方言版 太宰治 失敗園
太宰治は日本を代表する文豪です。
"走れメロス" "斜陽" などの著作があり。
ちなみに投稿する本日6/13は太宰が亡くなった日。
6/19は生まれた日であり、遺体が見つかった日でもあります。
この度は ”失敗園” というコミカルな題材を扱わせていただきます。
原文https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2264_20020.html
わあの陋屋さは、六坪ほどの庭があるんた。愚妻は、ここさ、みそくたも無ぐがじゃめかして一ぺえ植えだばって、一見するに、ずんぶまねくしたんた。それらめぐせえ身なりの植物たちがちっちぇくしゃべってらはんで、わっきゃそれば速記す。その声、事実、聞けるのだ。必ずすも、仏人ルナアル氏の真似でも無えのだ。んだば。
とうもろこすと、トマト。
「こったらに、丈ばすでっけくなってろ、わっきゃ、どっためぐせえ事が。そろそろ、実ばづげねばまいねんだばって、おながさ力っこ無えはんで、いぎむ事出来ねの。なあは、葦だど思うべな。なんもまねじゃ。トマトさん、わんつか寄りががらせでけれ。」
「なした、なんだ、竹でねが。」
「本気でしゃべっちゃあ?」
「気にしちゃまいねよ。おめさんは、夏痩せだべ。粋だんた。ここの主人の話だばおめさんは芭蕉さも似でらそうだ。お気さ入りらすいぜ。」
「葉ばすおがるものだはんで、わーば揶揄なさってらのよ。ここの主人は、いい加減よ。わー、ここの奥さん気の毒の。まんずまでえにわあの世話ばすてけるんだばって、わっきゃ背丈ばすおがってで、一向にふとねのだもの。トマトさんだげは、どうやら、実ば結んだんたね。」
「んだ、どうやら、ね。だばってろわっきゃ、いぐねえ育ぢだはんで、放って置がぃでも、実は結ぶのさ。軽蔑すなよ。こぃでも奥さんのお気さ入りなんだはんで。この実は、わあの力瘤さ。見てけ、うんと力むど、ほら、むぐむぐ実がふくらむ。もうわんつか力むど、この実、あけく来るんだよ。ああ、じゃんぼっこ乱れだ。散髪すたいな。」
クルミの苗。
「わっきゃ、孤独なんだ。大器晩成の自信があるんだ。早ぐ毛虫さ這いのぼらぃる程の身分になりてえ。どれ、きょうも深え瞑想さふけるが。わーがどったに高貴な生まぃであるが、誰も知ね。」
ネムの苗。
「クルミのチビは、何ばしゃべっちゃのがすら。不平家なんだわ、きっと。いぐでねえ子供がも知れね。いまにわーが花っこ咲げば、さだめす、いやらすい事ばしゃべって来るに相違ね。用心するべ。あれ、おいのどんずばくすぐってらのは誰? 隣りのチビだわ。まんず、本当に、チビの癖に、根だげは一人前に張ってらんた。深え瞑想だなんて、とんでもね奴さ。知らん振りすてやるべ。どれ、こう葉ば畳んで、眠った振りばすていましょう、いまは、たった二枚すか葉っこ無えばって、五年経だったら美すい花っこ咲ぐのよ。」
にんずん。
「なんも、かんも、話になんねえ。ゴミじゃ無え。こう見えだって、にんずんの芽だ。一箇月前がら、一分もおがんねえ。このまんまだべな。永遠に、わしゃ、こうだびょん。めぐせくてまいねじゃ。誰が、わすば抜いでけねが。がじゃみそよ。あははは。はんかくせえわ。」
だいごん。
「地盤がまねんだね。石ごろだらげで、わっきゃこの白え脚ばおがらす事出来ねえ。なんだが、毛むぐじゃらの脚さなった。ごぼうの振りばすていましょう。わっきゃ、素直に、あぎらめちゃあから。」
棉の苗。
「わっきゃ、今は、こったらにちぃっちぇくでも、やがで一枚の座蒲団になるんだってろ。本当がすら。なんだが自嘲すたぐで仕様無えの。軽蔑すねでね。」
