第12話 ゴットフリートの都会デビューⅢ
その少女は今まで恵まれて育っていた。それもこれ以上ない限りに。周りと比べて大きく栄えた街の町長、現リーツ子爵の可愛い孫娘といったら彼女の事であった。
彼女の両親は彼女に何でも欲しい物を与えた。地位もその街では比較する物はなく、名誉は父親が元王国軍人で国王陛下に謁見した程だ。
金だって有り余る程あった為、この国で最新式の【魔導四輪車】という馬なし車を父親から買ってもらっていた。
なんと言っても『フォン・バッハシュタイン家』は他の雑多な貴族とは違って、あの北方大公としても名高い、ヴァルタースハウゼン家に連なる程だ。彼女の家はバッハシュタイン本家ではなかったため爵位こそ準男爵だったが、この一族の名前が入っているだけで大きく意味は異なった。
両親は彼女に出来る限りの愛情を尽くした。両親も見栄があったのだろう。彼らはヴァルタースハウゼン一族に流れる血は他の貴族とは違う事を強調した。
正確には既にヴァルタースハウゼン一族の血を引いている貴族など、たくさんいる。庶民や外国人だっているかもしれない。だがリーツ子爵の孫という血統書は、家系は彼ら貴族にとって非常に大切な物だったのだ。
「わ、私は……」
アンネリーゼは虚構の世界で生きていたのだ。地位や名誉や金という物は上を見たらキリがない。彼女は住んでいる街で一番の富豪であり名家だったが、この目の前にいる黒髪の少年はそれよりも上の家で生まれた。それだけなのだ。
最も、ゲッツ自体も虚構の中で生きてきたようなものだった事は彼女は知らないが。
ともかく、虚構の中でふんぞり返って生きてきたものは事実を覆されるとあっという間に崩壊する。
アンネリーゼは悔しさや怒り、自分のアイデンティティーの崩壊による混乱で、ないまぜになった。
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「たてるか?」
「う、うん……。で、でも」
ゲッツは未だに固まったままの縦巻きロールの横を通り過ぎ、地味な女の子に手を差し向ける。その女の子の方は本当に貴族社会の事は疎いらしく、遠慮がちながらもゲッツの手をとろうとする。
ゲッツとしても決してアンネリーゼに怒った訳ではない。まだ5歳児である様だし、それに実は貴族社会では地位がそれほどでもない家の方が過剰に地位や名誉を子供に植えつける傾向にあるのだ。
「わ、私は。私はバッハシュタイン家の……ぐす……シュタイン家の……う」
「う?」
「うえぇぇぇぇん!」
「わわわわ! 泣くなよ! おい!」
ゲッツはそこまでの事を言ったつもりはなかったが、どうやら彼女には大層こたえたらしい。知らず知らずのうちに彼女の虚構を容赦なく打ち砕いてしまったのだ。
ゲッツが周りの野次馬に目で助けを求めても、誰もが目をそらす。なんとしても彼女を落ち着かせなくてはならない。車掌が来て誤解をされてはたまった物じゃない。
「そ、そうだ! 親は? 君のお父様とお母様は、どこにいるんだい?」
ゲッツには彼女が先ほどからの面倒くさそうな嫌な奴から一転して、ただの泣きじゃくる幼女にしか見えなくなっていた。まるで迷子センターに来る子供のようだ。いじめられていたはずの地味な女の子もあたふたしている。
「ひっぐ……ぐす……ん、わがんない”」
彼女は大事なおめかしも衣装もめちゃくちゃになっていた。そう言えば、アイスクリームもまだスカートについたままだ。
ふと未だに隣にいた女の子も帰らせなくてはと気づく。アンネリーゼの両親は彼女よりも過剰階級主義者のはずだ。彼女がここにいる事自体が危ない。
「そうだ。君は彼女の両親が来る前に元の車両に戻って」
「え! でも……」
「いいから。このままここにいると君が危ない」
「う、うん。でも、でも、また会えるかな?」
彼女はそういうと、幼いながら頬を染めた。それは好感というものよりも彼女にとってゲッツが初めての友達という様な感じであったが。
ゲッツはそんな彼女の様子にあえて無視をして言葉を返した。
「わからないけど。きっとあえるさ。またね」
「う、うん。またね」
