臆病者の気持ち(意地っ張りの気持ち〜悠人編〜)
悠人の性格が……。
僕には小さい頃から好きな女の子がいる。それは隣家に住む『りんちゃん』こと倫子。同い年。
倫子はふわふわした髪とハムスターみたいな目の、のんびりとした女の子だ。
初めて倫子と会った時、母親の影に隠れて恥ずかしそうにモジモジしている彼女を見て、僕は恋に落ちた。
ハムスターみたい。
その時僕はちょうど飼い始めたハムスターに夢中で、そのハムスターにそっくりの倫子にもすぐに夢中になった。
本物のハムスターはちょこまかと素早いが、倫子ははっきり言って結構トロい。だからよく転ぶし迷子になるし、そして泣き虫だ。とてもじゃないけど目が離せない。目が離せないところはやっぱりハムスターと似ている。でも実はそこが僕のツボだ。
そもそもなぜ僕がハムスターを飼ったのかというと、完全な僕の嗜好による。
僕は昔からあったかいものと柔らかいもの、そしてちょっと手間のかかるものが好きだ。何故なのかは自分でも分からない。
そしてその嗜好を満足させるための『ハムスター』。
犬や猫でも良かったんだけど(ていうか、手間がかかるという意味では犬が一番良かったんだけど)、共働きで忙しい両親の賛同が得られなかった。さすがに子供の僕が面倒を見るっていうのが信用できなかったみたいだ。それもそうか。
でもハムスターでも満足だったかな。ハムスターだって充分フワフワしていてあったかくて、なんだか見ているだけでホッコリするだろ?
そして僕のそんな嗜好は何も動物だけにとどまるわけではない。暖かい春の陽射しが好きだし、たんぽぽの綿毛も、羽布団も、なんなら肉まんも大好きだ。そして倫子と出会ったあの日、一番好きなものは倫子になった。倫子はいつもふんわりあったかくて、なんだかポヤポヤとした柔らかい雰囲気を持っている。そして手がかかる。もう最高。僕は倫子といるととても満たされた気持ちになるのだ。
だけどそんな幸せな日々も、幼稚園に入ってからは多難の一途を辿った。それは僕と倫子を切り離そうとする敵の出現。ああ、敵なんて言ったら可哀想か。僕のことが好きな女の子達。
「女の子には優しく」と母によく言い聞かされていたから彼女達にキツイことは言わなかったけど、本当は心の中でどれだけ罵詈雑言を並べたことか。このドブ◯とか。だってみんなして倫子を泣かすんだもんなぁ。やっぱり許せないよ。
まあ泣いた倫子を慰めるのは僕の楽しみの一つではあったんだけど。倫子ってば頭を撫でてあげるといつもフニャリ、って笑うんだ。ああ、可愛い!
そういうば名前も忘れちゃったけど、倫子を一番苛めてたあの女の子、手提げバッグに蝉の死骸を大量に入れたの僕だって結局気付かなかったんだよな。だって卒園するまで僕のことを好き好き言ってたから。
小学校に入ってからはさらに状況は悪化した。敵は日増しに増殖するし、それどころか本気の目で「好き」って言ってくる女の子達……。
僕がその台詞を聞きたいのはお前らからじゃないんだよ!
そう言えたらどんなにスッキリするだろう。自分で言うのもなんだけど僕は小さい頃から結構賢い方だったから、ちゃんと空気を読んで丁寧にお断りしたけどさ。
そんなことよりここで大事なのは、僕がそれまで一度も倫子から『好き』という言葉を貰っていないことだ。
倫子は恥ずかしがり屋でちょっと意地っ張りだから(そこがまた可愛いんだけど)、なかなか言葉にしてくれない。僕がどんなに『大好きだよ』って言っても、せいぜい僕の手をキュッと握ってくるくらい。……キュッ、なんて、倫子ってばどれだけ僕を悶えさせれば気がすむんだろう。可愛すぎるんだよ、ちくしょう!
倫子は小学生の頃にはまだ自分の気持ちに気づいていないみたいだったけど、絶対絶対僕のことを好きだったと思う。絶対……いや、たぶん……きっと……。
うう。僕だってそんなに自信があるわけじゃない。恋をしている女の子相手なら尚更だ。しかも倫子はポヤポヤしていて自分の気持ちはほとんど口にしないし、ちょっと掴みきれないところがあるから。
だから、そんな倫子から距離をおきたいと言われた時は本当にショックだった。どうやら僕といるとクラスメイトから揶揄われるのが嫌らしい。
何だよ、それ。
僕は初めて倫子に対して腹が立った。
他人なんかどうでもいいじゃないか。僕は倫子がいればそれでいいのに、倫子は違うの?
