#5 アナスタシアの気持ち
「も、申し訳ありません!」
クラウディアは艦橋にたどり着くや、艦長と広報官に頭を下げて謝った。
彼女のさっきまでの暴力的な振る舞い、甲板で放ったあのビーム、そして今のこの淑女な振る舞い。2人とも、この3つが同一人物によるものだというのが信じられない様子だ。
「あの、あなたのことを、詳しく聞かせてもらってもよろしいですか?」
「は、はい……実は……」
広報官がクラウディアに尋ねる。それに応え、彼女は自身のもう一つの人格について語る。
それを聞いた艦長と広報官に衝撃が走る。性格は真逆で、しかも裏の顔の時は、あの派手な粉砕魔術が使える。とても信じられない話だ。
……が、特に広報官殿は、アナスタシアとなったあの粗暴な彼女を直接見ている。艦長も、セレーネ少尉らから聞いて知っているだろう。しかもこの2人だけでなく、この艦橋にいる全員は、さっき甲板の上で放たれるアナスタシアの魔術を見てしまった。
クラウディアの話す言葉に、嘘偽りがないことは明白だ。
とはいえ、こんな二重人格の存在など、聞いたことがない。性格が反転することくらいはよくある事象だが、一方だけが魔術を使えるなどとは、およそ我々の科学力でも説明がつかない。
「……事情はだいたい理解した。ともかく、私との立場としては、この艦内の秩序を乱さなければ問題ない。あなたにはポールトゥギス王国の情報提供者としての重要な役割もある。私としてはこのまま、あなたには艦内に止まって欲しい。」
「ありがたきお言葉、艦長様、感謝いたします。」
深々と頭を下げるクラウディア。さっきまでの所業を知る広報官は、このギャップにまだ戸惑い気味だ。
「ともかく、これらの状況を総合すると、レオン少尉に世話役を任せるほかなさそうだ。女性側サポートは、セレーナ少尉、貴官にお願いする。これでこの件は、以上だ。」
「はっ!」
私とセレーナ少尉は揃って艦長に敬礼する。艦長は返礼する。
「さてと、高度を再び戻す。両舷微速上昇!高度2万メートルまで上げよ!」
「両舷微速上昇!」
航海士が復唱し、再び艦は高高度に移動し始める。
で、その後は再び広報官との打ち合わせ、そして食事にお風呂と、無難に過ごす。
「では、また明日もお願い致します。」
「は、はい、よろしくね!」
セレーナ少尉と共に、クラウディアを部屋まで送る。クラウディアが部屋に戻るのを見届けた後、セレーナ少尉と共に通路を歩く。
で、クラウディアの部屋から少し離れたところで、セレーナ少尉が口を開く。
「ねえ、レオン少尉。」
「なんだ。」
「あんた……クラウディアさんと、キスしてたでしょ。」
私は、全身から汗が吹き出るのを感じた。なぜだ?なぜそんなことを知っている?
「あの、それは……」
「あんたら2人がなかなか艦橋に来ないから、私が迎えに行ったのよ。そしたら、2人で向かい合っているんだもん。ただ事じゃないって感じて、私、影に隠れて見てたのよ。」
「……どの辺から、知ってるんだ?」
「クラウディアって呼び捨てにする、というようなことを、あなたが言っていたあたりからよ。」
「……じゃあ、そのあとにクラウディアが抱きしめてくれってお願いするあたりも……」
「ええ、その後に突然、彼女がキスするところまで見ちゃったわ。」
「はぁ〜っ……」
「何ため息ついてんのよ!あんな美人に好かれてるって、いいことじゃないの!」
「そ、そうかな、好かれてるのか、私は?」
「あれだけ強烈なアプローチを受けて、好かれてないと思う方がどうかしてるわよ!それに、アナスタシアさんの時だってそうよ。あんた以外が抱きついても効かなかった。つまり、彼女にとってあんたは、それだけ特別だってことよ。」
「いや、そうだけどさ。だが、私はそれほど好かれるようなことをやったという自覚がない。だいたいクラウディアは、父親を求めてる風だったし。好かれてるというのとは、ちょっと違うんじゃないのか?」
