03
神さんに頼んだ所で、どうにかすんのは人間やと言うた。己が道を開くんやとも。そして、それを誰よりよく知っとったんは、きっと俺やなくて桜やった。
そやのに、俺は。
今の大学を進めてくれたんは桜やった。バスケットなんて将来性がないもん、やってられへんと言うた俺に、そんなことないと言い切ったのは桜や。
『だって、友喜はバスケやりたいんでしょう? やるだけやったらいいよ。ダメだったら、あたしが養ってあげるからね。なんとでもなるよ』
そう言うて笑った桜の言葉。俺の性格を知っとる桜やったから、その言葉はできたのだし、俺の背中を押したんやと、そう思う。
思えば桜は、きっぱりと言い切ることが多かった。せやから桜の言葉には力があった。お節介やと疎まれることを恐れへん桜。俺にはあらへんもの。
俺は桜に憧れた。
『ゆき』なんて女みたいな名前でからかった奴らを、『友と喜ぶ』という名がどうして変なのだと怒鳴ったのは桜やった。素敵な名前だと桜が笑うた、あれは小学生のこと。
桜は俺の救いやった。
でも――
『友喜、自分の無力さを嘆かないでね』
どうして嘆かずにいられよう。無力。俺は桜の願いごとも俺の願いも叶えることがでけへんで。願いごとはたった一つだけやのに。
***
うちに帰ったら、飲みかけのアイスティーはすっかりぬるくなり、机に水たまりを作っとった。部屋の電気もつけへんと、俺はもはやアイスとは言えへんそれを一口飲んで、「まずい」と一言呟く。ひどくやるせない気分やった。
桜を家まで送る間、桜は一言もしゃべらへんかった。俺も何も言わへんかった。言えへんかった。これ以上何を言うてええんかわからへんかったし、何よりしゃべれば俺まで泣いてしまいそうな気がした。えっらい情けない話やけど。
――――情けない。
俺は反射的に、手にしとった缶をソファに投げつけた。タイムカプセルの缶。それはソファーの背にあたり、床にぶつかり、音をたてて転がった。
衝撃でふたが開いて、中身のガチャポンが転がっていく。俺はそれを見ながら力なく床に座り込んだ。フローリングの床はひどく冷たかった。
そういえば桜の手も冷たかった。俺は桜の手の感触を思い出すように、自分の手を開いては握りを繰り返す。スコップを握り続けた桜の手は冷たく砂だらけで、乾燥した手のひらはささくれだって痛かった。桜の代わりに持った荷物もずっしりと重く、俺の肩に食い込んで痛かった。
そうまでして桜が守ろうとしたものを、俺はどう守ってええのかわからへん。
俺は自分の手のひらをフローリングに叩きつけた。静かな部屋に響く衝撃音。床のガチャポンがころころと転がった。
ベランダに繋がるガラス戸から差す僅かな光で、ガチャポンは時折きらりと輝いた。光に吸い寄せられるように、俺は床に転がったガチャポンを一つ手に取った。
開けてみる。中には桜がその頃集めとった、えんぴつのキャップが入っとった。桜は当時たくさんキャップを持っとったけど、ガチャポンに入っとったんは俺が誕生日にやったキャップやった。
俺は次々とガチャポンを開けた。その当時大切にしていた宝物、ちっさいころの桜の手紙。そして――最後の一つに、また手紙が入っとった。
なんの手紙やろ、覚えてへん。俺は首を傾げながら手紙をそっと広げる。そして手紙の中身を見た瞬間、俺は目を見開いた。
『どこにいても、どんなてきからも、桜を守れるスーパーマンになりたい』
それは、あの頃の俺の夢やった。
桜が俺と結婚したいと書いたように、俺も手紙にあの頃の夢を書いとったらしい。
そうや、あの頃の俺はスーパーマンになりたかった。スーパーマンになったら桜がどこで泣いとっても見つけられるし、どんな敵から守ってやれると思うたからや。
あの頃、俺はまだ大阪に住んどったから、あんまり桜に会われへんくて。スーパーマンやったらどんなに離れたって、すぐに桜んとこに行けるやんって、そう思うたんや俺は。
俺は手紙を握りしめた。
俺は何かを勘違いしてへんか。俺が中学からこっちに引っ越してきて、毎日桜と居るようになって、何かを忘れとるんちゃうやろか。
桜は一緒に居れへんと言うて泣いた。確かにあいつは引っ越しよってずっと近くには居れへんくなる。毎日一緒に居れへんくなる。同じ大学には行かれへん。
せやけどあいつが望んだ『一緒に居る』って、ほんまにそないなことなんか。
