第20話 ゴットフリートと寄宿舎
三章、開始です。
朝日が立ち上り、小鳥達のさえずりが聞こえる。空は晴れていて、雲一つ存在はしない。道の所々には雪が被さっていて、太陽の光でチラチラと反射する。
ゲッツが屋敷の門を出ると、さくっという雪独特の子気味良い音が聞こえる。
「ゲッツ。寄宿舎でも頑張ってらっしゃい」
「うん、母上。いってきます」
ゲッツはそう言うと馬車に乗り込む。窓から見えるアポローニアは少し寂しげな様子だったが、この5年で彼女の精神は安定している。ゲッツは最初彼女と会った日の事を思い浮かべるのであった。
あれから時が経つのは早いもので、ゲッツが転生してから既に10年になっていた。そして1月になるこの日は、待ちわびた寄宿舎の初日の日である。
寄宿舎では今まで学ぶことが出来なかった魔法を学ぶ事が出来るほか、その応用の学問や魔法動物学などの立派な学問まで学ぶ事ができるのである。
「ゲッツ。別れは済ませたのか?」
「ゲッツはママッ子だよね」
そう言ってくるのは、ゲッツの向かいに座る兄の双子、ルドルフとフリードリヒであった。2人とも今や19歳になり、既に寄宿舎を卒業してそれぞれ幼年軍事学校生と、魔法大学生になっている。
「そういえば、2人ってまだ始まらないよね」
「ん? ああ、ゲッツの入学にあわせて行こうと思ってな」
「僕たちは別に寮生活じゃないからね。まぁ、僕は論文の作成で忙しいんだけど」
「俺もだよ! 今日から、実地カリキュラムが始まりやがる」
とりあえず2人とも忙しそうである。
恒例になった2人の言い争いを眺めつつ、ゲッツはもう一人の兄弟を思い浮かべる。兄弟ではなく年上の姪だったが。
(クリスタ姉さんも、忙しそうだしな)
実はゲッツは8歳になった時に一旦ペーベルに戻っていた。その時に何年ぶりかのクリスタと再会したのであった。当時14歳だった彼女はとてつもない程の美人だった事を覚えている。煩いのは変わらなかったが。
そんな彼女は現在寄宿舎を卒業し、1年の余暇期間中だ。この期間中も彼女は寄宿予備学校に通っているらしい。
「そういえばクリスタの奴、後輩にファンが多すぎてペーベルとレトゲンブルク邸に大量の手紙が届いているらしいぜ」
「まぁ、数々の大会で優勝したり、学会で認められたり、王太子殿下の家庭教師になったりと数々の伝説を作りましたからね」
「くそぉ、目立ちやがって! 俺たちの学校でも噂がたえねぇんだ」
「僕たちは彼女の叔父ですからね。僕も女の子から手紙がきたと思ったら、クリスタ宛だったことなんてたくさんあるからね」
(それは…つれぇ)
ゲッツはこの双子に同情すると同時に、この先の寄宿舎生活が億劫になって来た。ゲッツも例外ではなさそうである。
「ゲッツはもっとかわいそうだぜ。直接クリスタ病患者の発信源に赴くんだからな」
「ゲッツに深い哀悼の意を…」
「って兄上達! シャレになってねーから!」
馬車は12番街に入った。寄宿舎はここから、北へずっと行った所の24番街を、もっと北に行った所にある。郊外と言ってもかなり遠い。
「じゃあ、ゲッツ僕たちはここで…」
「くれぐれも、クリスタ病患者には気をつけろよ。平民でさえ、かかっている奴は多いみたいだから」
「ううっ……兄上達も…」
ゲッツと双子は12番街で別れた。彼らの学舎はここから少し行った10番街にあるようだ。ゲッツは双子と一緒に降りて、見送る。
「ゴットフリート様、早くお乗りください。12番街は治安が悪うございます」
「う、うん。わかったよ」
ゲッツは御者に押され、再び馬車に乗った。彼が言った通り、ここ12番街は治安が悪そうである。なぜならここはローゼンブルク市最大のスラムがある市街。貧困層も多く住んでいる。
