救世主は饒舌だった
「助かりました、ありがとうございます! ……ええと」
懇願から十数分の時を経て。
俺のケツはなんとか青い物体――ゴミ箱から解放された。ようやく自由に立ち上がれた俺は、忌々しい青い円柱をを思いっきり蹴り飛ばし、助けてくれた女性へ礼を言った。
腰ほどまである長い黒髪に、切れ長の瞳。凜とした美人といった印象の顔立ち。なのに服はやぼったいつなぎで、手には革の手袋をしている。靴は編み上げの黒いブーツで、そこだけが彼女の全身からはやけに浮いて見えた。
礼を言いながらまだ名前を聞いていなかったことを思い出し、言葉をどもらせていると、女性は相変わらずのぶっきらぼうさで口を動かした。
「カヤ」
「え?」
「え? じゃない。名前だろう? 私はカヤだ」
君は、というように顎でこちらをしゃくられて、俺は慌てて言葉を紡いだ。
「あ、俺はレナードと言います。ありがとうございます、カヤさん――」
「さん付けはやめてくれ、カヤでいい。それに敬語もいらない」
カヤさん――カヤは、俺の言葉を遮るようにして言う。
その表情がどことなくうざったそうで、
「え、あ、……そうですか、じゃないや、そうか」
俺は口ごもりながら言葉を訂正した。
話し方といい、気むずかしいタイプの人なのかもしれないと思う。そんな俺の考えをよそに、彼女は淡々と告げる。
「とりあえずこんな場所で立ち話も何だ。私の家へ案内する。ついてこい」
そして俺の返事も待たず、さっさと背を向けて歩き出してしまった。
どうしよう、と一瞬迷うも、俺は彼女の背を追いかける。
助けてもらったのはいいものの、ここがどこだか俺には全く分からない。空から見たときのこの大陸の形は――ヴェーダニア大陸の地図とは、かなり違って見えた。まぁ地図自体が相当に古いものだったから、時の流れに従って形が変わった、とか言う話かもしれないけど。
ともかく、今は情報が必要だ。
そして、その情報を持っていると思わしき人物は、今目の前を歩いている彼女しかいない。
後を追いながら、それとなく周辺を見回す。やはり生き物の気配がない。がれきの山の中、カヤがブーツを踏みならす音と、俺のくたびれた冒険靴が石を蹴る音だけが響いている。
さて、情報を手に入れるには聞いて見なければ始まらないわけだが、どこから話を切り出そう。
最初に話しかけられたときの様子からするに、この人、俺が空から落ちてきたってことは分かっているみたいだけど……。
「ところで、レナードといったな」
「え、あ、はい」
前を黙々と歩くカヤに振り向きもせず話しかけられて、俺は反射的に返事をする。
「敬語はいらんと言っただろうが。……今、いろいろと分からないことや聞きたいことがあるんじゃないか?」
「……えっ?」
「それで、どう話を切り出していこうかと悩んでいるところなんだろう?」
まさに心の中をそのものずばりで言い当てられ、俺は頷くしかなかった。
……いや、前を歩いている彼女には俺の頷きは見えないんだから、声を出さなきゃだめじゃん。
そう思って口を開こうとするも、それよりもカヤの発言の方が早かった。
「だが、その前に私の質問に答えてほしい。それが終われば、君の持つどんな疑問にも答えよう」
「…………」
「たとえば、今自分はどの国のどの場所にいるのか、何が起こって自分はこの場所に来てしまったのか……とかね。聞きたいのはそんなところだろう?」
返事はなくとも分かっている、とでも言うように、彼女は話を進めていく。
名前の時といい今のといい、心を読む魔法が使えると言われても信じてしまいそうな勢いだ。
「そうか、ならば聞くぞ」
「えっ? いや、まだ何も言ってないんだけど……」
「君はどこから来た?」
「話進めるのかよ。ええと、ヴェーダニア大陸の――」
「どこの国出身のどんな民族で、どんな村に住んでいた? 今何歳だ? 職業は? 家族構成は? その腰の剣は何だ? 服装を見るに冒険者だと思うんだが、いつ頃から旅に出て、その目的は――」
「ちょ、ちょっと待って!」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、俺はたまらずストップをかけた。量が多いのもさることながら、話すのが速すぎて覚えられないし、把握が間に合わない!
