ここはゴミ箱
『ラビッシュ』とは何か?
この世界がラビッシュワールド、と呼ばれているようなのはこれまでの文面で分かっている。
だが、言われてみれば『ラビッシュ』が何なのかは知らない。
知らないということは、次のページを開くということだ。
その点に関してこれ以上持つべき疑念もない。
知らないのだから知らなければいけない、それだけだ。
だから俺は、ごく自然に次のページへとうつった。
それが大いなる間違いであるとも気づかずに。
この時。
俺はこれまでしたことのなかった『文章を読む』という作業に疲れていた。
情報を無理矢理蓄積し続けたことで、思考が麻痺していた。
要するに、考える力が著しく低下していたのだ。
それ故俺は、先ほどの『異世界』という単語の時に学んだはずのことを――『単語に関する質問が来るときは、あまり良くない内容の可能性がある』という教訓を、生かせなかった。
だから、何の心構えもなくページをめくり。
そこに書いてあったあまりにも簡潔な文章に、ただ、目を疑った。
【『ラビッシュ』とは、『廃棄物』、『がらくた』、『生ゴミ』、『くず』などの意味を持つ言葉です。
次のページへお進みください】
――廃棄物? がらくた? この世界の名前が冠する意味が、ゴミ?
疲れのあまりただただ知識を蓄積することに努めていた脳みそが、警鐘を鳴らす。
知識を足し合わせた先にある答え。
気がついてはならない、と、直感が告げている。
――ここで読むのをやめるべきだ。
これ以上の知識が、今、本当に必要なのか?
少なくとも半分ほど読み進めたことで、ラビッシュワールドのことを多少知ることはできている。
ラビッシュワールド。たくさんの転移者がいて、言語や文字がすべて共通となった世界。言語の壁が存在しない、すてきな世界。
きっとそのあたりが、絶対に必要な知識だったはずだ。何を学ぶにおいても、大事な部分というのははまず最初に教わる。だから半分まで来た今、ここから先はきっと今すぐ知らなきゃいけないことはない。
何でも知りすぎると、冒険に面白みだってわかないし。
そう、そうだ。俺は勇者であり、冒険者なのだ。
地図もなく行く先も分からない状態ではじめた勇者としての冒険。
未知にぶつかり、苦悩したこともある。それでも、体当たりで進みながら知り続けた。
それが間違っていたはずがない。そうすることで仲間を得て、魔族四天王の一人を倒せたのだから。
だから、そのときと同じように進もう。進め。進んでしまえ! 紙を見ないことを選択するんだ!
俺は自分自身の精神を必死で説得する。納得させようとする。
計画性なんて無くても、なんとかやっていけるはずだ。
ここから足を動かせ。立ち上がって、小屋から出て、歩いて行けばいいのだ。
荒野を戻るのも、さっき見た森の中に進むのもいいだろう。
だから、これ以上知るな。
ラビッシュワールドについて、今、理解するな!
――そう、分かっているのに。
【あなたは『ワールド』という言葉について知っていますか?
できない方は三百八十ページへ、できる方は三百八十一ページへお進みください】
それでも、手はページをめくる。
現実は、自分勝手に目の前にやってくる。
それが『神様』の意思だとでも言うかのように。
【『ワールド』とは、『世界』という意味を持つ言葉です。
次のページへお進みください】
そして、真実は目の前に現れる。
【『ラビッシュ』と『ワールド』を理解したあなた。
『ラビッシュワールド』と呼ばれるあなたが転移してやってきたこの場所は、『ゴミの世界』です。
次のページへお進みください】
知ってはならない現実をつきつける。
【『ラビッシュワールド』へと転移したあなた。
この世界は、ゴミの世界です。不必要なモノを捨てる、ゴミの世界です。このゴミ箱の持ち主は――】
そこまで読んで。ようやく、俺の手が止まる。
汗が流れるのが、手が震えるのが止まらないのは。
決してここが寒いからでも、体調が悪いからでもない。
「……カヤ」
ようやく発した声は、自分のものだと気づけないほどにかすれていた。
「何だ」
「どういうことだよ、これ……これって……」
こんなもの投げ捨てて逃げ出したいのに。勝手に口が動く。
――何で、俺はこの文章の意味を聞こうとしているんだ?
理解したくない。そう思っているのに、脳みそが理解させようとしてくる。
いや、これはきっと、さっきと同じ状態なのだ。
何かによって、無理矢理に、この状況を理解させられようとしている。
その知識が俺にとって必要か、そうでないかなど。
きっとその理解させようとする力には、関係ないのだ。
その力にあらがう術を、俺は持っていない。
頭の良い人間ではない俺には、何も思いつけない。
知識や常識に関することはメアリが、小難しいことや精神論はヴィクトルが詳しかった。
魔王を倒す一行として勇者である俺に出来たことは、神様の啓示に従って現れる魔物を切ることと。
前を見ろ、立ち上がれ、と愚直なまでに魔王を倒すことをあきらめないことだった。
そうやって生きてきて、それに何の間違いも無いと思っていた。
それが俺に対して神様が与えた役割で、運命なのだと。
そうやって生きていけば、いいのだと――。
「そこに書いてある通りだが」
カヤは淡々と言う。
そうだ。
今俺が開いているページには、まさしく俺の質問への答えが書いてある。
だけど。だけど――こんな。
「……目が疲れててさ。ほら、俺今日初めて文字が読めるようになったから……ちゃんと書いてあることが理解できて無いんだと思うんだよ」
めちゃくちゃな事を口走る。
このページを閉じて、無かったことにすればいい。
見なかったことにすればいいんだ。
理解しなかったことに、理解できなかったことに。
「…………言葉で聞けばちゃんと分かる、と?」
カヤは呆れた様子でため息をついた。俺の目の前にあった紙束を自分の方に向ける。
違う、何でも無い、読まなくていい。
そう言えたらどんなに良かっただろう。
現実は俺に真実を伝えるために、やってくる。
「一度しか言わん。よく聞け」
「…………」
彼女はため息を一つはいて。
「……『ラビッシュワールド』へと転移したあなた。この世界は、ゴミの世界です。不必要なモノを捨てる、ゴミの世界です」
その残酷な文面を、淡々と読み上げる。
「このゴミ箱の持ち主は、『神様』です」
もう何度も繰り返した、とでも言うようななめらかさで。
「あなたは『神様』によってこの『ゴミの世界』に転移しました」
語りすぎて覚えてしまった、とでも言うようなすべらかさで。
「これは、『神様』によって『ゴミ箱』に捨てられたということと同義です。つまり」
そこで、彼女は一呼吸置く。
すぅ、と息を吸い込むのがやけにゆっくりに感じられて。
「あなたは、『神様』に『もといた世界において必要の無い人物』だと認識され、廃棄されたということです」
俺が読んだ通りの文章を。
脳が理解した通りの文章を。
カヤは、何の感情もこめずに、読み捨てた。