ルドルフとフリードリヒが降りた所はまだ比較的安全地帯だが、あまり長くいたい所ではない。
「やっぱこんな所もあるんだな…」
徘徊しながら花を売る貧しい子供達を見て、ゲッツは今までこの世界の綺麗な所しか見ていなかった事に気づいた。
「なにか力になれればな…」
ゲッツは最近になってようやく自分を守る事が出来るようになったばかりである。無論、自分さえ危ういのに他人を守れる訳がない。ゲッツにはそれが、じれったくて仕様がなかった。
ーーーー
馬車はあれから数時間かけて移動し、寄宿舎付近の町に到着した。町の名はダッハツィーゲル。雪を被った瓦屋根が特徴的な町である。時間は昼間になっており、周りのカフェやレストランは繁盛している。
「ここから、どうすんだっけ?」
ゲッツは側を通過する通行人にぶつからないように手紙を広げる。
「えっと……、まずはここから少し行った所にある寄宿舎の学園長の執務室に挨拶に行く感じか。っとその前にお腹好いたな」
ゲッツは町で軽食を済ませると、寄宿舎行きの乗り合い馬車に乗った。中も待合室も寄宿舎の制服を着た生徒で一杯である。稀にゲッツと同じ様な新入生がいた。
「きみ、新入生?」
乗り合い馬車で隣に座った男の子がゲッツにそう尋ねる。茶髪で人懐っこそうな顔をしている。みたところ制服を着ている為、上級生なのだろう。
「うん。僕はゴットフリート。君は?」
「俺はジークフリート。ふっ、偶然かな? 名前に同じフレーズが入っているね」
ジークフリートはそう言うと自己紹介を始める。
「俺は寄宿舎の3年生なんだ。でも、気軽にシグと呼んで」
「分かった、よろしくシグ。じゃあ、僕はゲッツで」
「ゲッツ。よろしくな。何かの縁だ、何かわからない事があったら言ってくれよ」
ジークフリートはそう言うと、とびきりの笑顔で親指を立てた。
ゲッツは最初クリスタ病患者かと警戒してしまっていたが、彼女とゲッツはあんまり似ていない。気づくはずがないだろう。
(それに、いい人そうだ)
ゲッツはそのままジークフリートに付いて行き、寄宿舎の大きな門前にたどり着く。暗い緑色のそれは、この寄宿舎の歴史の長さを物語る。
この学舎は一つの城塞都市の様である。様々な中世風の建物が立ち並ぶ。これ全部が学園寮なのだろうか、制服を着た生徒達がゾロゾロと出てくる。奥には本当の城の様な石造りの建物まである。
「それじゃ、またどこかで会えると言いな。学園長のいる、中央棟はここからまっすぐ言った所の城の中にあるよ」
「シグ。ありがとね」
「ああ。また見かけたら、よろしく頼むな。学園長への挨拶は夕方までだったはずだから急げよ」
そういうとジークフリートは手を振りながら、足早に去って行く。
「さて、と。あの城の中だな」
ゲッツはそう、独り言を言うと一歩一歩石畳を踏みしめるように向かった。
城には大きな扉がついており、周りには様々な塔がそびえ立つ。内一つは時計塔であり、某英国の某時計塔を思い浮かばせる。
装飾のついたその豪華な内装は、ここが一国の王の城だと言っても過言ではない程である。ただ、制服を着た学生達がいることでその雰囲気はがらりと変わる。
初めて一人で大きな場所に来たので、ゲッツは早速迷う事になるのであった。ちなみにイルマはゲッツが寄宿舎に入る前にペーベルに戻った。彼女もさすがにペーベル守衛の仕事を何年も放棄する訳にはいかなかったのである。
「すみません」
「はい。なんでしょうか?」
ゲッツは心を決めて、近くにいたメイドに道を尋ねる。ゲッツは迷子であるのだからこの際仕方がない。
「学園長室はどこでしょうか?」
「はい。ここから右の方に【魔導昇降機】があるので、それをお乗りください。その8階に学園長室はございます」
