孤独な詩。
同じ時間、同じ場所、同じ挨拶、同じ笑顔。
いつも通りのあいつとの、代わり映えのしない日常が、このまま続くと思っていた。いや、続いてほしいと願っていた。
身の程知らずの願いであって、分不相応な望みであって、叶うことのない夢であって――。
近くにいるはずなのに、いつもあいつは遠くにいて、オレとあいつの間には、深い深い溝が横たわっている。たとえオレが死んだところで、その溝は永遠に埋まることはないのだろう。
あいつもオレも独りぼっち。それがオレ達の出逢ったきっかけ。あいつがオレに声をかけ、オレは無視した。薄汚れたなりで公園のベンチにうずくまっていたオレに、あいつは言った。
「臭い。風呂に入って」
オレでも知っている、かなりデカイ学校の制服を着たあいつは、ポケットから取り出した変な機械に独り言を呟いた。わずか数秒後には、オレは黒塗りで胴長な車に詰め込まれ、気付いたときには巨大な部屋に放り込まれていた。
いい年した野郎が、ひらひらした服を着た女どもによってたかって体を洗われ、そこが風呂だとようやく理解できたのだった。オレの人生で一番恥ずかしい歴史だ。忘れられるものなら忘れたい。
風呂上がり、あまりの心地よさにうつらうつらしているとあいつが来た。オレの体をじっくり眺めまわして、あいつは言った。
「綺麗にしてたら、かっこいいのに」
うるせえよ。乳くさいガキに褒められても嬉しくもなんとも――なくはないが、年がいなく照れて素っ気ない態度になってしまう。
その後はなぜかあいつの愚痴を延々と聞かされたり、生まれてはじめて食べるものばかりの昼飯を食わせてもらったり、広い庭を二人で歩いたり、オレの人生で一番幸せな時間だった。一生忘れることはないだろう。
だけれども、オレは気付いていた。ずっと笑顔のあいつが、時々顔を曇らせるのに。その理由をオレは知っている。
オレとあいつの奇妙な付き合いは二週間ほど続いた。臭いと言われ、黒塗りの車に乗せられ、体を洗われ、あいつの笑顔を眺める。戸惑いにも慣れて、オレの中ではすでに当たり前となっていた。それでも別れはいつだって唐突だ。オレは身をもって知っていたはずだった。平穏な日常は存在しないのだと。
あいつは歩いていた。数人の野郎に囲まれながら。野郎どもがあいつと同じ学校でないのはすぐにわかった。あいつが誰と一緒にいようがオレには関係のないことだ。だが、あいつは悲しそうだった。
茂みの奥に隠れていても、会話ははっきりと聞こえる。
「じゃ、今日も頼むよ」
「――いくら?」
「五千ずつでいんじゃね?」
「四人だから二万だな」
「――はい」
「ほんと、金は腐るほど持ってんだな。友達はいねーのに」
「ありがとな。明日も金、財布にいれとけよ」
茂みから出てきたのは野郎どもだけ。下卑た笑い声をあげながら野郎どもは去っていく。そして、奴らがこぼした言葉を、オレの耳は拾ってしまう。
「女子校通いのお嬢様が野良犬にご執心とか、まじありえねー」
「ほんとそれ、イメージ崩れるわ」
「金持ちの考えることはパンピーには理解できんよ」
「てか、保健所に知らせるぞって脅すだけで五千? ちょろっ」
「どんだけだよ、まじで」
「搾り取ったあとにでも、目の前で通報してやろうぜ」
「おまえクズだわぁ」
耳を塞いでも聞こえてしまう現実。聞きたくない。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。黙れ。
――それ以上を言わないでくれ。
「野良犬なんかに構ったせいで人生壊れるなんて、ほんとバカ」
「その犬に感謝しとかないとな」
『さんざ稼がせてもらって、ありがとうございました』
オレの理性は本能に支配された。
これはケンカではない。狩りだ。よって、容赦なく急所から狙う。
牙を剥き、唸り、地を蹴る。
まずは一人目、喉笛に噛み付く。誰も状況を理解できていないようだ。オレの殺気にすら気付いていなかったのだ、仕方がない。
二人目、顔を引っ掻き、三人目、脇腹に喰らい付く。最後の一人がようやく闘争心をあらわにした。
四人目、振り下ろされる拳をかわし、腕に牙を立てる。浅かったために振り払われるも、オレにダメージはない。
再び跳ね、全体重をのせてぶつかる。野郎は呆気なく転んだ。無防備な喉笛が牙に触れ、そして――。
「何、してるの……?」
あいつが見ていた。理性が少し戻ってしまった、それがオレの失敗だった。
顔をおさえてうずくまっていた野郎が、ナイフをあいつの首に当てていた。
「オイ、クソ犬。そいつから離れろ。お嬢様が殺されたくなかったら、そこをどけ。言葉わかんなくてもわかんだろ? さっさとしろよ!」
あいつが見ている。
オレは、何も返せていない。何も返せない。オレにできることは……。
「何突っ立ってんだよ! 言うこと聞けよクソがっ」
ナイフがオレに向いた瞬間を、オレは見逃さなかった。
あいつが邪魔で、急所どころか噛み付けるのは腕しかない。それでも危険だ。さっきのように浅ければ、ナイフはあいつを刺すだろう。だからオレは、ナイフを狙った。あいつに絶対に傷を付けずに済む、オレにとって最善な選択肢。
痛みは一瞬だった。
サイレンが鳴っている。警察か、救急車か。どっちでもいいから黙ってくれよ。あいつの声が聴こえない……。血の臭いが鼻をおかしくしているせいで、あいつの匂いもわからない……。
泣くなよ……、おまえが悲しまないように、オレが代わりになっただけじゃないか。笑って見送ってくれよ。おまえが笑ってくれるならそれだけでいいんだ。なのによう、どうして泣かせてるんだよ……。泣いてくれるんだよ……。
もしも言葉を話せたら、その手を握れたら、涙をぬぐってやれたなら――。友達でもいい。ただずっと、おまえの隣にいたかった。
もしも神というものがいるのなら、生まれ変わることができるなら――。どうかオレを人間にして、あいつのそばにいさせてほしい。
その願いが叶うというのなら、オレは他には何も望まない。おまえを独りにしてしまって、別れに立ち会わせてしまって、ごめん。そして、短い間だったが楽しかった。
ありがとう。
こんにちは、白木 一です。
短編です。
歪な恋愛を書こうと思ったら、こんな話になりました。
私の作品、思い返せば鬱々とした内容が多い気がします……。
ハッピーエンドで終わらせると宣言しているモミジでさえも、途中途中にはそういう展開もありますし。
心が病んでるのですね、私。
こんな疲れ気味の私と私の作品への応援、どうかよろしくお願いいたします。
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