2話→運命
――数分後。
「こ、ここまで来れば大丈夫か……!」
「は、はい、恐らくは……!」
互いに息を切らしながら背後を確認し、男が追って来てない事を口頭で伝え合う。
こんなに走ったのは久し振りだ。
高校生の時のマラソン大会以来か?
喉から心臓が飛び出るんじゃないかと、ありがちな比喩表現をしたいくらい高鳴っている。
だが少女の近くでいつまでも荒い呼吸をしていたらあらぬ疑いをかけられてしまう。
「あの、手を……」
「わ、悪い……!」
そんな事を考えていたら、少女が繋がったままの手を眺めながらポツリと呟いた。
慌てて手を離し、悪かったと謝る。
これもセクハラにあたるのだろうか?
流石に助けた相手に訴えられるのは勘弁したい。
それからたっぷり六十秒使って深呼吸をする。
どうやらここは公園のようだ。
噴水があり、丁度綺麗な水柱を噴き上げている。
訪れている人々に年齢層の偏りは無い。
住民達の憩いの場と言ったところか。
周囲の状況を把握するくらいには落ち着いたので、改めてさっきの出来事について少女から話を聞く。
「えーと、ごめん。無我夢中で走ったけど、迷惑だったりしたかな?」
「迷惑だなんて、そんな……助けて頂き、本当にありがとうございます」
少女はぺこりと一礼した。
美しい所作に思わず見惚れる。
こんなに綺麗なお辞儀、初めて見た。
中学時代、完全な人違いで殴られた時に「この通りだから許してくれ!」という言葉と共に下げられた頭とは『重み』が違う。
アレ、俺は誰と間違えられて殴られたんだっけ?
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか? 私は……ネーヴェと申します」
人に名を聞く時はまず自分から。
その辺りの作法も徹底されている。
彼女が名乗る時、一瞬だけ間があったのは気になるがまだ全力疾走の疲れが残っているからだろう。
――その時。
「あっ……」
一陣の風が吹き、ネーヴェの被るフードが外れた。
さっき深々と頭を下げていたから、上体を元の位置に戻した際に勢いで被りが浅くなっていたのだろう。
彼女は「失礼」と言って再びフードを被った。
露わになった素顔を見た俺は彼女の名前を脳内で何度も復唱し、決して忘れないように焼き付ける。
……何故ならとんでもない美少女だったからだ。
濃い青色の髪にサファイアのような瞳。
色白で顔にはシミ一つ無い。
まだ幼さの残る顔つきからして、年齢は日本の女子高生と変わりないと考えられる。
フード付きのローブを羽織り、頭の先からつま先まで白い布で身体を覆っていた。
今はフードを目深に被っているので、小柄な体躯も合わさり見方によっては少年のようにも映る。
「あの、どうかしましたか……?」
怪訝な表情を浮かべるネーヴェ。
いつまでも黙っていたらそりゃ心配されるか。
だが待ってほしい、彼女のようなザ・美少女とこんな運命的な遭遇をしたんだ。
余韻に浸っていたい気持ちを分かってほしい……とは言えず、すぐに俺も名乗り返す。
リアルでする自己紹介なんて五年ぶりか?