だけど倫子の嫌がることをして嫌われたくなかったから渋々了承した。放課後や休みの日は一緒にいてもいいって言うから、倫子に話しかけたくて仕方ない気持ちを何とか我慢することができた。
そうそう、我慢して一つだけ良いこともあったしね。
それは倫子の嫉妬。(たぶん。)
僕がリカちゃん(クラスで一番可愛い……と言われていた子。確かに顔は可愛かったけど、正直全然僕の好みじゃなかった。つり目のせいかフワフワ感が足りないんだよね)とたくさん話したりすると、その日の放課後はずっと不機嫌。ムスッとしながらモジモジして、リカちゃんのことを聞きたいのに聞けないっていう態度。
ムスッとしてモジモジだよ!?
もうあの可愛さは凶器だった。思わず倫子を襲っちゃいそうでいつも僕は困った。だからヘラヘラ笑って、その実お腹の底から突き上げてくる衝動と必死に戦ったっけ。
でも、やっぱりそんな小さな喜びに浸ってる場合じゃなかったんだ。
もっとちゃんと、倫子をつかまえとかなきゃいけなかったんだって、僕は後から死ぬほど後悔した。
あの日、教室の扉を開けた瞬間に僕の耳に飛び込んできた声。
『わたし、ゆうとなんか嫌いだもん!』
僕の世界が一瞬大きく軋んだ気がした。
僕と目が合った倫子は驚いたように目を見開いて、すぐに顔を真っ青にした。いつもなら飛んでいって慰めるけど、その時の僕はあまりにショックが大きくて、情けないことにその場から走って逃げてしまった。
しかも、その後がもっと最悪。
家に逃げ帰ったものの、冷静さを取り戻す内にきっと何かの間違いだと思えるようになった。
だって倫子、青くなってたし。
リカちゃんに嫉妬してたし。(あれは誰がなんと言うと嫉妬だった!)
だから一刻も早くあの言葉は間違いだったって訂正してもらわないと!と意気込んで隣の家に行ったものの、玄関に出てきた倫子が僕の顔を見るなり顔を引きつらせるのを見て、僕は一気に不安になった。
もしかして……本当に僕のこと、嫌い?
今まで呼吸をするように告げていた好きという言葉を、あんなに必死に伝えたのは初めてだった。
『僕はりんちゃんのこと大好きだよ』
『……私は嫌い!!』
そして僕の世界は終わりを告げた。
終わったと思った僕の世界だけど、どうやら僕を取り巻く世界にはなんの変化も無かったらしい。
僕は落ち込んで落ち込んで、落ち込んだまま中学生になった。家が隣同士だから当然倫子とは中学校も一緒。僕は倫子を見るためだけに中学校に通ったと言っても過言ではない。
そこで僕はそれまで以上に女の子達に囲まれるようになった。僕って本当にモテるんだ。……倫子に振り向いてもらえなかった役立たずな顔だけど、他の女の子にはお気に召すらしい。ハハ……。
一年生の頃はちょっとやさぐれていたけど、それでも日々を過ごす内に、僕は少しずつ希望を見出すようになった。
だってこれだけモテるんだ。倫子だってどんなにボンヤリしてるって言っても女の子。僕の顔を格好いいと思ってくれるかもしれない!
そう考えた僕は、顔だけじゃ足りない、とばかりに、倫子に振り向いて貰える完璧な男子を目指すべく、これまで以上に勉強も運動も自分磨きも頑張った。勉強も運動も昔から得意だったから、頑張った分だけすぐに結果が出て、学年一位は僕の不動の定位置となった。毎日お肌のお手入れだって欠かさない。
それでも倫子からの告白はない。話しかけてもくれない。
僕は焦った。何が足りないのか考えに考えた。
そしていい作戦を思いついた。
それは名付けて『リカちゃん作戦』。
要は学校で可愛い(と言われている)子とたくさん話せば、倫子が嫉妬して僕を意識してくれるかもしれない!というもの。
結果から言うとこの作戦は失敗だった。上手いこと女の子と噂になったのはいいけれど、倫子はそれからしばらくの間これまで以上に僕を避けるようになってしまったし、その女の子は彼女気取りで鬱陶しいしで、いい事なんか何もなかった。
いっそダメ元で僕からもう一度告白してみようか、とも思ったが、その度に『私は嫌い!!』が頭の中で鳴り響いて二の足を踏んでしまった。
そしてそうこうしている内に高校受験が近づいてきた。
倫子から離れるいい機会かもしれない……。
精神的にボロボロだった僕はそう考えた。僕は自分でも自覚ありまくりの倫子依存症だったから、倫子がいると倫子以外に目がいかない。
ここは潔く、倫子から身を引こう!それで僕の命が今度こそ終わりを告げようとも、倫子のためならば散って惜しい命ではない!
