02
桜が嬉しそうならええか、と始めた発掘作業。しかしながらそない甘いこと思っとったら、この阿呆にはあかん。俺がそう気付いたんは、それから数時間後のことやった。
この阿呆レーダー桜。こいつがまたボンコツもボンコツ。「御神木の下に埋まってるのはわかるけどー、どの辺かわかんない!」とかぬかしよる。ついでに深さもわかんない、とか言いよるからさぁ大変。しかも御神木の根元の土の堅いこと。なかなか掘れへんとくれば、数時間たっても発掘作業は進まへん。
「あ、こっちのほうかもしれない」
「あ、やっぱりさっきのところのもうちょっと深くかも」
――阿呆か。
「ほんまこの下、埋まってんのか。埋まってへんやろ」
「埋まってるってば!」
どっからくんねんその自信。
堂々と言い切る桜に俺はうなだれた。一方桜は本気で、この下に何か埋まっとると信じとるらしい。そのやる気で勉強しよったら大学受かんで、自分。
「なぁ暗なってきたし、掘りにくいやん。そろそろやめよや」
事実やった。御神木は大きな広葉樹ゆえ、根元はあんま陽が射さへん。そのうえ日が暮れてきとるから、当然根元は暗くて見にくい。もう少しで掘れへんくなるのは明確やった。
「あ、それなら懐中電灯あるよ」
なんでやねん。漢字忘れるくせに、そんなもんは忘れへんねや。
桜はリュックから当然のように懐中電灯、しかも二つを取り出し、足元に置いた。ナイト作業準備はこれでばっちりや。
つーか何入ってんねんそのリュック。俺は桜の背後のリュックを見る。桜は俺の視線に気付いたらしい、胸を張って言い切った。
「ちゃんと寝袋だってあるんだから」
一晩中掘る気かい。
「見つかるまで頑張るんだからね」
訂正。一生掘る気かい。
どこまでも自信満々に言い切り、胸を張る桜に俺はキレた。ついにキレた。
「ええ加減にせえ、このど阿呆! そんなん準備する暇あったら勉強せえ!」
俺はスコップを地面に突き立てた。そうや、ちゃんと桜が勉強しよったらええねん。こんなんつき合わされる意味ないねん。
「今の時間かて、勉強しとった方が有意義やで」
ほんまつき合おうてられへん。
もう俺は掘らん、そう言うて俺はスコップから手を離し、腕を組んだ。すると桜は俺にムッとした顔を向ける。逆ギレかい。
「勉強勉強って、友喜、あたしの志望校どこだったか知ってるの!」
「知らへんわボケ」
「知らへんですむか!」
すむやろ別に。
俺がそう言うのを遮るように、桜は地面にスコップを勢いよく突き立てた
「ちょっとやそっとの勉強じゃ無理なんだから!」
威張るな阿呆。
「とにかく。こんな阿呆なことはやめい。時間のムダや」
再度木の下を掘り出した桜に対し、強い意志を込めて、俺はスコップを地面に叩きつけた。どうやこれで掘らへんことがわかったやろ。わかったらしい。桜は一瞬だけ手を止めた。「時間のムダ」と桜が俺の言葉を繰り返す。
そして次の瞬間、桜の表情が消えた。
俺はあまりの驚きに、ぽかんと口を開けたまま止まってしもうた。桜が無表情なんて、そないなことがかつて一度でもあったやろうか。あらへん。どんなに昔を思い出しても絶対にあらへん。
「なんでムダなの?」
桜の声がやけに低く響く。
何でって。こんないなことしとる暇あったら、勉強すんのが普通やろ。神にどんだけ祈ったって、自分がやらへんかったらなんも意味ない。そやろ、それが正論や。
けど今の桜に俺は正論を言えへんかった。そんくらい桜は真剣やった。その姿は痛々しいくらい。なんでそない真剣になんねん。
「桜」
俺は桜の腕を掴む。そうでもせえへんと桜はきっと止まらへんかった。
「友喜」
桜はさすがに作業の手を止めた。スコップから目を離し、俺を見る。桜の真剣な眼差しがまっすぐに俺に向く。桜は少し哀しそうやった。
「勉強なら俺が教えたってもええ。そうせい」
俺は意味もなく、足元の土を蹴飛ばした。桜から目を逸らす。見てられへんかった。桜の哀しそうな顔なんて、ほんま滅多に見いひんから。
「志望校、一緒なんやろ。俺と」
俺の視界の端に、桜が目を見開くのが見えた。驚きが桜の表情に出よる。桜の口元が「なんで?」と動いた。
「なんで、知ってるの」