「はぁ〜っ!女心が分かってないわね、あんたは!そりゃあ、彼女にとっての男性が、今まで父親しかいなかったからそういう表現になってるだけだと思うわよ。それくらい、察してあげられないの!?ほんと、どうしてこんな男があのご令嬢から好かれちゃったのかしらね?不思議だわ。」
「じゃあ、なんで好かれたのか、少尉には分かるのか?」
「あんたの行動を逐一見てるわけじゃないから、分かるわけないでしょう。あんた、自覚がないだけで多分、何かやらかしてるのよ。それを分かってあげなきゃ、ダメでしょう。」
なんだ、女心が分からないと説教したわりに、自分だって分かってないじゃないか。でも、少尉のいうとおり、何かきっかけがあったはずだ。
いや、でも本当に好かれているという保証はない気がする。あの時の行動は、これから艦橋に行って全てを話さなきゃならないっていうプレッシャーを紛らわすために、衝動的にやっただけかもしれない。好意による行動というより、誰かに頼りたくなったためにとった行動とも取れる。
まあ、そんなことを考えながら、それからは何事もなく4日間が無難に過ぎる。
そして、あの出来事から5日目。
再び私は「アナスタシア」に対面することになる。
「かぁ〜っ!びっくりしたぁ!なんでえ、今のは!?」
ここは艦橋。しかも艦長のすぐ横の椅子の上で、クラウディアがアナスタシアに変わってしまった。
まあ、今回は予め想定していた事態だったため、私も、彼女がいつ暴れ出してもいいように、すぐ横に控えている。
が、予想に反して、前回のように暴れ出さない。それどころか、椅子に座ったまま、こちらをジーッと見ている。
「なんだ、珍しいな。暴れなくてもいいのか?」
「なんでえ、まるで俺が、暴れた方がいいみてえな言い方じゃねえか!」
「そういうわけではないが、これまでアナスタシアになると、理性が吹っ飛んでたじゃないか。」
「……俺だって、そこまでバカじゃないぞ!この場で暴れちゃまずいことくらい、分かってらあ!」
いや、バカだったじゃん。前回は何度落ち着かせては再び暴れたことか。20秒前の約束を忘れるくらい、理性のかけらもない振る舞いだったじゃないか。
「それよりも、また甲板で、俺を戻さなくてもいいのかよ!?」
「ああ、それは無理だ。」
「無理!?な、何でだよ!?」
「ここはもう、宇宙だ。」
そう、駆逐艦1521号艦は今、大気圏を離脱したところだ。大気圏離脱時には、駆逐艦の機関は最大出力を出す。その際に生じるけたたましい機関音と、ビリビリと響く床や椅子の振動に驚いて、アナスタシアになってしまったのだ。
宇宙に出てしまった以上、甲板の外に出るのは到底不可能だ。
現在、駆逐艦1521号艦は僚艦と共に補給の為、戦艦へと向かっている。初心者は、離脱時のあの機関音に驚く。だから当然、クラウディアは「アナスタシア」になることは十分に予想された。
で、まさにその通りになってしまったというわけだ。
もっとも、そのあとにこれほど落ち着いた状態を保つとは思わなかったが。
「窓の外は、空気のない場所。残念ながら今、甲板に出たら死んでしまう。そういうわけだから、駆逐艦内でしばらく、アナスタシアのままでいてもらうしかない。」
「ええ〜っ!ど、どうすんのさ、俺は!」
「まあ、魔術は我慢するしかないな。あんなものを放てる場所は、この艦内にはない。諦めるこった。」
「じょ、冗談じゃねえ!このままずっといろっていうのか!?」
「戦艦ならば、もしかしたら魔術を放てる場所があるかもしれない。それまでは、私が抱きついてでもお前をおとなしくさせる!この艦のためだ。」
「ひぇぇ……」
「まあ、ここは悪いところでもないぞ。ちょっとこっちに来てみろ。」
「な、なんだよ!」
私は、アナスタシアを艦橋の窓際に連れて行く。方向転換をする我が艦。その右側に、あれが見えてきた。
地球だ。大きくて青白い、この漆黒の宇宙に浮かぶオアシス。それが窓の外に見えてくる。
「うわぁ……なんだおい、あのラピスラズリの球のような、どでかいやつは!?」
「あれが、お前のいた星だ。ほら、自分のいる場所も、宇宙から見るとあの通り丸い星だろう。」
