25.再会、その2
その日は、朝から騒がしかった。
起きる前から廊下がざわついていたし、人の往来をドア越しに感じて、なんで今日に限ってこんなに皆さまお忙しそうなんだ?と寝がえりを打つこと数回。
あまりにもバタバタと気配が行ったり来たりするので、予定よりも早く起きてしまった。
そう、その日は、朝から騒がしかったのだ。
そこまでは気づいていたのに、私は基本的に頭が悪いのかもしれない。
身支度をととのえ、職場であるところの庭に出ようとしたところで首根っこを捕まえられた。
顔なじみのメイドさんがしかめっ面で首をふっている。
行くな、ないし、行かなくていい、の意だろうか。
指さされた窓から外を見れば、おお…なんかめっちゃ武装している人たちが隊列をなしている。
まさか、何か事件があったのだろうか。
不安げに彼女を振りかえったときには、その他大勢の使用人さんらとどこかへ急いで行ってしまった。
なんだ。どうしたらいいのこれ。
先日の”なぞの緑茶事件”があったものだから、あんまりひょこひょこと外へ顔を出したりするのもよくないだろう、と、ビビった私は部屋へもどることにした。
騒がしいのが落ち着くまで、とにかくじっとしていよう。
そう決めると、最近さぼりがちだったお部屋のお掃除などをしてみた。
掃除の基本は、上から下へ。
カーテンレールや棚のホコリを払いながら、ふと、窓辺にかざっていたあのドライフラワーを思いだした。
結局あれは、なんだったのだろうか。
おぞましいものを追い払うように、捨てられた花。
いい香りだったんだけどな。
でもあの香り、どこかで嗅いだことがあったんだよな。いつだったっけ。
そんなことをつらつら考えているうちに、だれかがドアをノックする。
知り合いはあまり多くない。朝も早い。誰だろう。
私たちの居住区はお城から少しはなれたところにあり、敷地内といっても端っこのほうだから、訪れる人も自然と限られてくる。知り合いだけだ。
ためらいゼロで開けると、とても意外な人がそこに立っていた。
庭師のおじいさんだ。
ちょうど会いたいと思っていたところなので、大喜びで招き入れる。
来てくれるなんて、はじめてだ。
うん、お掃除はあとでいいや。
腕まくり&汚れてもいい服&適当にくくった髪型で、本来ならお客様をむかえるにふさわしくはないのだけれど、そこはまぁ、勘弁していただこう。相手は顔なじみだし。
とはいえ最低限のおもてなしをしようと、この国ではメジャーな茶色いお茶を入れると、おじいさんは無言でひとくちすする。
それにしても、本当にめずらしい。
『どうしたの?』
こちらから切り出すと、もそもそと、おじいさんは髭をしごきながら語りだす。
いわく、今日は大切な何かがある(何か、のあたりがよく聞き取れなかった)ので、庭師の仕事はお休み。くわえて、なるべくこの居住区から出ないように、と。
それと、先日から気になっていたが、お前は体調がわるいのか。と。
何のことかと首を傾げ、語彙がないのももどかしく、おじいさんの言葉を先へうながす。
『リコの花』
『・・・?』
『お前から匂ったのは、リコの薫りだった。この国ではめったに咲かない薬草の一種だ』
それが、たぶん、体の何かに作用する、ということをおじいさんは言ったのだと思う。
へえ、あの花がそんなに貴重なうえに、なにやら効能があるとは思わなかった。
ますます、あれをプレゼントしてくれた人は、良かれと思って善意でしてくれたんじゃ?なんて思えてくる。
アレンがあんなに慌てて排除した理由が、ますますわからん。まぁ、あいつアホだしな。
おじいさんの話をつなぎ合わせると、貴重な薬草の匂いがするくらいだから、私が重い病気か何かだと思って案じてくれた、と。
うう、普段寡黙なのに優しいなぁ。
ありがとう、と告げようとして私が口を開くのと同時に、おじいさんは不穏な単語を口にした。
『毒』
・・・?
『あの薬草自体はいい。けれどミスリを煎じたお茶と合わせると、心の臓をむしばみ』
毒となって、死に至る。
・・・・・・・・。
うん?
聞き間違えたのかな?
おじいさんの目をじっと見つめる。
あまり聞きなれない単語だったから、勘違いしているのかも。
私がまったく”ワカッテナイ”のが、表情から分かったのだろう。
おじいさんはゆっくり、説明をつづけてくれる。
リコもミスリも、この国よりはるかに寒い土地でしか採取できない。
片方ずつなら、貴重な薬として用いられる。
けれどこの二つをあわせて服用すると、体内で一転、毒のような作用をもたらすのだという。
もともと高貴な身分のものしか口にできない高価な植物だし、おじいさんがその効能を知ったのは職業柄で、そもそも一般的には知られていない。そのくらい珍しい植物たちだ。
だが、かつて異国では暗殺に用いられたこともあるという。
うす紫の、小さな花がリコ。
そしてミスリは、煎じた葉を湯に浸すと、あざやかなみどり色になるという。
「・・・・。」
ちょっと。待って。
みどりのお茶。
ジュゼさんの言葉が、脳裏によみがえる。
―――『もし、お前にみどり色の茶を出そうとするやつがいたら、絶対に飲むな』
ユキルカ嬢の庭で供されたお茶。
みどり。
慌ててドライフラワーを始末させたアレン。
そしてあの香り。
・・・・・・・・・・・・・・・・あ。
思いだした。
突然だけど、思いだした。
あの香りを、私は知っている。
あの匂いに包まれてねむっていたことが、あった。
もう遠い記憶になりつつある。でも絶対に忘れられない記憶。
―――ユカリ!!!!!!!
