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10.秒で見つかった。


「・・・あ」

「あ」

私たちは目が合った瞬間、ほぼ同時に一音を口にしていた。

昼下がりのうららかな午後を通り過ぎ、夕方も近くなろうかというこの時間。

この世界は、月が2つある以外は、私の知っている天体のうごきで時が過ぎている。

その日、パーティーなんざ知ったこっちゃねぇ、と、こっそり中庭の木のほどよき枝によじ登り、一日籠城する気でいたわけですよ。

そうしたら、まさかのまさか、あの赤毛バカが、馬に乗って通りかかったのよね。

そして私が身を潜ませていた枝と、馬上の彼は、視界がほぼ同じ高さで。

白馬がヒヒンと何かを察知したように足をとめ、ふと、顔を上げたアレンと、木の枝の太さに満足して寝そべっていた私とが、ばっちり目が合う寸法でして。ええ。


うそーー!こいつ庭にもわざわざ馬で乗りつけんの?

初めて会った時も乗っていたあの白馬だろうか。

そう思って白馬を見ると、馬とも目が合った。

さては、このお馬さん、私がここにいるのを馬上の人に知らせるためにわざわざ足を止めたな。

非常におりこうさん。えらい。でも、今はやめてほしかった。

「っ!」

アレンが何言うよりも早く、私はすばやく木から降り、裸足で全力疾走した。

ヒールのある靴なんざ履いているヒマはねえ!相手は馬だ、全力で走るのみ!

初めて出会ったあのときも、こんなことしてたなとちらりと考えながら、とにかく馬で追いつかれたらたまらないので建物に飛びこんでいった。撒いてやる!ええい、迷子になってもかまうものか!あと数時間逃げ切れば私の勝ちだ。

「!?」

急に窓から建物内部の廊下にひらりと着地し、脱兎のごとく走る私と、何人かの使用人風の人たちがすれ違った。

おっとごめんよ!すぐに出ていくから!!

とはいえ、後ろをちらりと見たら、キターーー!!赤髪が追いかけてきた!!足はええな!

馬は乗り捨て、足で追いかけてきたらしい。あの日のように。

でもこっちも負けてられない、

階段を上り、右へ左へ駆け巡り、しかも裸足なので足音も立たない。

逆にあいつの足跡はかつかつわかりやすいので、さっと身をひるがえして撒いてやるのは難なく成功。

ひ―危なかった。

そろそろ夕方、パーティーの開始に近い時間帯なのだろう。

廊下を行きかう使用人さんたちは忙しそうで、私のことなど見て見ぬふりをしている。

この衣装が、シリスと色違いの「おそろ」なのも、彼らの目を欺くのに一役買っている。

これは一応職業的制服らしいので、少なくとも変な村娘が紛れ込んだ、とかではないと判断されるようだ。

制服ってそういう便利さがあるのね。

おっと、そんなことはどうでもいい。

階段下の倉庫のようなところに身を潜ませたのはいいけれど、やばい、ここ、しばらく人が出入りしていなかったのか、めっちゃクモの巣が張ってた。そしてべったり髪についたっぽい。うへぇ。

しかも煤だらけだ。

鏡を見なくても、自分がすごい情けない格好になっているのがわかる。

クモ本体(虫)はついてなければいいけれど、と払いのけて余計にぐちゃっと絡まったあたりで少し泣きたくなってきた。

命がけの逃亡ならともかく、こんなになってまでアレンを撒く必要は・・・あったのだろうか。今更だけど。

ちょっと一矢報いてやりたかっただけで、こんなに嫌がってると知ったらあきらめてくれるんじゃないか。

そんな気がして、いつまでもここにクモの巣まみれになっている場合じゃないので、そろそろと顔を出し、ちょっと明るい方向へと歩きだした・・・のが悪かった。

本当にうっかり、なんでかうっかり明るい方へ歩いてしまい、そのカーテン状の向こうから人の気配がして、反射的にのぞき込んでしまった。本当に馬鹿だった。

人目を避けてたのに、にぎやかなところがあると、なんだろうとひょいっと覗いてしまうのは、誘蛾灯にむらがる夏の虫と同じ習性でもあるのか私。


あ、と思った時は遅かった。


顔を出した途端、きれいに着飾った貴婦人や紳士たちとばちりと視線が合い、お互いに固まってしまった。

彼らが悲鳴を上げなかったのは、紳士淑女の皆様の教養のおかげです、ありがとう。

パーティー会場とまではいかない、おそらく控室みたいな場所だったのだろう。

決して少なくはない人数だったけれど、数組の男女が不審なクモの巣だらけの侵入者を、驚き→嫌悪→侮蔑の経緯で見ているのが肌で伝わる。

ものすごく、汚いものを見たような。

目に映すのも不愉快だとても言うような。

言葉は通じなくても、まっすぐに表情が伝わってくる。

あたりはしーんと、無音になってしまった。

人々のさざめきが、一斉に引いていく。

私もさっさと逃げればよかったのだけれど、こっちの世界に来て、こんなに一気に大人数を見たのは初めてで、なおかつこんなにいっせいに冷たい視線を浴びることなんて、前の世界でもなかった。

「・・・っ」

のどが急にからからになって、足に力が入らず、開けてしまったカーテンを閉じようとするより数秒早く、ツカツカと私に近寄る人物がいた。

アレンだ。

よりによって、この中にあいつがいたらしい。

やばい、殴られるの私!?

