05
「ーーーゲェェェェエ!!!ウッ…エェェェェッ…!!」
「ーー吐くなら滑走路の外で吐けアンポンタン。まぁ座席でぶち撒けなかったのは結構なんだけどな……あ~あ……折角のタマゴが……」
訓練生が滑走路へ胃袋に納めた筈の朝食を盛大に吐き出している様を横目に見ながら飛行隊指揮官の楊中尉は火が点いた葉巻を銜える。
「…たかだかブレイクとかシザーズ、バレルロールやっただけだぞ?この分じゃ単座乗せるのはまだ先になるなぁ」
複座の練習機であるFw 44の胴体を一撫でした後、中尉は葉巻を銜えつつ持っていたクリップボードで訓練生の頭を叩いた。
「吐いてる暇はねぇぞヒヨコちゃん。20分後には教場で座学だ」
「は、はい…!!」
「…まぁ行く前に吐いたの片付けて服も着替えて口も濯いでから行けや。本日の訓練飛行は終了。別れて事後の行動、別れ」
「別れます…!」
「おっ疲れ~い」
ラフに答礼した後、中尉は飛行予定が書かれた黒板が掲げられている指揮所のドアを開けて入室した。
「ーーお疲れ様でした中尉」
「おーう。水ちょーだい。悪いけど整備班に練習機の整備頼んどいて」
椅子にドッカリと腰掛けた中尉は首へ巻いた黒いマフラーを緩め、差し出されたコップの水へ口を付ける。
「ーー中尉。つい先程ですが寿春の少佐から電文が届きました」
「俺宛?内容は?」
「はい。洛陽へ飛ぶのでヘリでの護衛を頼むとの事です」
「あ~~そういや少佐と大尉に出頭の命令来てたんだっけか。んでもってヘリは全部向こうに置いてっからなぁ……ん、りょーかい。いつまで寿春に行けば良いって?」
「本日の1800まで。明日からは勘を取り戻す為に練成をとのお達しです」
「……今の時刻は1037っと。着替えとかをバックに詰めて…」
中尉がこれからの予定を組み上げていると部下の一人が思い出したかのように声を上げる。
「予定では明日に州境に屯している賊の本拠地に攻撃を掛ける筈でしたが……如何します?」
「ん~~~?」
中尉が指揮所の壁に掛けられた予定表の黒板へ視線を向けると確かに明日は部下が言う通り出撃の予定が入っていた。
「航空図と航法尺、あとデバイダー(コンパスの一種)貸してくれ。フライトプラン立てるから」
「ーーどうぞ」
「おっ、サンキュ。…ウチの飛行場がここで真北は………んでもって寿春の飛行場がこの位置……地文航法で……」
差し出された道具を用いて中尉はこれからの予定を組み始める。
「ーー取り敢えず俺の機体に50kg(爆弾)を4発吊るしてくれ。機銃弾と燃料も普段と同じで詰めておいて」
「念のために増槽も吊るしますか?」
「要らね。そこまで距離がある訳じゃねぇし、投下が二回の機銃掃射二回の反復で済ませる」
「ーー言っときますけど地面とキスしないで下さいね。この前はペラが地面に接触するギリギリで飛んでましたから。くれぐれも機体を壊さないで下さいよ?」
「ーーあぁ…でも、その前は吹流しの直ぐ真横を高速ですり抜け様に主翼の翼端でポールをへし折って」
「ーーんでもって…その前は物干場の直上をギリギリで飛んで洗濯物を吹き飛ばしましたよね。中尉、前科ありすぎですよ」
三人の部下達から散々に文句を言われる中尉は苦笑いしながらもフライトプランを立て終わり、椅子から立ち上がると航空眼鏡を巻いた飛行帽をあみだに被る。
「ついでに糧食班へ握り飯を準備させといてくれ。昼飯は飛びながら喰うから」
「明日、出撃しなくても良いよう徹底的に叩いて下さい。明日は俸給日なので遊びに行きたいですから」
ーー愛機と自身の準備が済んだ後、中尉は機上の人となったが途上で握り飯を頬張りつつ盗賊の根城に対地攻撃を実施し、本当に予定されていた明日の出撃が不要となるほど敵を叩いてから寿春の飛行場へ降り立ったという。
「−−さて、そろそろ行きましょうか。帝への謁見に」
「「……………………え?」」
曹魏の王にして漢王朝の丞相である華琳が放った一言でそれぞれの愛馬に跨がる二人の男が愕然としたのか間抜けな声を上げた。
「えぇっと……アノ華琳サン?今ナンテ仰イマシタ?」
「将司。何故、片言になっているの?」