ひらめくように彼の名前を思いうかべる。
ユカリからいつも、あの香りがしてたのだ。
それは私が初めて彼と出会った、あの夜も。
花のような、甘やかな、嗅いだことのあるようなないような。でもいい匂い。好きなやつ。
その記憶を最後に、気を失った私。
あれはもしかして、川でおぼれた私にユカリが人工呼吸をしたから、香ったのではないの?
遠のく意識の向こうで、確かに私はあの匂いを嗅いだ。
そして、ユカリの黒いマント。
あれから、同じ匂いがしていた。
というより、彼からはいつもあの香りがしていた。
共に過ごすうちに、あまり気にならなくなってしまったけれど。
でも私の記憶によれば、ユカリの暮らしていたあたりにあの花は咲いていなかった。
この部屋にとどくまで、私はあの花を見たこともなかったのだ。
恐る恐る、おじいさんに確認する。
『そんなに、この国では貴重なものなの。…珍しいの』
おじいさんはおおきく頷く。
『少なくとも、この国に自生していないし、栽培もほぼ不可能』
かつて暗殺に用いられたこともあるほど、貴重で危険な薬草で。
この国で見たことがある者はほぼいない、誰にも知られていない。
『お前さんからその匂いがしたとき、言えない病気なのかとジュゼ様に尋ねたことがあった。ジュゼ様も初耳だったようだし、お前さんのようなものが、あの薬草を入手できるはずがない。その事情を聞こうと思って…』
おじいさんの言葉は、最後まで聞けなかった。
私は立ち上がった。椅子をがたりと跳ね飛ばす勢いで。
おじいさんがびっくりしている気配がしたけれど、かまわない。
次の呼吸で。
私は全力ダッシュした。
掃除用の汚い格好で、さらにはしたなく走ったものだから、めっちゃ太ももさらしてる自覚はあった。
この国の女性のスカート丈はアホほど長くて、メイドさんですら、くるぶしも見せない。
だから、相当えげつないほど、はしたない状態なのだと、自覚はあった。
けれど、そんなこと。
私は全力で駆ける。
どこ。どこにいるの。
『アレン!!』
城の中心部へと走れば、アレンの隊服と同じ、青の群れが見えた。
思いっきり叫んだ。
『アレン!!』
みんな、突然の闖入者にぎょっとしている。
わかってる。
でもビビってる場合じゃない。
私は、ユカリと出会ったことを唯一打ち明けていた”ヤツ”を探した。
だって。だって。
思考がまとまらない。
アレンを探して青い隊服をかいくぐると、だれかが私の腕をつかんで制する。
知らない兵隊さんだ。
『こら、お前は何だ』
こっちに来てはいけない、という警告だったけれど、それさえかき消す勢いで、私は叫んだ。
『アレン!!』
助けて。
だって、あの匂いがしたということは。
この国の中で、あの匂いがしたということは。
もしかしたら、ユカリの命が狙われていたのかもしれない!!
食事にへんなものを混ぜられていたくらいだ。
彼の体調は、決して悪くは見えなかったのに、あの薬草の香りを身にまとっていたということは。
あんな、幽閉されている状況で貴重な薬品をふんだんに使わせてもらえるなんて、絶対に、ない!
あれから、どれほど月日が過ぎただろう。
私が呑気にアレンとケンカしている間に。
ジュゼさんのプロポーズにポカンとしている間に。
ユキルカ嬢の家で、あのお茶を供されるまでに。
―――ユカリの身が、危なかったのだ。
ネズミが即死した食事を忘れたのか。
私は、なんてバカなんだろう。
『アレーーーーン!!』
必死に叫ぶ私を、数人の兵士が取り押さえる。
ええい、何なの今日は!なんであんた達、こんな朝から集まってるのよ!
そして、なんで、アレンがいないのよ!!
『アレン、助けて!!』
私はのども裂けんばかりに絶叫した。
お願いだから。
『ユカリを、助けてぇぇぇぇぇぇ!!!』
ぐしゃっと、顔面ごと地にたたきつけられる。
兵士たちに取り押さえられた。
でも、負けない。
私はのしかかる兵士らに噛みついてやろうと必死にもがいた。
邪魔しないで、何なのあんた達!
これだけ騒いでるのに、どうしてアレンは来ないんだ!使えない奴め!!
悔しさともどかしさ、地面にこすりつけられた顔が痛いのと苦しいのとであふれた涙が、ぐっちゃぐちゃになってるだろう自覚をうっすらと持ちながら、死ぬ物狂いでもがく私に。
すとん、と、その声が落ちてきた。
『・・・兄上、たった一つ、願いができました』
凛とした声。
それまで騒然としていた私の周囲から、音という音が消えたような、気がした。
『彼女を、私の妻にしたく存じます』
その声は。
どこか懐かしくて、忘れたことのない温度で。
絶対知っている声だった。
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内乱により追放されていた第三王子が、恩赦によって帰還した。
歴史的なその瞬間、歴史書には記すことができない事件が起きた。
後世の人間は、その事実を知ることすら許されない。
けれどその時代を生きたものは、神の気まぐれからなる恩寵を受け、証人となることができた。
ホレス国史は沈黙し、キャリアル3世の手記には暗号のような走り書きがあったというその日。
この国の歴史が少しずつ動き出したのだ。




