂々とされると、どういう意味なのか根本から見失うわ。

こっちでは宣戦布告とか、おまじないとか、そういう程度の意味合いだったりする?

こっちの風習とかわけわかんないもんな。

こちらの常識がなさすぎて、うっかりユキルカ嬢にプロポーズの意である”瞳と同じ色の花をささげる”をやらかした前科もある。

今度マウストゥマウスを、おじいさんに確認してみようかなぁ、と思うと同時に、部屋に来訪者がきた。

あいかわらず仏頂面のアレンである。

いつもなら、あっちいけ、とジェスチャーで示してやるところだが、今日はいろいろと聞きたいことがあったので我慢してやる。

用件をうかがいましょう。

『明日は、陛下とユキルカ様の結婚式がある。他国のお客人も多いから、お前は外をうろうろするな』

あぁん?つまりなんだ。

『部屋でじっとしてろ』

簡潔に言われる。

腹立つなぁこいつ。

『そもそも、陛下の即位式に泥まみれで乱入したり』

うっ

『お前はいろいろと前科があるからな』

そういう言い方って、ないと思う…と反感をもちつつも言い返せない。

あとで補足説明を受けたのだけれど、ユカリと再会したあの日は、キャリーの即位式だったのだ。

それはすなわち兄弟の数年ぶりの再会の日でもあったらしく、同時にユカリが王族として復権を果たしたおめでたい日でもあった。

そしてその祝いとして、一つ願いをかなえてやろう、とキャリーが言った時、ユカリは何も望まない、と答えたという。はじめは。

でも、私が乱入することにより、「兄上、たった一つ、願いができました」というあの流れになり…。


今に至る、と。



ユキルカ嬢が私の命を本当に狙ったのかどうかはわからない。

でも国の大切な儀式になることは間違いない。

そんな日に、また私が何かやらかすのではと、心配性のアレンが釘をさしに来たわけですが。

今の私は、それどころじゃない。

『ねぇ』

意を決して、身をのりだす。

『な、なんだ急に』

私から近づくことなどめったにないので、アレンがめちゃくちゃ動揺している。

『ここ、と、ここ、つける、意味、なに』

ここ、で、私は自身の唇を人さし指でおさえる。

アレンは、はぁ?と要領をえないのか、苛立ちながら聞き返してきた。

『なんだ?つける?』

あーーーだーからーーー。

さらにぐいっと、対面しているテーブルにのりあげ、私は自分の唇に指でふれ、えいっと同じ指でアレンの唇にふれる。

うえ、間接キス。あとで手ぇあらお。気持ち悪い。

でも言葉で説明するより、手っ取り早かったのだ。

アレンは不機嫌そうにこちらを見ていたが、やがてその顔がみるみる赤くなってきた。

うわ、本当に血って、心臓(下の方)から上がってくるんだなぁ、とわかる速度と方向で、朱が走り。

な、な、なに、を、とあえぐように口をはくはくさせるアレンの反応を見て、あれ、と違和感をおぼえた。

やっぱり他人の唇にふれるのって、こっちでもただのあいさつとか冗談の範疇じゃなさそうだな、と思いつつ、真っ赤になったアレンに面倒くさいけれど説明をせねばと思ったタイミングで。

アレンがたどたどしく、言葉を紡ぐ。

『おま、え、それ、いまの、誰と』

うーん面倒くさい。わかった。アレンのその反応で大体察した、もういい。

『スニャ、されたのか…』

うわ、なに、キスのこと、こっちでスニャって言うんですか?

レアな単語を得ると同時に、面倒くさいことになった予感だ。

『誰にだ…殿下か?殿下なのか?』

『ユカリじゃなくて!』

ユカリに濡れ衣がかかるのは嫌だったので、そこはきっぱりと否定する。

ああもう、わかった、スニャって言うのねキスは。

そんでもって、めったにするようなことじゃないし、私の世界での、欧米よりも日本的な意味に近い、ということね?恋人どうしでしかしないレベルっぽいわね?

『・・・。』

真っ赤になったかと思うと、急に青ざめたアレンが、相手は誰だ、となぜか半泣きで聞いてくるのをもてあましながら、明日は絶対に部屋から出ないでおとなしくしていよう、と誓うのであった。



**************************



キャリアル3世と公式寵姫との婚儀は、快晴の日であったと公式記録は語る。

王族はまず、公式寵姫と婚姻し、のちに正妃を城に迎える。

その順番、風習、細かなものは無数にあれど、民衆と共通していることがひとつだけある。

正しくは王室こそが発祥で、そこから民衆たちにあこがれとともに広がった風習でもある。


花婿が花嫁を迎える際、求婚の証として、花嫁の瞳と同じ色の花束を贈るのだ。


その日、その瞬間、もっとも美しく咲きそろう花の盛りを迎えたものだけが摘みとられ、大きな花束となって参列者たちの目に現れた。



キャリアル3世が掲げた花束は、漆黒だった。



誰もが静まり返る式典会場で、ただひとり、王は悠然と、青い目を見張る花嫁に差し出した。



―――この愛を、わが永遠の妻に捧げる



宣誓の言葉は、典範どおりのものであったと、記録には残されている。





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