ていうかなんで俺がオーケー出したことになって話が進んでんの!? もしかして今までのって心を読んでいたわけでも何でも無く、単に俺の返答なんかどうでもいいから先に進めてただけなのか!?
「何だ。別にかまわないと言ったじゃないか」
「言ってないだろねつ造するなよ! しかも何その後の質問の羅列、何十回も繰り返し暗唱したので空で全部言えますみたいな速度で言われても追いつけないから!」
俺は足を速めて彼女の横に追いついた。鼻筋の通った綺麗な横顔が目に入る。が、彼女はこちらに見向きもしない。
「仕方ないな。なら、一つずついこう」
彼女が軽い嘆息を挟んでそう言った。
……なんだ、ちゃんと意思表示をすればこちらの意見も汲んでくれるんだ。
「まずは空から落ちてきてから、ゴミ箱にハマるまでの経緯について教えてくれ」
「それはだな、空中でどんな体制で落ちれば一番被害が少ないかを考えて……っておい!」
「何だ?」
「何だ? じゃない! さっきまでの質問と全然違うだろ!? 何お前何言ってんだ見たいな顔でこっち見てるんだよ!!」
「まぁ、わりとどうでもいいんだがな。なんせあんな落ち方をした人間は初めて見たものだから、興味本位で尋ねるなら一番気になるポイントで……」
「たぶんその情報仕入れても何の役にも立たないと思うんで! その、さっきの質問を一つずつやってくところからいこう!? いくよな!? いくぜ! まず俺が生まれた国はヴェーダニア大陸ってとこにある――」
「なんだ君、ちゃんとさっきの質問聞こえてたんじゃないか」
「その質問に答えさせられるぐらいなら意地でも思い出すわ!」
まじめな顔でそんな部分に食いつかれても困る。俺は慌てて先ほどの話へと展開を軌道修正した。
ていうかあの時は必死だったからなんとも思わなかったけど、改めて他人に話せるような理由じゃないから!
――それから、およそ三十分ほどの間。
俺は必死になってカヤからの質問ラッシュを捌き、ゴミ箱にハマった経緯についての回答を回避し、足の速い彼女において行かれないようにと早歩きをし続けた。
その結果。
「――なるほどな。大体のことは分かった。これで私からの質問は終了だ」
「……ぜえ……はあ…………」
「体力が無いな。三十分歩いた程度で根を上げるとは。本当に勇者なのか?」
「まだ未熟なもんで……いや、つーかこれ……しゃべり続けたことによる体力消耗と、ツッコミ疲れもかなりあるんだけど……」
「自分に対する言い訳をするな。甘い」
肩で息をする俺と、呆れた顔のカヤ。
彼女の質問に答え続けた俺の口の中は、からからに乾いていた。
「しかし……ヴェーダニア大陸に、魔物の四天王、なあ……」
カヤはぶつぶつと独り言を呟いている。呼吸の乱れ一つ無い。仮にも勇者としてやってきた人間としては、こんなところでひ弱な面を見せてしまうのはひどく情けない。いや、ゴミ箱にハマった時点で今更な話か。
こんなことでは彼女の言うとおり、魔王を倒すことなんかできない。
早く戻らなければいけないのに。
質問が終わってようやっとできた心の余裕から、そんな感情がこみ上げてくる。
そうだ、疲れただなんて休んでいる暇はないのだ。エミリやヴィクトルの元に、早く戻らなければ。
そんな俺の思考をよそに、カヤは足を止めた。
「――ついたぞ、私の家だ」