「はあ……綺麗だなあ、おい。俺はこんなところに住んでいたのか……?」
なんていうか、アナスタシアは感情表現がストレートだ。自分の心に真っ正直。アナスタシアになる時は衝撃的な場面が多いから、その直後の不機嫌な感情をストレートに表現し過ぎている姿を見て、ついアナスタシアのことを暴力的なやつだと思ってしまうが、実際には単なる自分に真っ正直な人格というだけかもしれない。
一方で、クラウディアの時は周りに気を使い過ぎて、自分の本心を出せているとは言いがたい。私にキスをしたのはクラウディアとしては珍しく自分の本心を出した行動だが、あれはアナスタシアの後押しがあったからとも言えなくはない。
……いや、でもどうして好かれてるんだろう?いやいや、本当に好かれてるのか?そもそも、きっかけらしきものが分からない。どっちなんだ、本当に。
「はあ〜、いいもの見せてもらったぜ!さ、夕食に行こうぜ!」
「えっ、おい!ちょっと!」
突然、アナスタシアは私に手を引いて艦橋の出口に向かう。私は艦長に敬礼し、そのままアナスタシアに引っ張られて外に出る。
まったく、今度は食欲にまっすぐなアナスタシア。ある意味、こいつはブレがないな。エレベーターに乗って、ボタンを押すアナスタシア。
「おい、それは7階だぞ!食堂は8階だ!」
「いいんだよ!これで!」
ところがアナスタシアのやつ、私と食堂ではなく、別の場所に向かう。
7階で降りると、エレベーターの脇の通路を抜けて、展望室に着いた。そこには艦橋以外に艦内で唯一の窓があるところで、自販機もある。
「なんだお前、夕食じゃなかったのか!?」
「いや、その前にちょっと確かめたいことがあってな。」
私は自販機でジュースを買い、アナスタシアに一本渡す。私も一本手に取って、一口飲んだ。
「お前、クラウディアのこと、どう思ってる?」
アナスタシアが聞いたのは、なんとクラウディアのことだった。
「ど、どうって……綺麗でおしとやかで……」
「違う!好きかどうかと聞いてるんだ!ばっかだなあ!それくらい、察しろよ!」
なんだこいつ。だいたい「クラウディア」って言ったって、お前自身のことじゃないか。まるで他人事にように言われても、違和感しかない。
「そりゃあ、好きだよ。だけど……」
「だけど、なんだ!」
「クラウディアはどう思ってるか、分かんないんだよ。」
それを聞いたアナスタシアは突然、怒鳴りだす。
「はあ!?おめえ、バカじゃねえのか!好きでもない相手に、キスなんてするわけないだろう!」
などと、キスをした本人の別人格が怒り出した。ということは、やはりクラウディアから私は好かれているのか?
「いや……もちろん察していないわけじゃない。だけど、その、人を好きになるって、何かきっかけがあるだろう。そういうものがないのに、どうして好かれたのかが分からないんだ。」
「はぁ〜っ、やっぱおめえ、鈍いやつだな!ちょっと考えりゃあ、十分好かれることしてるって分かるだろう!」
「なんだよ、いつ、そんなことしたか?」
「冷静に考えてみろ!あの真っ暗な林の中で絶望的な状況で、しかも裏の顔である俺が殺そうとした相手だっていうのに、お前は助けたんだぜ!?俺という裏の顔の存在まで知った上で、なお紳士的に接し命を助けてくれた相手に、惚れねえやつがどこにいるんだよ!」
「……それはつまり、私があの時助け出したことがきっかけだと言うのか!?」
「あったりまえだろ!それだけのことをして分からねえとか、ばかじゃないのか!」
さっきからバカバカとうるさいやつだ。でも考えてみれば、私はそれなりのことをしていたのか。確かに彼女にとって絶望的な状況の中、しかも二重人格だと承知の上で、私は彼女を助けた。
だが、私としては軍人としての責務を果たしたに過ぎない。
いや、でもどうだろうか……他のやつなら、アナスタシアの一撃を見て逃げ出したかもしれない。たとえ助け出したとしても、距離を置いていたかもしれない。
そう考えると、私はどちらの人格にも同様に接している。彼女にとって、そんな人物がこれまでいなかったのではないか?
