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バイトだよ!

意外と読まれていたみたいですね。

ありがとうございます。

 久しぶりの緊張感から早く抜け出したいと思っていた矢先、黒い身なりの愛想の良い大学生くらいのお嬢ちゃん、流美さんがキメ顔で、あーちゃんに出番を告げた。


「はい、Skyairさん、出番ですw。頑張ってくださいね!」


 隣のゆるキャラは、フンフンと鼻歌を歌いながら、楽譜を見返している。

 あんな短時間に、サビの所の微妙なテンポまでついていけるなんて、ほんまもんのお嬢なんだろうな。


 小さな頃からピアノを弾いていたとは、納得せざるを得ない程の指使い。軽くキーボードの上に置かれた指先は間違いの一つもなく滑らかに黒と白の鍵盤の上を華麗な仕草で往復している。

 新曲が出るたびに鬼のように練習をしていた俺の心に一発KOに近い衝撃を与えてくれた。


 暗がりの中、ささっと自分の持ち場に着いて、軽く音を出すと、ドラムの合図で俺のギターから演奏が始まる。『ココなが居ないと知るとお客が悲しむだろうな……』と考えながら歌い出すと、スポットライトが頭上に当たり、ザワザワしていた客達も僕を視認して口笛を吹いたり、大声で名前を呼んだりで、歓迎してくれている事が伝わってくる。


 ……やっぱり、嬉しいよな。

 ここが、俺の居場所だったんだからな。


 あーちゃんがココなを連れてくるまでは、俺が一人でボーカルしていた。だから徐々に嬉しさが込み上がってきた。


『ああ、俺はやっぱりこの歓声が大好きだったんだ』


 久しぶりに一人で歌うと実感する。

 ココなと二人でボーカルをするようになってからは、だいたい後ろに控えて、サブに徹していたが、なにか違うとずっと思っていた。今更だけど、この気持ちが原因だったということか。ココなには悪いが今日だけは楽しもう。


 こんなに前面に出るなんて、久しぶり過ぎる感覚に全身に鳥肌ができて、なんだか総毛立つみたいだ。


 とりあえず一曲目の定番を終えると、MCなしで次の曲が始まった。


 ……俺の口下手をちゃんと考えているんだろうな。ゆるキャラちゃんは大丈夫かな?

 バックステップして、ちらりと視線の端に捉えた姿は、この雰囲気に気圧されず、逆にノリにノっているように見えた。なんで、そんな余裕があるんだろうか?


 少し短めの五曲で終わりとなった。MCなしはやはりキツい、すぐに舞台裏に逃げ込むも、アンコールって嬉しい声が鳴りやまない。

 流美さんから受け取ったペットボトルの水をがぶ飲みして、あーちゃんからタオルを奪い、汗を拭いながらも、俺の視線はゆるキャラを追っていた。


 ……あれ、どこに行った? 

 さっきまでは居たんだが?


「流美さん、ボードの子を知らない?」


「えっと、あれ? いないわね」


 ステージの裏方を仕切る流美に聞いたが、所在不明なようだ。


「ジュン、お前のお目当ては、ここにいるぜ」


 えっ、どこだ?

 あーちゃんが指で下を示す。

 そこにはタオルを握って、ブルブル震えているゆるキャラねーちゃんがいた。


 あのノリノリな人は何処に行ったのだろうか?

 あーあ、めんどくさい。だけど仕方ない。


「おい、ジュン。お前、クリハトやってこい」

「ええっ、あれっ? 俺に女になれと?」


「仕方ないだろう。あれはインストいらないし、それにホントはお前の持ち歌なんだと見せつけてこい。そのあとは、ムンブルで終わるぞ!」

「いや、それは待って……、クリハトはココなの歌だし、ムンブルはキーボード無しじゃ無理だ」


 俺は足下にブルっているゆるキャラねーちゃんを見ながら駄目出しするが、あーちゃんは譲らない。


「ジュン、お前がクリハトを歌う間に、この子は必ず復活させる。だから行け!バイト代に打ち上げ代も含めるし…」

「えっ、なら仕方ない。まるとりだよね? 絶対だよ!」

「わかった。まるとりオッケー!だから行けっ!」



 ああっ、緊張するー!

 なんで弾き語りなんて引き受けたんだろう。

 大好物の焼き鳥が食べたいだけで、少し譲歩し過ぎたかも知れない。

 ココなの高音からハスキーボイスに変わる所がこの歌の醍醐味なのに、俺が歌うと……パンチが足りない。

 俺の声は優し過ぎるのだ。

 確かに俺の持ち歌だし、一番好きな歌だけど、これをココなが歌って俺たちはメジャーになった。

 だからこの歌だけは、ココなの歌という印象が強い。

 コアなファンに嫌われるなんて事は出来ない。


 さて、どう歌おうか?

