第10話 ゴットフリートの都会デビューⅠ
結局その夜は被害はなく、後片付けは村の守衛達がやってくれた。ゲッツは先ほどのショッキングな現場を見てしまったためか、一切寝る事は出来なかったが。
夜明けになるとゲッツは眠れないベットから起きて、顔を洗って風呂に入った。この国では衛生面から大衆浴場があったが、宿屋ギルド支部の1等室には浴槽がついている。ゲッツはこちらに入って一人落ち着いた。
風呂から出ると、イルマが用意してくれたいつもの子供用の黒いベストの貴族服を着込む。ゲッツの心を安らげた紋章入りの小刀を腰に差す事も忘れない。イルマはすっかりゲッツのメイドである。
その後は他にやる事がなかった為、一人でチェスに興じていた。元ボッチには容易い事とは言え長くは持ちそうにないが。
(まあ、今日は早いらしいからいいか)
昨夜の襲撃は例の飛竜とは無関係だったため、この事は調査しなければならない。そのためゲッツ達の予定は変更することになった。
朝早くここを出発した後、出来るだけ早く目的地のリーツにつかなければならない。
ユリア達とゲッツはリーツで別れ、ユリアはリーツ子爵と面会する事になったのだ。そのためゲッツ達より先に、アーレ商会の部隊は出発している。
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朝食が終わるとようやく朝日が昇る。外に出ると、まだ春を感じさせない程寒い。
馬車に乗り込むとユリアはゲッツに謝ってきた。朝食はユリアと食べたが、食事中はその会話をしないでくれたらしい。窓からは村長をはじめ、村の守衛隊長や宿屋ギルド支部の支部長が見送っているのが見える。
「ゲッツ、ごめんなさいね。私達が討ち漏らした一体がそっちに向かったみたいね」
「うん。でもイルマの魔法でなんとかなったよ」
その答えを聞くとユリアは安心したように楽な姿勢になった。ユリアは昨日までの女冒険者の様なズボン姿から一転、貴族夫人が着る様な濃い赤のバッスルスタイルドレスを着て、髪も結っている。ペーベルにいた頃は緩いドレスを着用していたが、ゲッツにとってこのスタイルは初めて見る服だ。都会風なのだろうか。
「その服って、持って来ていたの?」
ゲッツはたまらず、ユリアにそう聞く。
「ええ、もう一つの荷台に入っているのよ。あの服は血でダメになっちゃったし、都会で田舎の服を着ていると笑われちゃうのよ」
昨夜の冒険者服を気に入っていたのか、苦笑いでそう返すユリアだったが、ゲッツには一つの疑問が生じる。
「じゃあ、僕も着ないといけないんじゃあ……」
「ゲッツはそのままでもいいわよ。普段から都会の貴族の子供の服を着させているんだから」
ユリアは普段から先の事まで考えていたらしい。今度はゲッツが安心する番だった。
でもね、とユリアは言葉を続ける。
「ゲッツの本当の難関は園遊会じゃなくて、あなたのお母様に会う時ね。多分、貴族らしく振る舞う特訓を仕込まれるわよ。もちろん、服もね」
俺の母親どんなヤベエ奴だよ、とゲッツは周りより目立つきらびやかな服装を着た自分を想像してみる。
……恥ずかしすぎて、ふちっこで縮こまっている将来しか見えない。逆に田舎者扱いされてしまうのではないかと不安になる。
しかもユリアが言うに、その日はゲッツの従兄弟でヴァルタースハウゼン一門の直系子息も参加するらしい。
それを聞いてからというものゲッツは今からでも帰りたくなっていたが、非情にもその時は刻一刻と迫って来ているのだった。
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日が暮れ始める少し前にゲッツ達一行はようやく駅がある街、リーツに到着した。
リーツは橙色の城壁に覆われており、夕日に染まる街並みは統一感があって美しい。街の中は石畳がひかれており、広い道路には馬車が行き交う道と歩道があった。家も高さが2階以上の建物が多く、ヨーロッパの街並みそっくりだ。
「すげぇ。ここがリーツって街かぁ」
ゲッツは前世では海外旅行という物を経験した事がない。そのため、こういった都会の西洋的な街並みに一種の憧れを抱くとともに、かなりの緊張を強いられた。
よく見ると、もう夜になろうというのに街灯や店先、公園などは明るくにぎやかな雰囲気を受けた。
行き交う人々はドレスを着込んだ女性や背広服のような服とシルクハットをかぶった男性でいっぱいだ。市民の多くが貴族のように着飾っている。
「さぁ、ゲッツ。私たちはリーツ子爵と話し合わないといけないから。今日はリーツ子爵邸の別邸で泊まってもいいらしいわ」
