ハンドクリームを塗る話
マグカップに珈琲を入れて、リビングに向かえば、ソファーに深く沈み込んで、雑誌を見つめる彼がいた。
珈琲、と言えば顔を上げて、有難う、と白い方のマグカップを受け取る。
色違いのマグカップだが、私が黒で彼が白、と本来彼氏彼女で使う色合いとしては逆になっているのだ。
「何見てたの?」
よいしょ、と三人掛けの少し大きめのソファーの右側に沈む私。
右半分が私で、左半分が彼――最早定位置だ。
その定位置に座れば、彼は持っていた雑誌を私の膝の上に置く。
あぁ、ゲーム雑誌ですか。
かくん、と首が下に傾く。
別にオシャレなファッション雑誌とかを読んで欲しいわけでもないが、私としてはそんなにゲームに詳しくないので良く分からない。
「楽しい?新しいの買うの?」
「うん。ちょっと欲しいのあった」
雑誌を彼に手渡しながら話していたが、パチリ、小さな衝撃。
驚いて雑誌から手を離してしまい、二人の間に落ちてしまった。
今のは、と彼をみれば「静電気だな」と一言。
もう春になるというのに、どうにも乾燥していて、稀に襲い掛かるそれに眉を寄せる。
ごめんね、と雑誌を拾い上げれば、彼はそれを受け取ることなく、コトリ、音を立ててマグカップを目の前のテーブルの上に置く。
立ち上がる湯気を見れば、ちょっと待ってて、と言って、何故か寝室へ。
雑誌とマグカップを持ったまま、瞬きをして、私はゆっくりと雑誌をソファーの上に置く。
どうしたんだろ、珈琲を啜りながら首を傾けていると、ぺたぺた、フローリングを踏みしめて戻って来る彼。
その手には何か握られている。
「はい。手、出して」
ゆっくりとソファーの左半分側に腰を下ろした彼は、片手を私の方へと差し出す。
もう片方の手に握られているのは、青いパッケージのハンドクリーム。
そのメーカーなら、私も知ってる。
雑誌を挟んで向かい合った私と彼。
取り敢えず、えーっと、なんて言いながらもマグカップをテーブルの上に置く。
そうしたら、間にあった雑誌が床に投げ捨てられて、彼が距離を詰める。
読んでた雑誌、そんな風にしていいのかな。
「駄目だろ。家事もしてるんだし、ちゃんとクリームくらい塗っておかなきゃ」
そりゃあ静電気も起きるわ、とくつくつ笑う彼。
それ愛用品ですか、私よりも女子力あるんじゃないですか、辛い。
最早手入れなんて諦めていて、ハンドクリームを持っていない私からしたら、何だかショックだ。
そんな私の心中を知ってか知らずか、差し出した手を掴んだ彼は、私の手の平に、にゅるにゅると大量にハンドクリームを捻り出す。
予想外の出来事に、ちょっ、ちょっ、と声を上げた。
「どうした?」
「え、いや、え?どうした、じゃなくてさ……こういうのって普通、パール一個分とか、そういうんじゃないの?ベタベタになるよ?」
もう既に出されているからどうしようもない気がするが、そう告げると、彼は目を瞬いてゆっくりと首を傾けた。
変なこと言うなぁ、みたいな顔をしている。
「人差し指の第一関節分くらいが、丁度いい分量なんだよ」
つぅ、と軽くその人差し指の第一関節を撫でられる。
知らなかった、と目を丸めれば、満足そうに頷く彼。
本当になんでそんなに女子力高そうなことを言えてしまうのか、知っているのか。
短い息を吐きながら感心していると、そっと手が重ねられて、クリームを広げられる。
体温で溶かしながら塗るのがいいんだよ、と手の甲から、指先にクリームを広げて指の一本一本、丁寧にマッサージをしてくれた。
親指から小指まで、根元から爪の先までちょっと引っ張るようにして、クリームが浸透していく。
左手が終わったら右手、とまた同じ容量で、クリームが乗せられて広げられる。
時折、彼の爪が私の肌に当たったり、ぎゅっ、と手の平を握られた。
何て言うか、変な気分になるというか、そわそわする。
「はい、いいよ」
するりと手の甲を一撫でされて、終了を告げられた。
あ、終わった?私の言葉に頷いて、ハンドクリームをテーブルに置き、代わりにマグカップを持つ彼。
ほんの少し湯気が立っていて、小さく揺れる。
「……なんか、えっちだった」
指と指が絡められて、体温で溶けたクリームが肌の上を滑る感覚を思い出して、ぞわぞわした。
眉を寄せれば、そんな私を見て彼が笑う。
今度は大きく湯気が揺れて「ご要望とあればいつでもやるから」と、なんか少し違うお言葉を頂いた。
……何にせよ、私の両手は潤ったようだ。