ようこそ、底へ
「ぱんぱかぱーん! おめでとうレナード君! 厳正にして公平な審査の結果、君は『勇者』に選ばれましたー!」
――そのときのことは、一生忘れないだろうと思う。
俺の十六歳の誕生日。
普段は乾燥させた植物しか出てこないような我が家の食卓に、味のついたスープが出された日。
俺が、大人とみなされる年齢になった日。
――神様によって『勇者』に指名された日。
全てが、同じ日のことだった。
「な、なんだよお前!?」
「私は神様だよ。人間の味方だから安心して!」
「神様? 人間の味方? だったら、魔王に支配されてるこの世界をなんとかしてくれよ!」
まだ家族と一緒に暮らしていた俺の前に、神様と名乗るそいつは突然現れた。
両親や兄弟は、この未知の存在に完全に萎縮していた。
だが俺は何の戸惑いもためらいもなく、神様に食ってかかった。
「うん、そうなんだよー。それ言われると思ってたんだけどさ……。
私たち神様って、レナード君達の世界の出来事には直接介入できないの。だから間接的にお手伝いしようと思って、今日大人になったレナード君のところに来たんだよー。
君には、『勇者』としての素質があるから」
そして、神様も俺を咎めることなく、饒舌にこの状況について話をしてきた。
俺が神様によって選ばれた勇者であること。
神様として勇者の俺に加護を与えること。
最初は苦難の道のりでも、頼りになる仲間が俺を支えてくれるであろうこと。
俺の旅の手助けとして、聖剣カリブルヌスをくれること。
「困ることも、泣きたくなることもあるかもしれない。
だけど私は、レナード君を決して見捨てない。
だって、君は、神が選んだ『勇者』」
最後に神様がそう言ったときには、俺はすっかり目の前にいる存在を信頼していた。
突拍子もない話だったのに。
普通に考えたら、信じられない話だったのに。
疑う事なんて、考えもしなかった。
それで間違いないと、何の根拠もなく思っていて。
「君がこの世界を救うまで、私が君を見守り続けるから」
――そんな言葉に、大きく頷いていた。
「…………嘘だ………………」
呆然と呟く。言おうとして出てきた言葉ではなかった。勝手に口の中からはき出された音だ。
何で。どうして。
俺の生きてきた世界。『勇者』として神様に選ばれ、生きてきた世界。
神様が、決して見捨てないと、そう確かに言っていた。
――こんな状況、嘘だろ?
「廃棄された、って、何だよ…………」
脳にこびりついたあのときの言葉が、ぐるぐると頭の中で回る。
あの時の言葉は。人間の味方だと言った、あの神様は。
「……ふむ。『廃棄』という言葉にも、解説があった方がいいか?」
こんな俺の様子を見て、カヤはそんなことを言っている。
その表情は馬鹿みたいにまじめだ。
冗談抜きでそう問いかけてきているのだろうけれど――俺はそれを聞いて、頭に血が上るのを感じた。
「――ふざけんな! そんなこと聞いてるんじゃない!」
感情にまかせて叫ぶ。
がたん、という椅子が倒れる音が聞こえて、初めて自分が立ち上がっていたのだと言うことに気がついた。
「『神様』が廃棄したってのが、どういうことかって聞いてんだ!
あのとき……あのとき、『神様』は俺を選んだって、決して見捨てないって!
俺が世界を救う『勇者』だって、言ったじゃねえか!」
自分でも感情にまかせれば、こんな言葉遣いができるのだと初めて知った。
こんなこと、カヤに言ったところでどうにかなるわけではない。彼女には俺が『勇者』になった経緯を話していない。だからこの発言を聞いたところで、彼女に意味が伝わるわけがない。
それでも叫ばずにはいられなかった。
この感情をどうにかしてはき出すしかなかった。
「……レナード。君、ちゃんと『神様』の説明を読んだか?」
だというのに。カヤは全くもって自分のペースを崩すことなく、そんなことを言ってくる。
「読んでねえよ! 見なくたって、『神様』ぐらいちゃんと知ってる!」
「なるほど。『神様』については知っていてもいなくても読ませるようにするべきだな。チャートの修正点発見だ」
「だから、さっきから何なんだよ!? 『神様』がどうしたってんだ!」
「君が勘違いしていると言いたいんだよ」
叫び続ける俺を見もせず、カヤは紙の束をパラパラと前の方へと戻していく。
やがて目当てのページにたどり着いたのか手を止めると、わずかに目を細めて話し出した。
「『神様』とは、人知を越えた存在として崇拝するものであり、どの世界にも大概存在することが多いようです。ですが、このチャートで説明する『神様』はあなたの世界に存在する『神様』とは別の存在です」
「――は?」
――今、カヤはなんて言った?
思考が停止する。
激昂に、疑問が勝る。
「『神様』とは、世界を作り、あなたを生み出した存在です。あなたの目の前に姿を現すことはまずありえません」
彼女は今、何を言っている?
「『神様』は世界の支配者であり、世界の進行を決めています。あなたを含め、あなたの生きてきた世界は、『神様』が書いた一つの物語です」
それが『神様』に関する説明の全てだったのか、カヤはそこまで話すと言葉を止めて俺の方を見た。
――ちょっと待ってくれ。ちょっと待ってくれ!
「……っ、そんなわけないだろ!
俺の目の前に現れたやつは、『神様』って名乗って!
俺に力を与えてくれたんだ!」
「君は今の私の話を聞いていたのか?
それは君の世界の『神様』であって、物語を書いた『神様』ではない」
カヤはあきれ顔でこちらを見ている。
頭が混乱する。
『神様』が『神様』じゃない?
