第2話 エッセイを書くと言うこと
最初の段階で、何故この文章を書くことにしたのか、と言うことに触れておきたい。
元々、Web小説の投稿サイト(詰まるがところ、ココ)には、各話に対して、まえがきとあとがきを付ける機能がある。
ただ、個人の好みとして、ここにゴタゴタ書くのは気が引けた。物語は物語として完結しているべきと言うのと、余計なことを書いていると物語に集中できないだろうと思うからだ。勿論、そこはそれぞれの著者のお考え次第なところで、書いてあるものを否定する意図はない。単に趣味の問題でしかないのだから。
で、自分自身については、まえがきとあとがきに記載するのは、基本無しと言うことになった。
次の候補と言えば、活動報告欄である。活動報告なら、好きなこと色々書けるじゃん、と思った。思って書いてみようとしたのだが、書けなかった。どうしても、1~2行の文章しか書けないのである。困った。何故だろうか、考えた。
活動報告とは、「活動」の「報告」なので、どうしてもやったことしか書いてはいけないのでは、と心のブレーキが掛かるのかも知れない。そんなこと気にする必要は無いのかも知れ永、気になって書けないのだ。
それで、取り敢えずコメントを書くのは諦めることにした。
そうして三ヶ月経過したのだが、やっぱり書きたくなった。既に手段は無いと思っていたのだが、エッセイならいけるんじゃないか、と気が付いた。そして書き始めたら、書けそうな気がしてきた。なので、この試みをしばらく続けてみようと思う。
さて、過去読んだエッセイの中で心に残っているのは何かと言えば、やはり狐狸庵先生こと遠藤周作先生の「狐狸庵閑話」を挙げたくなる。日常の出来事を淡々と述べつつもユーモアに富んだ書きっぷりが大好きだった。
高校生時代、電車通学をしていた。いまは緩和されていると信じたいが、当時の朝の電車は超ラッシュで、駅員に押し込んで貰ってようやく乗れるような状況だった。そうした超満員の電車の中で、狐狸庵閑話の文庫本を取り出して読んでいたのだが、時折混ぜ込まれている笑いの場所で、ニヤニヤするに留まらず、吹き出してしまったことが幾度もあった。傍から見ると、変な奴とか迷惑な奴と思われていたに違いない。
そんな思い出があったので、先日息子にお勧めしてみたのだが、どうも琴線に触れなかったらしい。まあ、親子だからって趣味が同じになるとは限らないしね。そのとき渡した本があったので、いつ発行だったか確認したら、平成十三年六月一日とあった[注1]。え?それって会社入った後じゃないかと思った。いやいや、高校時代に読んだ筈だ。
それで中古本のサイトで検索したら、見つけられた。最初の刊行は1976年らしい。良かった。自分の記憶は最近怪しいが、本件は記憶通りだった。
この文章を書くにおいても、その影響はきっと何処かにあるに違いない。ここでは、あまり日常の話を書こうとは考えてはいないものの、ユーモアは何処ででも必要だと思うし。
というか、ユーモアは好きだ。
学生時代から学会で発表する機会が何度もあった。そこでは、自分だけでなく他の沢山の人も発表していた。で、真面目な話をずっと聞いていると疲れてくる。なので、自分の発表では一度は聴講者に笑って貰えるようなネタを入れることにしていた。論文それ自体は勿論真面目な内容な訳だが、発表スライドを作り説明を考えながら、どこでどういう笑いが取れそうか一所懸命考えていた。実際の発表で、思惑通りに笑いが取れれば成功だが、必ずしも上手くいくでもなく、会場がシラっとしたときはとてもいたたまれない気持ちになったものである。
最近、発表の機会が減ってしまったが、折角作ったこの機会、自分でも楽しみつつ、読者にも楽しんでもらえるような文章が書けたらなと思う。
注1: 平成十三年六月一日は、新潮文庫版の狐狸庵閑話の発行日