そう思い至ると、僕の心は激しく痛む反面、僅かながらに平穏を取り戻した。覚悟を決めた心の静けさとでも言おうか……。
残念ながら倫子は僕より大分成績が悪いから、このまま行けば倫子と僕は別々の高校になるだろう。
そう考えて安心(たまに……いや、しばしば発狂しそうにはなったが)していたのだが、なんと奇跡が起きた。
倫子が同じ高校に入学してきたのだ!!
入学式で倫子を見つけた時の歓喜、想像がつくだろうか。
身を引こうと考えた事なんかどこ吹く風で、やっぱり僕と倫子は運命の糸で結ばれているんだと思った。
しかし、やっぱり倫子は僕に話しかけてはくれなかった。
僕が倫子ばかり見ているせいかしばしば目が合うのだが、すぐに目をそらされてしまう。
そうなると僕の膨らみかけた期待も祭りの後の風船のように萎んでしまって、結局中学生の時と同じ状況が続いた。
そんな状況の中で、何度も何度も倫子に話しかけようか迷ったが、もしそれでこれ以上嫌われたらと思うと恐ろしくてとてもじゃないが声をかけられなかった。
もう、疲れたな……。
僕はある日唐突にそう思った。
倫子ばかりを思う日々は僕をどうしようもなく疲弊させる。もういい加減、倫子から解放されたい。
そう思った僕は、初めて自分の意思で倫子以外の女の子と付き合うことにした。
綺麗にメイクをした大人っぽくてサバサバした、全然手のかからなそうな女の子。倫子とは正反対。
彼女との交際は、正直ちっとも楽しくなかった。下手に倫子と正反対の子を選んでしまったせいか、彼女の全てが僕をイラつかせた。僕を気づかった言葉も、仕草も、何もかも。
さすがに彼女には悪いことをしたと僕も思う。だって彼女は何も悪くないから。本当は他に好きな子がいると告げた僕に、泣きながら笑って許してくれた時は、流石の僕も自己嫌悪で落ち込んだ。落ち込むことすら彼女に失礼だろうけど。
彼女には悪いことをしたけど、それでも僕の意識はやっぱりずっと倫子に釘付けだった。
何故なら、僕が彼女と付き合うようになってしばらくした頃から、突然倫子がメイクをするようになったのだ。髪も少し茶色に染めて、それがフワフワした雰囲気の倫子にメチャクチャ似合っている。いつもぷるんとしていた唇が、よりピンクになってツヤツヤが増して、僕はもう何度あの唇にむしゃぶりつきそうになったことか!
倫子は気づいていないかもしれないけど、そんな倫子を盗み見る男子がチラホラ現れ始めて、僕のイラつきはマックスだった。
なんでそんな男を誘惑するような危険なマネするんだよ!!