あぁ、知っとたんやほんまは。桜が担任に、受かるわけないから変えろ、と言われたことも知っとった。そんでお前が、イヤだとひたすら言い続けとったことも知ってんねん。偶然、職員室でのケンカの声、聞いとったから。
せやから桜が、大学合格のために必死になんのは嬉しかった。俺と一緒の大学に行きたいと桜が張り切るなら、そら俺かて全力で支援すんで。
神様に祈ってでも受かりたい。受かってほしい。そう思ったんは俺も同じ。実力でも運でもこの際龍の力でもええ、受かったらええ。
そしたらまた四年間、一緒にいられんで。
「ちゃんと頑張ったらできへんこと、ないやろ」
桜はしばらく黙っていた。俯いたり、視線を彷徨わせたりしながら、何度も俺の顔を見た。
「そうだね、そうだったかもしれない」
桜は言うた。ゆっくりと。
それから桜は俺の腕をほどき、またゆっくりと土を掘る。スコップを握る桜の顔は、今にも泣き出しそうやった。
「桜、どないしたんや。おかしいやろ。なぁ頑張るとこ間違うてるて」
「違うよ」
桜が目元をぬぐった。同時に顔に土色がつく。
「違うんだよ、友喜」
そして、顔についた土を拭うように、桜の頬を一筋の涙が伝った。
そん時やった。スコップの先と何や、金属らしきものがぶつかる音が響いたんは。
桜はスコップを投げ捨てると、座りこみ、穴の中の土を両手でかきわけた。一心不乱、その必死さに俺は何もできへんかった。数秒後、桜が目を真ん丸にして手を止めよるまで。
「あった! 見て、友喜」
真ん丸に目を開いて、桜は嬉しそうに穴から掘り出したものを俺に見せる。
それはお菓子の空き缶やった。
いや空いてない。中からこつりと音が聞こえる。その音にハッと我に返った俺は桜の隣に座り込んだ。同時に桜が缶を開ける。
――――あぁ、そうや。
「ほら、七つ」
そこに入っとったんは七つのガチャポンやった。
「埋めたなぁ、こんなん」
俺はガチャポンを一つ手にとって目を細めた。
ガチャポンの中には、当時の俺が大切にしとった車型の消しゴムが入っとる。そうや、思い出した。これは俺と桜がちっさい頃に埋めた、タイムカプセルや。ガチャポンの中にそれぞれ大切な宝物と手紙を入れて、確かに埋めた。十年以上前のこと。
「よぉ、覚え取ったな」
英単語は忘れるくせに。そう言うたら桜は笑う。
「忘れないよ。だって私、変わってないもの」
桜がガチャポンの一つを開ける。そこに入っとった手紙を桜は俺に広げて見せた。
『ゆきとけっこんできますように』
結婚て、おい。
「なんやお前、俺と結婚したいんかい」
「そうじゃなくて」
ちゃうんかい。
一瞬ときめいた自分に空しさを覚えながら、「じゃあなんや」と問えば、桜は手紙を見つめ、懐かしげに目を細めて言うた。
「友喜とずっと一緒に居たいなって、そういうこと」
桜の静かな言葉に、俺の思考はぴたりと止まる。
「あの頃はね、結婚すればずっと一緒に居られるって、そう思ってたの」
死が二人を分つまで、親戚の結婚式で聞いたその言葉の、意味だって全然わかんなかったけど。桜は言う。それでもその言葉に憧れた、と。
そう言われた瞬間、俺の顔が熱くなっていくのがわかった。ときめいた。不覚にも。恥ずかしそうに目を伏せる桜に。
暗くて助かった。きっと俺の顔は真っ赤やろうから。一気に音が激しくなった俺の心臓を押さえ、俺は拳を握りしめた。
せやったら一緒におったらええ。それこそ死が二人を分つまで、一緒におったらええやんけ。
言うなら今しかあらへん、俺はそう思うた。今までタイミング逃して言えへんかったこと。今言わんかったら、きっとずっと言えんくなる。
「桜」
好きやと、そう言おうと思った。俺の頭にそれしかあらへんかった。
――せやから、全く気付かれへんかったんや。桜の目に涙がいっぱいたまっとったことに。
気付いとったところで、まぁ、なんも変われへんかったけど。
「でももう一緒に居られない」
突然、早口に言い切られた桜の言葉。ぴたり、俺の思考はまたもや止まった。呆然とした、と
いうべきか。俺はかつてないほど動揺した。
あかん、頭の中が真っ白や。今、こいつは何と言った。
――『でももう一緒に居られない』?
