井の中すら知らない蛙
聖剣カリブルヌスを、ゴブリンの子供達が興味深げに眺めたり、振って遊んだりしている間。
俺は父親である大ゴブリンと一緒に話をすることにした。
大ゴブリンは興味がわいたのか俺の話をいろいろ聞きたがったし、俺もまた似たような境遇の持ち主に始めて出会えたことで多少なり気が緩んだのだろう。
それでも、つい最近までは敵だった魔族と話そうという気になったのは――相手がこの大ゴブリンだったから、という面が大きいのは否定できない。
魔族と話すという今までに無い奇妙な体験は、相手がこの豪快な男だからなのか、とても楽しくて。
砕けた話し方が出来るようになるには、そう時間はかからなかった。
今は、相手が魔族だとしても。
『勇者』として、あの『神様』に言われるがままに戦わなくていい、という意識が、今の俺を少し身軽にさせていた。
それは、自分を棄てた『神様』へのわずかばかりの反抗になるような気がしたからだ。
改めてラビッシュワールドについて教えてもらったり、俺がここに来たときのことについて語ったり。
時たま風が吹き抜ける草原で、俺と大ゴブリンはいろんな話をした。
そして今はというと。
「――はぁ!? ラビッシュワールドじゃあ死なないし、物も壊れないって……本当か!?」
俺はラビッシュワールドにきた転移者や転移物は死んだり壊れたりすることはないと聞かされ、目を丸くしているところだ。
「オウ。ついでに言うと時間の流れだってねェぞ……って、これぐらいは流石に知ってるか?」
「…………えっと、どういうことだ、それ」
「この世界じゃ歳をとらねェってことだよ。だから俺たちァいわゆる不老不死ってやつってこったなァ」
大ゴブリンは俺の無知っぷりに呆れているようだった。
本当ならカヤの用意した紙の束のどこかに、こういった事実も書かれていたんだろう。
昼と夜とか、一日が二十四時間換算とか、そんなところは読んだが……不老不死にまでなっているとは思わなかった。
けれど、もはやショックすら受けない。その程度のことでは驚けないぐらいの異常が、この世界の常識としてあり過ぎるし。
「やっぱり勘違いしてたんだなァ。聖剣の扱いにやけに過敏だし、ガキどもに壊さないでーっていってたあたりから怪しいとは思ってたがよォ」
「いやだって……普通思わないじゃないか、そんな世界だなんて」
「だァら、いい加減その考え方を捨てろッて。オメェ全然嬢ちゃんの話ちゃんと聞いてねェじゃねェか……俺ンときはちゃんと話してくれたぞ?」
「話の途中で出てきちゃったんだよ……気が動転してて」
「ったく。ボウズ、勇者としちゃァ冷静さが足りねェぞ。正しく状況を判断するのも、生きていく上じゃあ必要だろうが」
「それは肝に命じる……」
そう話しながら。
不老不死になっているという事実、そして壊れた物は昼になれば元に戻る――その二つの事象から、俺は一つの仮説を連想する。
「……ていうか、もしかしなくても。お前に頭殴られたヤツってさ」
「オウ?」
「あれガチだったら死んでたって事か…………?」
おそるおそる聞くと。
大ゴブリンは非常にいい笑顔で、ぐっと親指を立ててきた。
「そうだろォなァ! なんか首の骨変な方向に曲がってたし、そもそも頭がグッチャグチャになってたしなァ!」
「そういう恐ろしいことをいい笑顔で言うんじゃねえよ!」
――やっぱ、そういうことかよ!
――ってことは、まさかアレも……。
「いやァアレ見て、まだまだ俺の腕力も棄てたもんじゃねェなと思ったぜ!
それにオメェが最初にこの世界に落ちてきたケツダイブだってたぶん本当は……ブッハハハハハ!」
「ああああああああやめろそれ以上言うな! 確かにあんな高いところから落ちて無事ってすげぇって思ったけど! そっちは仮にそうだとしても認めたくない!」
考えてはいたものの言わなかったことを、大ゴブリンはあっさりと暴露した。
俺が必死になって否定するのを、見て、もう耐えられないとばかりにゲラゲラと笑い出した。
「このデリカシーゼロ野郎が! そこは思ったって普通言わないだろ!?」
「いやァだって、最初っから笑いこらえるのに必死でよ……! すごい真面目な顔で『お尻は偉大だ、俺の命を守ってくれた』とか言うから……ッダーッハッハッハッハッハ!」
「うるせえ! あんな体制までして実は死んでましたとか恥ずかしすぎるんだよ! 色々通り越して死にたい!」
「心配すんなよォ死ねねェから! ガッハッハッハッハ!」
「そういうことじゃねえええ!」
俺は、今日という日を。
ゴミ箱の経緯を話した結果、草原中に響き渡る大声で笑われたのを……決して忘れない。
決して、だ!
