えにし屋へようこそ
もう一本、缶ビールが飲みたくなったので、ケイスケは冷蔵庫に手を伸ばす。大抵、缶飲料が入っているときは、がらん、という音がするのだが、思い切り明けた冷蔵庫の扉は、かるく開いて猛烈な勢いでケイスケの頭にぶつかった。
「いてっ……」
冷蔵庫の扉というものは意外に痛いことを体感してから、仕方なく、空っぽの冷蔵庫の扉を閉める。
どうするか、ケイスケの頭の中でいろいろな考えが巡り巡った。 今日は、訳の分からない嫌な客が来て、意味も無く、強気な態度で彼にいちゃもんをつけてきたことが、妙に思い出される。
「コンビニバイトだからって、バカにしやがって」
そういって、空の缶ビールを蹴ってみても、虚しいだけだった。そうだ、やはりもう一本飲もう。でなければ気持ちが収まらない。ケイスケはズボンの後ろポケットに長財布を突っ込んで、ジャンパーを羽織り、夜の街へ繰り出した。
二月の空は立春が来たとはいえ、まだまだ寒い。ケイスケは、近くのコンビニまで、ぶらぶらと歩いて行った。良いことなど何もない。酒臭い息で、息を吐いてみる。自分の酒臭さが分からない。何を馬鹿なことをしているのだと自分自身で失笑してから、ケイスケは、コンビニまでの道のりをゆっくり歩いた。
そのとき、ある物が目に入った。
赤い提灯で、「えにし屋」とある。
焼き鳥屋だろうか。ケイスケは怪訝そうに眉根を寄せた。そうして、こんな店など近くにあったのだろうかと、近寄ってみる。いつの間に出来たのだろう。
夜闇のなかに、赤い提灯だけがぼんやりと明るい。客はいないようだった。焼き鳥のにおいももちろんしない。何の店だろう、そう思ってうろうろしていると、唐突に扉が開いた。
目の前に、女性がいた。
ああ、やっぱり小料理屋か。割烹着は着ていないものの、和服姿の女性を見て、ケイスケはそう思った。
「いらっしゃいませ」
女性がやわらかくほほえんだ。
ちょうどいいや、手持ちはあまりないけれどここで飲むか、ケイスケが女性に誘われるままに店にはいると、しかし、彼の足はそこで止まった。
小料理屋なんかではなかった。
店一面にがらくたが射的場のように並べられている。
「これは……」
「ここは、えにし屋といいまして、あなたのお役に立てる物を売っているところです」
だが、並べられている物といったら、空き缶、料理用のボウル、マドラー、ティッシュの空箱、布のきれはし、ぼろぼろのぬいぐるみなのである。
ケイスケは、女性がどうかしていると思った。
「とても、役になんかたちそーにないけど」
「立ちますよ、それに、お値段もお安いです。みんなご縁均一」
五円、ということだろうか。
「そんなんで、あんたどうやって商売成り立ってんの」
「昼は古本屋をやってます」
「ああ、そういえば、そういう店もあったな」
ケイスケはひとつ疑問に思っていたことをぶつけた。
「でも、こんな店あったかな」
「気まぐれで開店しておりますの」
うふふ、と女性は笑った。よく笑う女性だ。
「……おれは、いらないけど」
「まあ、正直なお方」
そうおっしゃらずに、そう言って、女性は、カウンターの奥に行って、それから、空き缶をひとつもってやってきた。「のんある気分」と書いてある。
ケイスケはあきれた。
「おれが欲しいのはノンアルコールでもなくて、空き缶でもないの!」
女性は、その剣幕に、一瞬目をまあるくしたが、やがて、すぐに両ほほにえくぼをつくった。
「そうおっしゃらずに。あなたと、私の、ご縁がありますように」
そう言われて、暖かくて柔らかいてのひらに握られるとケイスケは何も言えなかった。そのてのひらにはばっちり「のんある気分」が収まっている。
「ありがとうございました」
そう言って、女性が見送ってくれた。
ケイスケは、何やってるんだ、自分、と天を仰ぎたい気持ちになった。そうして、実際天を仰いだ。まるくて、しろい月が浮かんでいる。さっきの女性みたいだ、と、なんとなく思う。
その月を追いかけながら歩いていると、むこうから走ってきた人とぶつかった。
「きゃっ」
「わっ」
それは、若い女性だった。エプロンをしていて、なぜか片手にビールを持っている。電柱の蛍光灯の下でわかる情報は彼女は先ほどの「えにし屋」の女性よりははるかに小さくて華奢な子だった。
「大丈夫ですか?」
ケイスケが尻餅をついた女性に手をさしのべる。
女性は、ビール缶を持ったままうろうろしている。
そうして、ケイスケの持っている「のんある気分」を一目見て、
「それ、ください!」
「は?」
「それ、ください」
「いいけど、これ、空ですよ」
「いいんです、お願い、なんならこのビールと交換で!」
そう言って、女性はぐいとビールを押しつけてくる。そのビールの冷え具合が妙に気になりながらも、ただ酒がもらえるチャンスをケイスケは逃さなかった。
「いいっすよ、こんなもんでよければ」
「あ、ありがとうございます!」
ぴょこん、とおかっぱ頭が上下した。そうして、彼女は、「のんある気分」を手に元来た道を走っていった。
残されたケイスケはきょとんとしていたが、うすく笑って、プルタブを開けた。プシュッといういい音が夜の闇に小気味よく響いた。
ナナコが「のんある気分」を手に、そっと家に戻ってくると、旦那のショウタが、家にいた。ショウタは、酒類を一切口にしない。
「で、さっき持って行ったものなんだったの? 禁酒するって言ったよね」
ショウタが玄関で仁王立ちしている。
「違うよお。これだよ? 「のんある気分」」
そういって、ナナコがのんある気分を得意げにかざして見せた。
「ふうん」
ショウタは厳しい視線をくれたがそれ以上追求することはなかった。
今日は、ショウタに隠れてビールを飲むつもりだったナナコは、いつもは夜中に帰ってくるくせに、連絡もなしに急に帰ってきたショウタにびっくりして、ビールだけをエプロンに隠して、外に出たのだった。そのまま捨てるというのも考えたが、「なにか」を持って出たのはばれている。ナナコが泣きそうな気持ちで、空き缶置き場へ暗い中ノンアルコールの缶を探すしかないと考えていたところに、ケイスケと出会ったのだった。
月は、相変わらず出ている。
「変な人だったなあ」
事情をしらないケイスケは、のんびり月を見上げながら、ゆっくりとビールを喉に流し込んだのだった。
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(当方純文学志望です)
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