ほんまに、ほんまに俺がせなあかんことはなんや。一緒にガチャポン見つけることか。阿呆みたいなプロポーズすることか。
ちゃうやろ。桜のために、何より自分のために、俺はもっと言わなあかんことが他にある。そう思うた瞬間、俺は駆け出した。
今すぐ、それこそ瞬間移動したいくらい、桜に会って言いたい。今言わへんかったらいつ言うねん。そう思って、部屋のドアを開け、廊下を抜け、つっかけ履いて、玄関のドアを俺は勢いよく開けた。
「わっ!」
不意に俺の間近で叫び声が聞こえる。視界の端に人影が見えて、反射的に俺は自分に急ブレーキをかけた。
勢いで俺の体が前のめりになる。ドアノブを掴んで、俺はなんとか体勢を立て直した。振り返ればドアの傍に女の子が居る。
それは、もちろん桜やった。
いきなり飛び出してきた俺を桜は、口をぽかんと開けた間抜け面で見とった。俺も呆然と桜を見返した。
「え、えっと」
しどろもどろになりながら、桜は自分の額を袖口で拭った。よく見れば、桜は僅かに肩で息をしていた。桜のこめかみを汗が伝う。走ってきたんや、そう思うた。
「家に帰って、考えたんだけど、やっぱりその、友喜に言わなきゃいけないことあって」
桜は俯きながらそう言うた。
俺が送ってた意味ないやんけ、とか。瞬間移動ができひんくてよかった、とか。桜も俺とおんなじこと考え取ったんや、とか。色んなことが俺の頭を過っけど、一番に俺の目に焼きついたんは、今にも泣き出しそうな桜の顔やった。
何でお前泣きそうやねん。
気がつけば俺は、桜の腕を思いきり引き寄せとった。短く悲鳴をあげて桜が俺の方に倒れこむ。
俺の手から離れて自然にゆっくりと閉まるドア。俺の腕の中にすっぽりとおさまる桜。桜の体温が俺の腕を伝わって、じんわりとしみこんでいく。この暖かさをもう離さへん、そう思うた。
「桜が好きや」
ずっと近くにいれへんくても。毎日一緒に居れんくても。同じ大学に行かれへんかって。
「一緒に居んのは、お前がええ」
俺の言葉に桜は一瞬身じろぎした。それからしばらく桜はだまっとったが、やがてこわごわと俺の背中に腕をまわした。俺の背中で、桜が俺の服を握りしめるのがわかる。背中からもじんわりと伝わってくる体温。
「うん」
桜が俺の肩口でうなずく。
「一緒にいるのは友喜がいい」
当然やろ。そう言うたら、桜は笑った。俺も笑った。今度はあんな白々しい笑いなんかじゃない。
***
こうしてこの日から、めでたく俺と桜のお付き合いは始まった。
桜の引っ越し先やけども、俺がそこへ初めて行ったんは、桜の就職活動の付き添いをかってでた時のことやった。
そこで一言言わせてもらうと、あれは田舎やとは言わへん。ど田舎言うねん。
移動手段がバスしかあらへんのに、バスは二時間に一本。道を走る車の八割は軽トラで、そもそも道路がアスファルトちゃうし、コンビニが車で一時間、閉店時間が午後七時。どこがコンビニエンスやねん。
なんもあらへんと俺は言うた。けれど桜は目を輝かせてこう言いよった。
「大自然があるじゃない」
まぁ、そないなとこやねん。
都会生まれ、都会育ちの俺がそんなど田舎で生活できるかと問われたら、できへんと即答する。そんな俺の性格を知っている友人達は、みな口を揃えて言うとった。
もって一年。
そんな俺たちが十年後、まさか結婚にまで至るとは誰も思わんかったやろう。
「ほな結婚しよか」
再び俺がそう言うた時の、桜のほんま嬉しそうな笑顔を、俺は一生忘れへんねやと思う。
今、俺はあの頃描いたスーパーマンにはもちろんなれず、空も飛べないサラリーマンで、未だちゃんと棚の上に飾られているの七つガチャポンから、龍が現れる気配は一向にない。
せやけどあの頃の一生懸命さがあるからこそ俺たちは、ずっと願いを叶え続けることができるんやと、そう思う。
あの頃も今もこの先も、願いごとはただ一つ。
ずっと一緒に居ようやないか、なぁ桜。死が二人を分つまで。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。台詞等々は一応関西の友人に確認をもらっていますが、色々違和感があるかもしれません。(文字、というところもありますし)
なにか一言でもありましたら、コメントをいただければ幸いです。