「イルマ達は?」
「別邸の守衛用の宿舎を貸してくれるそうよ」
「そうなんだ」
ゲッツはリーツ子爵が身分差別する貴族のたぐいでないことに関心を抱く。文明が進んだとしても悪徳貴族や奴隷制度はなくなっていない事を聞いていたからだ。
実はこれは後で知った事だが、リーツ子爵もゲッツ達と同じヴァルタースハウゼン一門の一人だったのだ。より正確に言えばゲッツの大叔父にあたるらしい。そのため子爵にとってゲッツは主家筋なので、歓迎こそすれ悪態などつきようもない。
「ようこそ、我が小さき屋敷へ」
リーツ邸は全体的に白い印象を受ける大理石のような石で出来た内装と、赤い色のながいカーペット、奥には綺麗な曲線を描いた階段がとても印象的の高級な屋敷であった。
リーツ子爵も恰幅がよく、この高級邸宅にあうような白髪まじりのナイスミドルだ。
「世話になりますね。リーツ卿」
「はい。ユリア殿の為ならば。ところでこちらのお子さんは?」
「義弟のゴットフリートですわ。さぁゲッツ挨拶して」
「ゴットフリート・フォン・レトゲンブルクです。よろしくお願いします」
幾分か上品な物言いをするユリアと、目の前のイケメンおじさんを見上げながらゲッツは返事をする。
「ほぉ。まだ小さいのに大変立派だ。それに、古き良き時代の名前を持っているな。神の平穏を願う名だ、大切にな。」
「は、はい」
その後いくつかユリアとリーツ子爵が言葉を交わした後、ゲッツ達は招待された別邸に向かう。
別邸は本邸とは違って、少し街の外側の土地が広い場所にある。なんでも本邸は市庁舎も兼ねており、別邸には普段リーツ子爵と家族が住んでいるみたいだ。ゲッツにはなんだかもったいない気がしたが、これが貴族という物であろう。ゲッツが異常なのだ。
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次の朝、ゲッツはまたいつも通りの貴族服に着替えるとリーツ別邸から外へ出てみる。リーツ別邸は高級住宅地のようで、周りの家は立派な門を備えたお屋敷だらけだ。むかいの家の外には見た事のない黒塗りで大きな車輪の車らしきものが置いてあった。
「あ、あれが車か? 俺が思っていたのとはちがうな」
思わず俺口調になってしまったため、ゲッツは周りに誰もいないことを再確認する。まだ5歳児だという事をたまに忘れてしまうのだ。
しかしその車は前世で見た様な現代的な形の物ではなかった。高級馬車の馬と御者台がないだけに見える。まだ初期型の車なのだろう。中まではよく見えない。
よく見るとちょうど今出発する時のようだ。背広服の男性が運転席にのってエンジンをかける。するとブルルルル、と威勢のいい独特なエンジン音と魔力の気配がした。しかしすぐにはエンジンがつかない。
ようやくエンジンがついたところでシルクハットの紳士とドレス姿の淑女、それに華美なドレスを纏った少女が乗り込むのが見えた。年は同じほどか。だが、少女は金髪のたて巻きロールという定番お嬢様だった。
「ぷっ。あ、あんな髪型っ、初めて実際に見たよ」
そのあまりにも典型的な髪型にゲッツは吹き出しそうになるが、なんとか押さえる事に成功した。
あぶないあぶない。ああいう輩はすぐつっかかってくるからな、とゲッツは自分も貴族だということを忘れて内心そう呟いた。
「ひゃぁー。あれは最新式のやつニャ」
「そうなんだ。って、カミラじゃないか!」
すると門の柵越しにカミラが見える。数日ぶりの再会なのだが、ゲッツには長い間あっていない旧友のように感じた。
「うん、久しぶり」
「ちょっと待って。今開けるから」
「あ、いいニャ。あたしは領主さまを待ってるだけだから」
カミラはそういうと門の冊に背中を預けた。まだ時間があるらしい。
「これから、リーツ子爵と商談?」
「うーん。違うようだニャ。あたしは会長じゃないからわかんないけどニャ。あたしは領主様に伝言を伝えに来ただけニャし」
「そっか。カミラはこの後帰るの?」
「ううん。あたしはちょっと母国に戻らないといけなくなったのニャ」
カミラはそういうと少し寂しげな顔をした。
その同情心を誘うような哀愁漂った雰囲気のカミラに理由を聞くと、この国に好物の食べ物があったことをあっけからんと話してくれた。
ゲッツは彼女に少し同情してしまった事を後悔した。なんて食欲に忠実な奴なんだ......。彼女の性格が分かった気がする。
しばらくそうやってカミラと話していると、ユリア達も外に出て来た。出発の準備が整ったようだった。