落ち着け。自分に言い聞かせて、俺は深く息を吸う。それから深く息を吐き出して、俺は桜に問うた。
「なんでや。そらお前の学力じゃ難しいで? でもな、今から必死に勉強すりゃ間に合うて。せやから」
「違うんだよ、友喜」
「なんやねん、さっきからちゃうちゃう言いよって。何がちゃうねん」
「あたし大学行かないの!」
落ち着ききれず焦って苛立った俺の言葉を、桜は鋭く遮った。桜のこないな鋭い声を聞いたんは初めてやって、さすがに俺も口を噤む。桜はひざに両腕をのせて、そこに自分の顔を埋めた。自分の両腕を掴む桜の手は震えている。
「あたし、引っ越すんだ」
顔をうずめたままのくぐもった声で桜は言うた。
桜が言うたことをまとめるとこうなる。
桜んとこのおっさんがこの度ど田舎に転勤になった――要するに左遷や――ちゅうことで、家族全員その転勤についてくことになったんやと。家族バラバラはあかん、が桜んとこの信条やからそれもしゃーないことなんやと。それ以上におっさんの下がった給料じゃ、桜の学費と一人暮らし資金は出せへん。
せやから桜は残ることもできず、大学へ行くこともできず。
「あたしは田舎で就職するんだ」
桜は不意に顔を上げ、ひときわ明るい声と笑顔で言うた。でも桜の手は震えとった。
「あたしは不幸じゃないよ、友喜」
不意に、桜と目があった。俺は桜にそないな目を向けとったんやろか。思わず俺は視線を落とした。情けない、そう思いながら。
「ごめんなさいって」
俺は桜から視線を逸らしきれず、けれど桜を見ることもできず。
「お父さんが言うの。今までなんの不自由もなく育ててくれたのに。でも言うの、ごめんなって」
あたしは不幸なんかじゃない。桜はそう繰り返した。その後に小さな声で、けど、と付け足して。
「やっぱり一緒に居たいよ、友喜」
桜の涙声。俺は強く拳を握りしめた。桜の泣き声が胸に痛い。俺はそう言うた桜の手元を見つめとった。
桜は俺と一緒に居たいと言うた。でも一緒に居れへんと泣いた。桜が何の力もないガチャポンにまで縋った、たった一つの願いごと。このままやと叶われへん願いごと。
けれど、じゃあ今の俺に何ができる。
『あの頃はね、結婚すればずっと一緒に居られるって、そう思ってたの』
「ほな結婚しよか」
俺の言葉に桜は弾かれたように顔を上げた。桜が俺を見る。手の震えはぴたりと止まった。
それからしばらく桜は俺を見つめたが、やがて息を吹き出し、口元を緩ませた。
「なにそれ」
そう言うて、桜は笑った。俺も笑った。なんて白々しい笑いやと思うた。
わかっとった。多分、桜も俺も。簡単に結婚しようと言えるほど、俺たちは子供でも大人でもない。
ちっさい頃のちっさい約束、ボールの在り処も忘れとったこの俺に、なんの約束ができんねん。これほど信用のないプロポーズ、世界中どこ探したってあらへん。
俺はかぶりを振って、桜の腕を引き寄せた。桜は俺の肩口にすっぽりとおさまる。そして首元に桜の息がかかるのを感じた。
「友喜、自分の無力さを嘆かないでね」
桜の涙声が俺の耳元に響いた。