そういうと、女の子はようやく腰を上げて自分のいた車両に戻って行くのであった。
結局ゲッツはアンネリーゼと2人で廊下を歩いていた。彼女の両親を探す事にしたのだ。
その廊下は
当の彼女は先ほどまでの上から目線な態度から一変、幾分かしおらしくなってしまっていた。先ほどの威勢はなんだったんだとゲッツは思わざるをえない。
「わ、私。……ごめんなさい」
「まったく。謝るなら、あの子に謝りなよ。あの子も謝ったんだし」
「う、うん。でも、また会ってくれるかしら……」
「分からないけど、同じくらいの年だったし寄宿舎であうと思うよ。その時に謝ったら?」
「うん! そうするわ!」
ゲッツは明るくそう振る舞うアンネリーゼを見て、元々の彼女はそういう性格だったのかもしれないと感じた。ゲッツの実家とは格が違う事を知ったはずなのだが、別に媚びる様子もない。
ゲッツはアンネリーゼのそういう性格は嫌いではなかった。まだ5歳だから純粋であるのだろう。だから彼女の両親探しを手伝っているのだが。
「でも」
「うん? なんだよ」
「そう言えばゴットフリート様は私を笑ったわよね? なんでかしらね」
「う……。そ、それは……そう! た、ただの思い出し笑いさ」
「ほんとーに?」
「本当、本当」
「ふーん……」
「ほ、本当だってば!」
訂正。5歳は5歳でも女の子は強かのようだ、とゲッツは内心苦笑したのだった。
ゲッツがアンネリーゼの両親を見つけたのは昼が過ぎた頃だった。結局彼女の両親は食堂車付近でアンネリーゼを探していたという訳だった。
彼女は両親と食堂車でアイスクリームを買ってもらっていたようだが、食堂車の混雑で両親を見失ってしまった。不安になって家族の部屋へ行こうとしたところ、あの地味な女の子とぶつかってしまったのだ。
「パパ! ママ!」
彼女は自分の両親を見つけると一目散に走って行った。
「アンネ! 父上、母上と呼ぶように。はしたないわ」
彼女は母親に窘められながらも、必死にしがみついていた。あの高飛車な性格はこの母親が原因なのだろう。母親は淑女然としているが、どことなくゲッツを見る目に刺がある。
「ふむ。君はリーツ義父上の邸宅にいた……」
「はい、ゴットフリート・フォン・レトゲンブルクです」
アンネリーゼの父親はゲッツがリーツ邸にいた事を知っているらしい。あごに手を添えながら聞いてくる。
「ゴットフリート君か、いやゴットフリート様とおよびした方がいいかな?」
「いえ、君付けで結構です。僕は四男ですから跡は継げませんし」
「そうかね。ではゴットフリート君。私たちを捜してくれたこともそうだが、娘の性格を更正してくれた事も感謝しているよ」
彼はゲッツに向かってお辞儀した後、ウインクをしてそう言った。
「なにもしていませんよ。ただ自己紹介しただけですし」
ゲッツは目の前の紳士にそう言ったが、彼はお礼だと言って黒いコインを渡してくる。その大きさは500円玉ほどであり裏には何やら、銀の文字が書いてある。だがゲッツには読む事は出来なかった。
「これは?」
「古代ガーランド帝国で製造された代物らしいが、私が持っていても仕方がない。君が持っていた方がいいと私の勘がそう告げてね。最も、私の勘は良く外れるのだが」
彼らと別れた後ゲッツはドッと疲れてしまった。今まで何かのトラブルを解決した事なんてなかったからだ。ゲッツはポケットに入れたコインをいじくりながら、自分の部屋ーー113号室に足を向けるのだった。
何か忘れている様な気もしたが、ゲッツは疲れで何も考えられなくなっている。そう、何か本当の目的があったはずなのだ。
一方、113号室ーーーー
「ゴットフリート様。本当、遅いです……。も、もう持ちそうにありません……。い、いいですよね。ここで吐いてしまっても、誰も見てない訳だし。せ、せめて紙袋があれば……うっ!」
そこには明らかにゲロリそうな、メイド服残念完璧美女エルフ騎士がいたのだった。それが誰かは、そして彼女が次にどうなったのかは彼女の名誉の為に伏せておいた方がよいのかもしれない。
もちろん数分後にゲッツはその悲惨な現場に突入してしまうのだから、名誉も何もないのだが。