彼女はオフィスの受付嬢かのように淡々と、場所を告げる。彼女が指を指した方向には確かに人だかりができている。
「【魔導昇降機】?」
「はい。新入生の方は毎回驚かれるのですが、自動で上の階にたどり着く事が出来るものなのです」
「あー。エレベーターのことか」
ゲッツが一人で納得していると、そのメイドは何を言っているのかわからない、といった様子でゲッツに聞いてくる。
「え、えれべー?」
「ああ、いいよ。分かったから」
ゲッツは頭をかきながらそう答える。
ここは異世界である事を半ば忘れていた。ゲッツは自分の迂闊さに苦笑する。
先ほどのメイドにお礼を言って、【魔導昇降機】の前に立った。横には三角のボタンが備え付けられていて、エレベーターそのものである。ただし装飾が付けられている重厚感のあるドアは、前世でよく見る左右にスライドするものではなく、ドアノブがある高級な扉であった。
一見、エレベーターには見えない。会議室のドアのようだ。
まるで、この先に魔王でもいるようでもある。ゲッツは内心呟く。
しばらくすると扉の上のランプが輝き、ドアがカチャリと音が鳴る。
「そこの新入生。なにぼさっと立ってやがる。早く入れよ」
ゲッツがどうしたものか、と思案していると、後ろに並んでいた上級生がそう言いながらゲッツの肩を叩く。その男は制服の上にローブを着ていた。その丸刈りで凄みの入ったひげ面はどう見ても10代には見えない。
「まぁ、マリク。新入生は毎回これを知らないのが常識だろ?」
そういって怒っている上級生をなだめているのは、これまたローブ姿の上級生だ。黒いローブに紅い縁取りがされている。
「むぅ。ちっ! しゃーねーな。おい新入生! そのドアを開けて中の部屋でいきたい階層を念じな。そうしたら行ける」
むくれた様子でマリクと呼ばれた上級生がゲッツに教える。意外と面倒見が良いのかもしれないが、彼は不機嫌である。
「ありがとう」
「ちっ! 早く行け!」
マリクは腕を組みながら、プイと横を向く。
「君、マリクは悪い奴じゃないんだ。だから、怖がらないであげてね」
マリクをなだめた男はゲッツにそう耳打ちした。
「あ、ああ」
ゲッツは曖昧な返事を返すと、ドアを開けて、【魔導昇降機】の中に入る。中はただの小さな小部屋で、ここだけ見ると普通のエレベーター内部である。
(え、っと。8階だったな。8階)
ゲッツがそう念じるとポーンと気の抜けた様な音がする。
「もう、ついたのか?」
ゲッツが恐る恐るドアを開けると、そこには赤い絨毯が真ん中に敷かれた部屋があった。その部屋はかなり広く、部屋全体はなんだか薄暗い。周りには長机や本棚が並んでおり、図書館の雰囲気を受ける。
ゲッツが本棚を縫うように奥へとすすむとやがて本棚は途切れ、その代わりに執務室に置いてありそうな長机が現れた。
机にはコーヒーの抽出器がコポコポと音を立てており、あちらこちらにかさ張る書類がまるで研究室の様でもあった。
「やあ。新入生かな? そこの少年」
「っ!」
いきなりその老人はゲッツの後ろから声をかけてきた。ゲッツは警戒して腰の短剣を触ろうとするが、無い。
「あ! 僕の短剣!」
「ほっほほほ。こんな危ないものを儂の前で使ってはいかんぞぃ」
老人は朗らかに笑みを浮かべると、目の前で短剣をくるりと回してゲッツに返す。
「さて、ようこそ。我が学びの園へ。世間では寄宿舎などと呼ばれておるが、それは略称。本当の名は『魔法および一般常識を学ぶ為の王立寄宿舎制学術園・ローゼンブルク校』。でもやっぱし長いから寄宿舎でいいかのう」
そのお茶目な老人は自身の長く携えた三つ編みのヒゲを、つかみながらゲッツに向けてウインクをした。