へぢま。
「ええど、こう行って、こうからむのが。なんてみそくたねえ棚なんだ。からみ附ぐのに大骨折りさ。ばってろ、この棚ば作る時に、ここの主人ど細君で夫婦喧嘩ばしてらんでね。細君にせがまぃだらすく、はんかくせえ主人は、もっともらすい顔っこばすて、この棚ば作ったんだばって、いや、なんもてづなすだとこで、細君笑ってまって、主人の汗だぐで怒ってしゃべってろ、そいだばおめがやりへえ、へぢまの棚なんて贅沢品だ、生活の様式ば広げるのは、わっきゃいやなんだ、わんどは、そった身分でね、と妙に興覚めな事ばしゃべったはんで、細君も態度っこ改め、それは承知しちゃあ、だばって、へぢまの棚ぐれえは在ってもいど思います、こった貧乏な家にでも、へぢまの棚が出来るのだどいうのは、まあ奇蹟みてえで、素晴すい事だど思います、わあの家にでも、へぢまの棚出来るなんて嘘みてえで、わっきゃ嬉すくてならね、と哀れな事ばす主張すとこで、主人は、まんだ渋々この棚の製作ば継続すやがった。どうも、ここの主人は、わんつか細君さ甘えんた。どれ、どれ、親切ば無にするのもへずねえ、んだば、こう行って、こうからみ附げっていうわげが、ああ、まんずいぐねえ棚っこだ。からみ附がせねように出来ちゃあ。意味ねよ。わっきゃ、不仕合わせなへぢまがも知れね。」
薔薇ど、ねぎ。
「ここの庭では、やはりわーが女王だわ。いまはこったに、からだっこ汚れで、葉の艶も無ぐなってまったばって、こぃでも先日までは、次々ど続げで十輪以上も花っこ咲いだはんでろ。ご近所の叔母っちゃたぢが、おお綺麗で喋ってほめるど、ここの主人必ずぬっと部屋がら出で来で、叔母っちゃたぢに、だほらっとぺごぺごお辞儀するはんで、わっきゃ、たげめぐせかったわ。あだまっこ悪いんでねが。主人は、たげわーば大事にすてけるのだばって、むったどいぐねくちょすのよ。わーが喉っこ乾いですばべてら時には、ただ、ばやめいて、奥さんばひどぐ叱るばすで何も出来ねの。あげぐの果には、おいの大事な新芽ば、気狂ったみてえに、ちょんちょん摘み切ってまって、うむ、こぃでどうやら、なんて真顔でしゃべって澄ますてらのよ。わっきゃ、苦笑すたわ。あだまが悪いんだはんで、仕方がねのね。あの時、新芽ばあったらに切らぃねがったら、わっきゃ、たすかに二十は咲げだんだわ。もう、まいね。むっつど命かぎり咲いだものだはんで、早ぐ老い込んでまった。わっきゃ、早ぐ死にてえ。おや、なっきゃ誰?」
「我輩ば、せめで、竜の鬚ど、呼ばっでけれじゃ。」
「ねぎ、でねの。」
「見破らぃだが。面目え。」
「何ばしゃべっちゃあ。まんず細えねぎねえ。」
「まんず面目え。地の利ば得ねんだ。世が世だば、いや、敗軍の将、愚痴っこしゃべんね。我輩はごう寝るぞ。」
花っこ咲がね矢車草。
「是生滅法。盛者必衰。いっそ、化げで出るが知ら。」
完
**掲載の論拠**
著作権は作者死後50年経過すると消滅する。
(法的見方を変えれば、70年という意見もあるが。)
よって太宰治氏は昭和23年(1948)に亡くなったため、現在2019年において問題ないと考えられます。
http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime3.html
なお太宰治の著作を取り扱う団体である ”津軽カタリスト” 代表の平田成直様にも確認を取っており、特に問題はないとの回答を得ています。
https://twitter.com/shigechas1971