「…俺の耳が正常なら“帝への謁見に”と言っていたと思うんだが?」
「えぇ、そうよ和樹」
「…………俺等、宮廷の作法とか礼法知らねぇぞ?だいたい何処の馬の骨とも分からねぇ奴が入れるの?」
将司の率直な疑問を聞いた華琳がやや驚いたように片眉を上げた。
「あら。貴方達は孫呉の驃騎将軍と車騎将軍ではなかったかしら?それに作法や礼法なんて貴方達がいつもしてるような感じで構わないわよ」
「……反董卓連合と戦した時は雇い主から“アンタらは礼儀作法なんか知らないでしょうから参内させない”と言われたぜ?」
「それで宮廷雀が囀り始めたら私が黙らせるわよ」
「「………流石は曹操……」」
華琳が愛馬である絶影の腹を蹴って進み出したのを見て和樹達もそれに従って進み出す。
「二人とも洛陽は久し振りではないかしら?」
「まぁそうだな。反董卓連合の時以来になる」
「……ほんの何年か前の事なのに随分と昔のように思っちゃうぜ」
「あら呂将軍は耄碌が始まったのかしら?」
「うんにゃ、まだ三十路前だ。なんなら円周率を唱えてやろうか。3.14159265358979323846264338327950288ーーー」
「………なにそれ?呪文?」
「…円の周長の直径に対する比率として定義される数学定数……取り敢えず呪文じゃない」
「……相棒…50288の後ってなんだっけ?ど忘れした」
「…41971693993751058209749445923078164062862089986280348253421170679…後は俺も分からん」
「ーー洛陽の宮廷ってこんなに小綺麗だったっけ?」
「ーー反董卓連合の後、荒れていた街を復興する為に諸侯が資金や人足を出したのよ。私や麗羽は宮城の復興が主だったけどね」
「ーーそれは知らなかった。なにせあの戦の後の一月ほどは放浪してたからな」
愛馬から降り立った彼等は復旧された漢王朝の天子宮城の前で各々感想を述べた。
門を潜り、整備された石畳の広く長い通路を歩きつつ華琳が隣に並ぶ二人へ声を掛ける。
「通路の両端に並んでいるのが禁軍の兵よ。貴方達から見てどうかしら?」
槍を携え、腰に剣を佩き、絢爛な鎧を纏う兵士達が宮城まで続く石畳の両端へ立っているのを認めた和樹と将司は率直な疑問を尋ねる。
「まず戦えるのか?」
「禁軍の本分は帝の護衛。身を盾にするぐらいは出来るでしょう」
「兵力と戦歴は?」
「兵力は千名ほどね。近衛たる禁軍が戦の経験があったら大変な事よ。禁裏へ敵が押し寄せたという事になってしまうわ」
「万が一……俺達が刀を抜いたらどうなる?」
「……お願いだから物騒な事を言わないで頂戴……」
和樹が本気とも冗談ともつかない台詞を吐いたのを聞いて持病の頭痛がしてきたのか華琳が顔を顰める。
「……朴殿。和樹殿は普段からあぁなのか?」
「…えぇ……普段からあの調子です」
彼等の背後を追従する参内の供として来た朴中尉が春蘭へ返答しつつ頭を振った。
「ーーまぁ…貴方達を押さえるのは禁軍では無理でしょうね」
「ーーもっとも自分が政変の火種になるつもりは毛頭ないがな」
「是非そうしてもらいたいわ。……まぁ……この謁見でどうなるかは分からないけどね」
「あん?」
華琳が呟いた言葉に反応して和樹が視線を隣の彼女へ移した。
「一年前、私が貴方達二人を漢の大司馬と大将軍にしたいと言ったのは覚えてるかしら?」
「応。だがあれはーー」
「えぇ。冗談半分の本気半分だったわ。けど貴方達が未曾有の国難を救った立役者だと言う事は大陸に轟いた。…名声を抜きにして実力だけでも貴方達以外に相応しい人間はいないわ」
「過分な御言葉、と言っておこうか」
「言っておくけど今のは冗談ではないわよ。本気でそう思っているわ」
「だが、いかに丞相といえど将軍号としては一品官となる大司馬に血縁が不明の輩を就かせるのは容易ではない筈だ。それに大将軍と大司馬は同位とも言える。どうやってーー」
「ーーその無茶を通せるのは大陸では一人しかいないわ。そしてその人物こそが貴方達を指名したの」
「……まさか、とは思うが……」
「えぇ。漢王朝第14代皇帝 劉協陛下よ」