意味が分からない。
彼女が何を言っているのか、分からない。
「訳の分からないことばっかり言うなよ、何が言いたいのか全然分かんねえよ!」
「……ふむ」
カヤはほんの少しの間、沈黙した。
俺に語る言葉を探しているかのように、視線を部屋の中にさまよわせて。
やがて、カヤは手元の紙の束を最初の状態に戻しはじめた。
俺が少しだけつけてしまった紙の折り目を、丁寧に伸ばしながら、彼女は静かに語る。
「君の世界にも、神様がいたようだが。……君は何故、目の前に現れたというヤツが神様だと分かった? 見たことがあったのか?」
「なんだよ、そんなの決まってるだろ。だって…………」
勢いづいて答えようとして、気がつく。
あの時、俺の目の前に現れた存在。
間違いなく『神様』だったと言い切れる根拠は、どこにあるんだ?
突然現れたから。
神々しかったから。
聖剣カリブルヌスをくれたから。
人間ではできないようなことをやってのけたから。
自分自身で『神様』だと名乗ったから?
……何一つ、しっくりこない。
強いて言うなら、それが『神様』だったから、としか言いようがなかった。
言葉を返せない俺に、カヤは言う。
「いいか。この世には君の目の前に現れた神様とは違う、本物の『神様』ってやつが存在するんだ。それは決して君の世界において目の前に現れることはない」
「……だから、何を言ってるんだよ」
「その『神様』は、全てを作る存在なんだ。
どこにどんな国があって、どんな人がいて、どんな生き物がいる。
こんなことがあって、そのために何が起きて、こんな結末を迎える。
そういう一連の物語を考えて、人や物や世界を作り出す、そういう存在だ」
「…………」
人を、モノを、世界を作る存在?
俺には父親も母親もいた。兄弟もいた。
俺を生んだのは母さんだ。『神様』じゃない。
「だから、君の目の前に神様が現れたんだとしたら、それは君の世界の物語のために『神様』が作った『君の世界の神様』だということだ。
『神様』がそれを『君の世界の神様』だと設定して作り出したから、君は何の違和感もなくそれを本物の神様だと思ったんだ」
「…………」
カヤは何を言っているのだろう。
そんなの。
まるで俺たちがその『神様』によって作り出されただけの存在みたいじゃないか。
「『君の世界の神様』が君に何を言ったのかは知らんが……ともかく、君を棄てたのは『君の世界の神様』ではなく、物語を書いた方の『神様』だ」
「……………………」
「『神様』は、好き勝手に物語を作って遊んでいるんだが……たまに、物語の流れがうまくいかなくなったり、思い描く展開に事が運ばなくなったりするらしい。そういう時に、廃棄するんだよ。邪魔になった存在をな」
「……………………」
「それは人だったり、モンスターだったり、街だったり、世界だったり……ひどいときは物語そのものを無かったことにしてしまう」
カヤは話し続けているが、俺の耳にはほとんど入ってきていなかった。
だって、そうだろう? こんなの、信じられるわけがない。
「そして、『神様』によって棄てられたモノが落ちてくる世界が、このラビッシュワールドだということだ」
そこまでしゃべって。
カヤはふぅ、と息をついた。
言うべきことは全部伝えた、そんな感じだった。
そんなはずがない。そんなわけがない。
そう言いたいのに、声が出ない。
俺にとっての特別な、忘れられない日。
今にして思えば、あの日の俺は確かに変だった。
根拠もなく突然現れた存在を、神様だと信じることができた理由も。
人間の味方だという言葉に、何の疑問も抱かなかった理由も。
神様に文句を言うという恐ろしいことを、平然と出来た理由も。
あまりにも会話に情報量が足りず説明不足だったのに、納得できた理由も。
――何一つ、無い。
今なんて、この状況をひたすら疑い、カヤに対して答えを求めているというのに。
なぜあのときの俺は、こんな感じの理不尽な状況に対して、それを全くしなかった?
それは。
その理由が。
『神様』によって定められた物語だったからだというのか?
この世界に存在する物質ならば、自動的に知っていることになるように。
問答無用に神様を信じ、勇者になるように動かされていたというのか?
そして、俺という存在は必要ないと神様は運命づけたというのか?
もし彼女の言うことが全て真実なのだとしたら。
もし彼女の言うことが嘘偽り無い現実なのだとしたら。
俺の人生は、一体何だったんだ?
何がいけなかった?
あの世界における『勇者』が俺ではダメだった?
俺の何かが『神様』に気に入らなかった?
――俺では、世界を救えなかった?
分からない。何もかも。
ただ、目の前にある現実。
俺は、あの世界において必要ない存在になった、ということだけが。
今の俺に残された、真実だった。
「だけどな、レナード。この世界にこれただけ、君はまだ幸運なんだからな。普通なら……」
「――ぁ、」
「ん、どうし――」
「――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
――絶叫した。
ただただ、あらん限りの声を張り上げた。
これまで生きてきた人生、どんな苦しいときも、どんなにつらいときも出したことのない声が、腹の底から出た。
もういい。
もう十分理解した。
これ以上聞きたくない。
知りたくない、知りたくない、知りたくない。
――認めたくない!
「うわあああああああああああああああああ!」
俺は無我夢中で走り出した。
本棚を抜け、扉を強引に押し開け。
小屋の向こう側にあった森の中を、全速力で駆け抜けた。
枝が顔にぶつかり、木の根に足を取られそうになり。
それでも走り続けた。
走るしかなかった。
これ以上、何も考えたくなかった。
今までのことも、これからのことも。
――何も、考えたくなかった。