きゅっと身構えた瞬間、バサァっと何かが視界をおおい、ぐるんと視界が反転する。

間近には、憎らしいアレンの顔。

私の方を見ようともしない。けれど、表情は険しい。

一言二言、その場の皆様に発言した後、彼は私を抱いたまま、ゆっくりと部屋を退場して行く。

彼のマントで、ぐるぐるに巻いた状態で。

これは、本当に初めて会った時の再現だろうかというくらい、同じだった。

マント(あの時はユカリのだけれど)でぐるっと身をくるまれ、問答無用で連れ去られた。

今はあの時とは状況が違う、私を彼らの目からかばうためなのだということが、うっすらと理解できる。

お姫様抱っこの要領で抱きあげられ、そのまま部屋を出てからも、彼は一言も発さない。

私も何も言えず、クモの巣だらけでしゅんとするまま、暴れることもできず静かに従うしかなかった。

すごくすごく、気まずい時間だった。


「なんで!?」

クモの巣まみれのぐちゃぐちゃな格好+裸足の私を見て、退勤してきたシリスが叫んだ。

確かにそういう反応よね…。

そんな彼女にアレンが何か話しているけれど、早口で分からない。

しばし何かを考える風だったシリスは、とにかく湯あみをして来いと、着替えと共に私の背中を押してくれた。


さっぱりして帰ってきた私を迎えたのはシリス一人で、少しだけ困ったような表情で、ゆっくり説明してくれる。


ちゃんと説明しなかったこちらが悪かった。

誤解をしたなら申し訳ない、と、アレンが丁重に詫びていたというのが、まず意外だった。

シリスが示してくれた見覚えのない大きな箱は、今日この日のために、私に用意された衣装で、パーティーにはこれを着て出席してもらう予定だったと、それを手配するのに手違いがあって時間がかかったので、順番が逆になったがまずはこれを受けとってほしい、と。(直訳の会話はややこしいな?)

言われて開けた箱には、いかにも高そうな光沢の布に、上品なレースが何重にもあしらわれている緑色のドレスだった。

先日、アレンが運んできた謎の宝箱は、これに合わせるアクセサリーと靴だったのだそうです。

さらに。

本日のパーティーに出席させるのは、何もアレンのためではなく、”とある高貴な方”に、遠目から私を目視させるのが目的だったそうで。

直接会わせるにはあまりにも身分が釣り合わない(とうか私の素性が謎すぎて危険と判断された)ため、そういうまだるっこしい手段を選んだのだという。

この世界に私はそれほど知り合いがいないので、そんな高貴な方に興味を覚えられるようなこと、あったっけ?と首をかしげてしまう。

更に、このところの豪勢なご飯やお花等の贈り物はその”とある高貴な方”からのご配慮で、アレンはその人の使いっ走りに過ぎなかったのだと。

ますます、わからん。

心当たりがない。

でも私が疑心暗鬼で逃げ出したのでその計画も中止。

しかも貴賓控室にまぎれこみ、おそらく恥ずかしい思いや怖い思いをしたであろうことは、まったくもって自分の落ち度だと、アレンは珍しく自責していたそうだ。

そう言われてみれば、彼が私に貢物を贈るなんて、不自然きわまりなかった。

おかしいなぁとは思っていたのだけれど、そうなるとますます”とある~”というのがよくわからない。

「誰なの?」

直球で聞いた私に、シリスも、私もはっきりと教えてもらえていないのだと答えた。


とにかく一連のアレンの態度は、腑に落ちた。

けれど、それ以上に謎が深まった。


変な言葉を話す怪しい女がいる、と噂を聞いたヒマなお貴族サマが、見世物をねだるように私を見たがったのだろうか。

わからん。

この世界の人たちの思考回路はいつだってわからん。



翌日、小さな花束を持ってアレンが訪ねてきたときは、お互いちょっと気まずい空気だった。

いつもなら、とっとと帰れコノヤローとドアを鼻先で閉めてやるところだけれど、昨日助けてもらったこと、結果迷惑をかけたことが引け目になって、私は石を飲み込んだように黙りこくってしまう。

アレンも、どう説明していいのか迷っている風で、差し出す小さな花束が妙にかわいらしい色合いとささやかなかわいらしいチョイスがおかしくて、部屋いっぱいのあの花はやはり彼のチョイスではなかったんだなと妙に納得した。

そんなことを考えていたら、思わず吹き出してしまった。

そして多分、私は生まれて初めて――それこそ、出会い頭にユカリから引き離されたあの時から数えて本当に初めて――彼に向って罵声以外の言葉をかけた。

『ありがとう』

「・・・。」

アレンは面食らった顔でこちらを見ていたけれど、低い声で、いや、とだけ言い、花束を残して去っていった。


それを見てシリスが「思春期か」とつぶやいていたのを、この時は語彙力がなくて聞き逃してしまったけれど。

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