◇◆◇
大ゴブリンは声や体格の大きさと同じように性格も豪快で、あのめちゃくちゃな大きさの笑い声も慣れてしまえば爽快だ。
草原にあの声が突き抜けていくのは、慣れてくるといっそ面白くも感じる。
俺はすっかり大ゴブリンにつられて、笑いながら話をするようになっていた。
しかし、思いの外なんでも話せてしまったことは、自分でも驚いていた。
彼に父性的な暖かみがあるからかもしれない。
「っカァー……笑った笑った! こんなに笑ったのは久方ぶりだぜ! ガキども以外のヤツと話をするのもな」
大ゴブリンはなおもひぃひぃと笑いをこらえながら、片手で腹をさすっている。
ゴブリンにも腹筋はあるのだろうか、と思いながら俺は話しかけた。
「そういえば、お前以外の魔族とか人間はここにはいないのか?
ここに来るまでにある森にしても、何にも出会わなかったけど……」
「ン? アァ、そうだな……この草原で生活してんのは、たぶん俺ら親子だけだなァ。森の事情は知らねェ」
「こんなに広い場所なのに、お前ら親子だけなのか?」
俺は驚いて言う。大ゴブリンは当たり前のように頷いた。
「オウ。ここは俺たちの生まれ故郷でなァ」
「故郷……? ここはラビッシュワールドだろ?」
そう口に出してから、気がつく。
この世界に捨てられるのは、何も生き物だけではない。
ついさっき、その話をしたばかりだというのに。
俺はやはり、この大ゴブリンの言うように注意力が足りない。
「オゥヨ。
俺らはなァ、この場所ごとラビッシュワールドに捨てられたんだ。
……まぁ、俺らの話全てが、あの世界じゃあ必要なくなったって事なんだろうなァ」
そういう大ゴブリンの目は、どこか遠くを見ているようだった。
ぐっ、と胸が締め付けられる。
本来あるべき世界から、排除された自分たち。
誰しもが持っているその人生を、必要なかった存在として捨てられた俺たち。
ましてや、自分のみならず、家族や居場所ごと切り捨てられたというこの大ゴブリンの苦しみは――比べる物でもないだろうが、俺よりもきっと、苦しい。
「……ごめん」
今度は。先ほどとは違い、心から謝罪の言葉が出た。
完全に思慮不足だ。
「アァ? そんな愁傷な顔すんじゃねェよ」
少なくとも俺が大ゴブリンの立場なら、ぶしつけにそんな部分に踏み入れられたら激高しているかもしれない。
だが、大ゴブリンは笑ってそれを許す。
「それに元の世界での居場所が、今も尚あるってェのは悪くねェんだ。ここにいりゃあ、落ち着くからな」
だから俺ァここに住んでるんだ、と大ゴブリンは自分の子供達を見守りながら言う。
三匹のゴブリンは飽きることなく、聖剣カリブルヌスで遊んでいる。
「まァ、こうなったらなったで、オメェみてェに戻らなきゃって意欲もなくなるから困りモンかもしれねェな」
「…………」
「あとよォ、俺って声がデケェだろ? 人や魔物が多いところだと、やっぱちょっとうるさがられるんでなァ」
「……ゴブリンが声がでかい種族って訳じゃないのか?」
「アァ?」
「いや、俺、声も攻撃手段の一つだと思ってたんだけど……」
「……ハッハッハ、その発想はなかったぜェ! そういう世界もあるかもしれねェな!」
なんとか重い空気を打破したくて、気になったことへの質問をぶつけたところ。
どうやら声の大きさは、ゴブリンの特性ではなくこの大ゴブリンの個性だったらしい。
……また無知を晒してしまったようだが、なんとかさっきまでよりはマシな感じになった。
こんな気のいい大ゴブリンが、何故元の世界では必要なくなってしまったのだろう。
「まァそんなことはともかくだ。オメェ、ラビッシュワールドにこれたのは幸運だよ」
大ゴブリンはぐっと背筋を伸ばしながら、そんなことを言う。
「……どこが幸運なんだよ。棄てられたってだけで、不幸一色だろ」
突然何を言い出すのか、と俺の声のトーンは一気に暗くなる。
が、そんな気持ちは大ゴブリンの次の一言で、ひっくり返ることになった。
「それはそうだけどよォ。あの嬢ちゃんの話じゃあ、ここで生きてりゃァ『すくいの手』で元の世界に戻るチャンスがあるじゃねェか?」
「――へ?」
――なんだって?