「まあ、そういうことだ!だから、クラウディアには遠慮なく接してやれ!」
「ああ、分かった。お前の忠告、ありがたくいただくよ。」
と言ってる本人が「クラウディア」でもあるのだが、アナスタシアの人格を借りて、本心をさらけ出しているのだろう。
と、ここまで話していて、一つの疑問が頭に浮かぶ。
「なあ、アナスタシア。」
「なんだ?」
ちょうどオレンジジュースを飲んでいるアナスタシアに、私は尋ねる。
「クラウディアのことは分かった。だが、お前自身はどうなんだ?」
それを聞いて、思いっきり口に含んでいたジュースを吐き出すアナスタシア。顔が耳まで真っ赤になる。
「ななななに言ってるんだ!」
「いや、クラウディアのことをまるで他人事のように言ってるのなら、お前はどうなのかなあと思ってな。」
「そ、そんなこと言っても俺は裏の顔だし、く、クラウディアがいいと思う相手ならもちろんいいに決まっ……ああ、いや、クラウディアだけを思ってやれ!俺のことなんて、知ってもしょうがねえだろう!」
「いや、でも私は……」
「さっ!夕飯だ!夕飯食うぞ!俺は腹が減ってるんだった!」
と言って、食堂へと向かうアナスタシア。
結局、彼女のことを聞き出せずに、部屋に戻ってしまう。
朝には我々の所属する小艦隊の旗艦である戦艦ティルピッツに到着する予定だ。戦艦ティルビッツに入港し補給を受ける間に、その戦艦内にある街へと向かう。その時は、どこにアナスタシアを連れて行こうか……
などと考えていると、突然ドアをガンガンと叩く音がする。
「おい!レオン!開けろ!」
なんだ?部屋に戻ったんじゃないのか?私はドアを開ける。
そこにいたのは、パジャマ姿のアナスタシアだった。枕を抱えている。
「ちょっと……部屋に入ってもいいか?」
「あ、ああ、いいけど……」
そう応えると、彼女はそそくさと部屋に入る。
「頼みがある!」
部屋に入るや、突然こんなことを言い出すアナスタシア。
「なんだ、頼みって。」
「……一緒に、寝てくれ!」
「……は?」
「いや、よく考えたら、俺はアナスタシアのまま寝るのは初めてなんだ!なんだか、思わず魔術を使っちまいそうでよ、とても不安なんだよ!だから、とても俺一人じゃ寝られねえ!頼む!」
「いや、しかし……私は男で、お前は女だ。その意味が分かってんのか!?」
「んなこたあ分かってるよ!それでも、しょうがねえだろ!間違って自分の部屋で魔術を使っちまったら、どうするんだよ!」
「うん、そりゃあ困るわな……」
「と、とにかくだ!俺の世話役なんだから、いざという時のために、一緒にいるしかねえだろう!」
うーん、そうだったのか。言われてみれば、アナスタシアのままで自分の部屋にいたことはまだない。ここにきてからも、寝るときはいつも「クラウディア」だった。これまでも、彼女はアナスタシアのままで一夜を過ごしたことはないのか。
「ということだ、横で寝させてもらうからな!」
と言って持ってきた枕をベッドに置き、ベッドに入るアナスタシア。
うーん、困った。かと言って、寝ないわけにもいかないな。私はアナスタシアの横に、そっと寝そべる。
……落ち着かない。いくら性格がアレでも、見た目は端麗美人な公爵令嬢。そんな令嬢が真横で寝ていて、何も感じないわけがない。
しばらくその状態が続いたが、アナスタシアのやつ、急に叫び出す。
「あーっ!もう、じれってえなあ!」
ベッドの横の壁をガンガンたたく。なんなのだ、こいつは。ただでさえ寝られなくて困ってるというのに、騒ぎ出されてはさらに輪をかけて寝られない。
「騒がしいやつだな……何がじれったいんだ。」
「おまえさあ、目の前にこんな美人がいて手ぇ出さねえとか、ありえねえだろう!じれったいなぁ!」
「なんだお前、私に手を出して欲しいのか?」
と、私が応えると、アナスタシアのやつ、急に顔を真っ赤にしながら、毛布に潜りながら呟くように言う。
「ま、まあ俺はアナスタシアだからな……クラウディアじゃねえし、女っぽく見えなくて当然だけどよ……」
なんだこいつ。はっきりしないな。クラウディアのことはさばさばとしゃべるくせに、アナスタシアとしての本音は明かそうとしない。
だが、その態度がかえって私の心に火をつけた。
「よし、分かった!じゃあ今から、手を出してやる!」
そう言いながら、アナスタシアを抱き寄せる。すると、いつものように顔を赤くして、身震いを始めるアナスタシア。
「ふええぇ〜……や、やる気かよ!」
「ああ!ただし一つ、条件がある。」
「な、なんだ、条件って!?」
「簡単なことだ。お前の本心が聞きたい。」
「な、何のことだ!?」
「クラウディアの本心は、お前から聞いてよく分かった。だが、アナスタシアとしての気持ちは、どうなんだ?」
「いや、どうと言われても、俺は裏の顔であって……」
「じゃあ、こっちからはっきり言ってやる。私は、アナスタシアも好きだ。で、お前はどうなんだ?」
それを聞いたアナスタシア、もう顔中から血が吹き出るのではないかと言うほど、真っ赤な顔をしている。
「俺はクラウディアが好きなやつなら……」
「おい!クラウディアを使うな!お前はどうなのかと聞いている!」
「そりゃあ……俺だってもちろん、お前のこと、好きに決まってるだろう!!でなきゃ枕持って、この部屋まで来るものか!」
ようやく本心をさらけ出したアナスタシア。私は微笑んで応える。
「そうか……それが聞きたかった……」
まあ、そのあと私は……アナスタシアを無茶苦茶にした。