ネット上ならしょっちゅうしてたけどさ。主に「対戦よろしくお願いします」と「対戦ありがとうございました」の二文。
「俺は横矢新人、よろしく」
「ヨコヤ・アラト? この辺りではあまり聞かない名前ですね……もしかして異国の方ですか?」
俺の名前を聞いてキョトンとするネーヴェ。
しまった、異世界ならこういう事もあるよな。
何処かに日本風の国もあるかもしれないが、少なくともこの街がある国は西洋圏の名前が主流のようだ。
どうする……? 適当に誤魔化してもいいが、そんな対人スキルは持ち合わせてない。
下手に取り繕うくらいなら、正直に話すか。
「まあそんな感じ、かな……はは」
出来る限りの笑顔を浮かべながら答える。
本当は異国人どころか異世界人だが、異国である事には間違いないので嘘は言ってない。
ネーヴェもそれで納得したのか、それ以上国籍について問い質すような事はしなかった。
次からは俺の身の上話の設定も考えておこう。
異世界人と言っても鼻で笑われるだけだろうし。
「それで、ネーヴェはどうして絡まれていたんだ? 男の方が理不尽な事を言っていたのは分かるけど」
今度はこちらが気になっていた事を聞く。
彼女は位置的に路地裏側に立っていた。
それはつまり、自分の意思でメインストリートから外れた道へ進んだということ。
まだ出会って数分だが、目前の少女が危険だと分かっている場所に飛び込む愚か者とは思えない。
返答を待っていると、彼女は控えめな声で言った。
「お恥ずかしい話ですが、迷ってしまいまして」
「迷った?」
「はい。実は私、昨日この【サクルの街】に来たばかりで……ある建物を探しているのですが、どうにも見つからなくて」
「そういう事だったのか」
納得した。
【サクルの街】とはこの街の事だろう。
彼女は俺が冒険者ギルドを探しているように、辿り着きたい目的地があった。
しかし来たばかりの街の地理を詳しく把握している筈も無く、右往左往している間に路地裏へ迷い込んでしまい、面倒な男に絡まれてしまったと。
なんだか不憫で同情する。
彼女の力になってあげたいが、同じく俺も迷い人なので協力出来そうにない。
街どころか世界について知らないからね。
今この世界の子供達と歴史のテストで競ったら確実に負けてしまうだろう。ゼロ点確実だ。
「悪い、実は俺もこの街に来たばっかりでほとんど何も知らないんだ」
「え? 本当ですか? ふふ、奇遇ですね」
「ああ、力になれなくて悪い」
「アラトさんが謝る必要無いですよ! でもやっぱり、素直に兵士やお店の人に聞いた方が良さそうです……人見知りを理由に逃げていたらダメ、ですよね」
「おお、立派だなあ」
「大袈裟ですよ、アラトさん……あ、私今、初対面の人と普通に話せてます」
言いながら自分で驚くネーヴェ。
表情が子供のようにコロコロと変わっていた。
今は会話出来ている嬉しさからか頰が緩んでいる。
因みに俺は「アラトさん」と呼ばれた事に一人感激していた。母と妹以外の異性から名前を呼ばれたの、何年ぶりだろうか……喜ぶスケールが小さすぎてオマケの涙も流れそう。
「あ……すみません、私ばかり話して引き止めてしまって。アラトさんも何か用があるんですよね?」
「まあ一応、でも急いでたワケじゃないから」
とは言えいつまでも立ち話に興じる事も出来ない。
名残惜しいが互いにやるべき事もあるし、タイミングが良いのでネーヴェとはここで別れよう。
「じゃあ俺、そろそろ行くよ」
「お気をつけて。いつかまた会いましょう」
「……うん、またいつか」
ネーヴェと会う事はもう二度と無いだろう。
彼女と俺とじゃ、住む世界が違う気がする。
それに万が一元の世界への帰還方法が直ぐに判明したら、それこそ会う事は叶わない。
美少女と運命的な出会いをしても、現実はこんなものか。その後も一緒に居続けるなんて、同じ学校や職場にでも通ってないと難しい。
「さよなら、ネーヴェ」
「……はい。さようなら、アラトさん」
別れの挨拶を済ませ、俺と彼女は別々の方向へ進んだ――まあ、異世界に来て良かったと思える想い出が一つは出来たと考えれば、上出来か。
◇
その後――俺は勇気を振り絞って様々な人と会話し、情報を集めた。
結果、冒険者ギルドの位置を特定するに至る。
まさか本当にあったとは……しかも話を聞く限り、俺の想像と限りなく近い施設のようだ。
これなら金を稼げるし、冒険者同士の繋がりから帰還方法を探す事も出来る。
何より『異世界で冒険者になる』という夢の一つが叶うのが嬉しかった。
今すぐネットで自慢したいと思いつつ、ギルドに辿り着く。
外観は洋風の屋敷で三階建て。
小学生の頃、なにかの見学で市役所に行った時の記憶が蘇る……雰囲気はギルドの方が数倍荒々しいが、凄そうな建物という空気感は共通している。
中には屈強な冒険者達が何人も居るのだろう。
新参者弄りとかありませんようにと祈りつつ、扉を開けて中に入る……そして、俺はくすりと笑った。
どうやらこの世界の神さまは、悪戯好きらしい。
その人物も先程ギルドへ来たばかりなのか、出入り口付近で立ち尽くしながら全体を見回している。
俺はそんな『彼女』の肩をトンと叩いた。
「あ、すみません、お邪魔でしたよね。すぐに退きま――え?」
こちらに振り向いたのは、青髪青目の少女。
「思いの外、早い再開だったな……ネーヴェ」