 ギターを片手に目を瞑る。

 まだ音が出ないステージに人影が微かに見えてもザワつきだけしか起こらない。

 要は、どんな歌かが大事なわけで、アンコールには人気ある歌か、サプライズな歌が大切だということだ。


 ちらっと楽屋を見ると、あーちゃんとつむりんがあんちょこを手にしてサムズアップしていた。


『以前のとおりでやれっ!』


 ああっ、そうか、あーちゃん達は俺の歌っているところを何度も知っていたんだ。

 この歌は、母親が亡くなった夜に書いた曲だったから、楽屋に待機している時によく口ずさんでいたんだ。


 あーちゃんとつむりんがいいなら、俺なりに歌おう。


 ☆

 クリハト…クリスタルハーツとムンブル…ムーンライトブルーの二曲を熱唱した。


 やっと終わった。疲れた。

 もうダメだ。

 スローな曲からアップテンポの曲に移って、頭は酸欠状態だった。歌い終わるといつものように、あーちゃんが俺を担いで控室に帰って来た。


「さっ、さ……」

「えっ、瞬君 なに?」

「さ、さっ、……はぁ」

「はい、お嬢さんはどいてくれる。ほら、ジュン」


 手渡されたボンベを口にあて、スースーと何度か息を吸うと頭のぼんやり感がゆっくり薄らいだ。

 ぐっと楽になる。あーちゃん、サンキュ!


 ソファーに横になったまま頭を二、三回横に振って、慎重に起き上がると、目の前にゆるキャラねーちゃんが心配そうに俺のことを見ていた。


「あの、ゆるキャラねーちゃん。もう大丈夫だし、今日のライブ、ありがと」

「……ゆるキャラじゃないし、ライブはもう無理です。あーちゃんさん、私はそろそろ帰ります」


 俺を心配しているのかと思っていたが、もう自分を取り戻したみたいです。毅然とした態度はお嬢のそれになっている。


「おっ、ごめんごめん。お疲れさま、すっごく助かった。このお礼は、約束どおり必ずジュンがするから、気をつけて帰るんだよ」

「……あーちゃん、なにを俺に了解も得ず勝手に約束してんの?」

「あっ、ごめんな。でも、これはお前にもいい話だと思うよ。だから、あきらめろ。さあ、打ち上げに行こう」

「……っと、あーちゃんには負けるよ。じゃあ、ねーちゃんは気をつけてね。バイバイ」


 軽く手を振って控室を後にした直後、またも俺の左手が引っ張られた。


「し、瞬君は、これからどうするの?」

「いや、もちろん打ち上げに参加でしょう」


「ええっ、今は零時過ぎているんだよ。もう良い子は寝てます」

「そっ、そうか、良い子はねっ! 俺は悪い子だから気にすんな。じゃあ、良い子のねーちゃんは早く帰ってねんねしなよ」

「えええっ、そんな、あなた一人にさせられないでしょう。仮にも私はあなたよりお姉さんなんですから」

「いや、あんたは、俺の姉でも母でもらまして妹でもない。赤の他人だ。ということで、サヨナラ。お疲れでした」


「な、な、ならっ、あたしも行きます。その打ち上げに参加させてください」

「……まあ、俺らは構わないけどな。お嬢のお家から許可が出るならば。出なければお帰りなさい」


 ゆるキャラねーちゃんの顔は決意に満ちている。

 なぜ、そんなに俺に構いたがるのか?

 夜中に遊ぶなんて、リスク以外に得るものはない。

 ホントに馬鹿なのか?


 ボソボソとスマホで話す整った横顔を見ながら、俺の方が心配になってきた。


「あの、あーちゃんさん。おばあちゃんがお話ししたいらしいので、少し代わって頂けませんか?」

「んっ、まあいいけど……、俺が怒られるのか?」


 しばらく見ていたが、あーちゃんはしきりと頭を下げていて、まるで営業マンのような電話だった。


「怒られたのか?」

「いや、違う。お願いされた。お嬢をよろしくとのことだ」


 ええっ、そんなことあるのかよ?

 どんな親、いや、おばあちゃんなのか?

 年頃の娘を夜中に遊ばせるなんて正気じゃない。


「あーちゃん、ごめん。俺、こいつを送ってくる。

 打ち上げはパス、また呼んでくれよ」

「ああ、それがいい。ジュン、頼む」


「ええええーっ、そんな、せっかくおばあちゃんはOKだったのに……」

「あのな、みんなが楽しく呑むのに、お前の心配しながらなんて楽しい訳がないだろう。少しは空気読めよ」


 俺は表通りに出ると、すぐに来たタクシーを止めて、嫌がるゆるキャラねーちゃんを無理矢理押し込んで車を発進してもらった。


 あとから、あーちゃんからメールが届いて、ココなが合流したことを知り、もう二度とこのねーちゃんとは関わらないようにしようと固く決心した。


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