僕はついつい倫子をメッとばかりに睨んだ。ついでに倫子を盗み見る男子に殺意を込めた視線を送ってやった。倫子の周りから僕以外の男なんて消えていなくなればいいのに、と本気で思った。
それからは大忙しだった。
倫子は急激に大人の女になろうとしていた。僕からすれば昔から世界一、いや宇宙一可愛かったが、そんな僕から見ても倫子はさらに綺麗になった。蛹から羽化する蝶のように、鮮やかに変化しようとしている。
そんな女の子に、盛りのついた男共が気づかない訳がない。
僕は男共に、女の子を紹介したり女の子を紹介したり女の子を紹介したり……とにかく僕のセンサーに少しでも引っかかる奴がいたらすぐさま排除に動いた。お陰で高校では密かに恋のキューピッドの称号を頂き、興味の欠片もない恋愛相談を受ける日々が続いた。本当に勘弁して欲しかった。他人の恋愛なんかどうでもいいし、そもそも恋のキューピッドの力を借りたいのは僕の方だっての。
こうして倫子との触れ合いのない、僕にとっては死んだも同然の高校生活二年目の終わり、僕に一つの転機が訪れた。
それは一つ上の先輩達の卒業式。
卒業式とは別名、告白イベント。
来るわ来るわ、年下男子の需要はこんなにもあるのかと呆気にとられるほど先輩女子からの告白の嵐。とりあえず記念に、というものや、ダメ元で、という気軽なものも沢山あったが、中には涙ながらの告白や、もう過去にお断りした先輩なんかからの告白もあって、そういう先輩達の勇敢な(?)姿は、自分でも意外なことに僕の心の琴線に触れた。
僕は倫子から今より嫌われることを恐れて話しかけることすらできない自分を心底情けなく思った。
僕も倫子に告白しよう。
そして華麗に散ってやる。
僕は自分の卒業式に倫子に告白することを決意した。
まあ、華麗に散るとか言いながらも玉砕した後は屍になることは容易に想像できたから、屍でも人生のレールに乗って粛々と生きていけるように、高校三年目は受験生らしくただひたすら受験勉強に力を費やした。何かに集中しないと倫子のいなくなった後の人生を想像して絶望しそうになるからという理由もあった。
お陰で難関大学からわんさか合格通知をもらって親と先生達が大喜びしていた。いいな、単純な人達は。
そして迎えた卒業式。
僕は人生で初めて緊張というものを経験した。緊張か恐怖か、もしくは武者震いか。指の先が小さく震えていた。
倫子を見つめ続けた高校三年間を振り返り、倫子の最後の制服姿を目に焼き付けるためだけの卒業式が終わり、ホームルームも終わり、ようやく帰宅時間。
予想通り、僕は女の子達に囲まれた。
去年と違い、今年は僕自身に倫子への告白という重大任務が課せられていたから、はっきり言って迫ってくる女の子達が邪魔で邪魔で仕方なかった。早く倫子を見つけないと、と僕は焦っていた。(焦らなくても家は隣同士なんだけどさ。倫子の家のインターホンを押すのはあれ以来僕のトラウマになってしまったんだ。)
そしてようやく倫子を見つけたと思ったら、なんと倫子は僕を見てボロボロと泣いていた。昔、まだ僕達が仲の良かった頃によく泣いていたように。
僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。
何故なら倫子は小学生以来、僕の知る限りでは一度も泣くとこが無かったからだ。あの泣き虫の倫子が、だ。
僕はもう何も考えられなくなって、周りにいた女の子達を掻き分けて倫子の元へ走った。
倫子の前に立つと、下を向いて手で涙を擦っていた倫子が再び顔を上げた。
その涙で濡れたハムスターのような目を見た瞬間、今まで気づかない間に凝り固まっていた僕の心がユルユルと解けていくのが分かった。
ああ、倫子は何も変わっていない。
ただ倫子は相変わらず意地っ張りで、僕に話しかけられなかっただけだ。
僕は何故かそうはっきりと確信した。
「りんちゃんは相変わらず泣き虫だなぁ」
僕は倫子の頭を優しく撫でた。
「それに、素直じゃない」
ほんの少しでも素直に気持ちを伝えてくれていたら、こんなに長い間離れていることもなかったのに。
「でも、それは僕も一緒だね」
倫子は意地っ張りかもしれないけど、僕は世界一臆病者だった。
怖がってないでもっと早くに倫子に話しかけていれば、倫子をこんな風に泣かすことはなかったのに。
「ゆうと、ごめんねぇ」
倫子はボロボロと泣きながら、僕がずっとずっと欲しくてたまらなかった言葉をくれた。
「わたし、ゆうとのことが大好きだよ」
その瞬間、闇に包まれていた僕の世界が再び色鮮やかに輝き出した。天使が舞い降りてきて祝福の鐘を鳴らす。
倫子は僕の服の裾をキュッと握った。僕はもう嬉しくて嬉しくて、倫子に向けてニッコリ笑った。やっぱりこれは倫子の『好き』のサインだったんだ!
「うん、僕もだよ」
こうして、僕の幸せな日々がまた始まった。
お読みいただきありがとうございました。
甘酸っぱさは何処へ……。